第23話

◇――[その意味とは]――◇



 全く理解が追いつかず、マルテラは戦槌を眺めていた。人間の言葉に犬が首を傾げるように、砕けて落ちた戦槌の先を唖然として眺めることしかできない。これまでに多くの戦闘をこなしてきたが、ここまで一方的な破壊の経験など、長い歴史の中で数度しかなかった。それは得てして人外の存在との戦闘であって、この平凡な男が匹敵するとは思えない。しかし、己が武器が現実を証明している。ようやく危機を察知して、マルテラは後方へと跳んで下がった。


「もう一度だけ聞かせて。アナタ……何者なの?」

「しがないキャンパーですよ、僕は」

「……私ね、舐められるのは嫌いなの」


 平坦に答える太郎に向かって、マルテラが憤怒の視線を向ける。認めるのは癪だったが、どうやらモーゼンの推測の方が正しかったのだ、と彼女は悟った。そこに恐怖はなく、むしろ笑みを滲ませる。これほどの高揚感を戦闘に覚えたのは、とても久しぶりのことだった。実力の全てをぶつけても構わない相手とは、今のマルテラからすれば非常に稀な機会なのだ。


 唐突に、天に右手を掲げるマルテラ。笑みの滲む口を僅かに動かし、微かに太郎へ届く程度の声で「ノア」と呟く。その瞬間に、彼女の右腕に捻じれが生じた――ように見えた。それが収まれば、いつの間にか黄金の手甲が腕全体を包んでいる。それは左腕にも該当しており、まるでパズルでもするみたいに鎧が嵌る。続けて口を動かせば、今度は「ローガン」と耳に届いた。そして胸から足元にかけて捻じれ、次の瞬間には黄金の鎧が彼女の身を包んでいる。腰から足元にかけてスカートタイプ、その上は女性の曲線美を活かした蛇腹状の構造になっていた。


「私の相棒を紹介するわね。この手甲が『ノア』、それに胸当から腰当までが一体の『ローガン』。リオンとの戦闘は見ていたでしょ? 彼らは生きているの」

「なるほど。ある一定値まで育つと、呼びかけによって顕現させられるのですね」

「その通り。私のスキル『生態武具』よ」

「そして、それが主力武具だということですか?」

「そうよ。アナタにとって酷なことに、このスキルは非常に優れていてね。成長上限が無いのよ。でも、もう彼らを育てていないの。どうしてだと思う?」

「もはや最強に至ったから、とかですか?」

「ご名答。でも、核心は違うの。……見合う相手がいなくて、退屈になったからよ」

「そうして、酷なことに僕は御眼鏡に適ったという訳ですか」

「うふふ、察しの良い男は好き。飼いたくなるわ」

「――お断りします。それに、今のは半分ほど嘘ですよね?」

「…………は?」

「本当は別の理由があって装備していないだけでは? 例えば、ある一定まで育ってしまうと、使用者を蝕み始める……とか」

「へぇ、利口な男は嫌い。殺したくなるわね。……どうして解ったの?」

「先ほどの戦闘を観察して、アナタの性格を分析していました。非常に好戦的で高慢な所のある女性です」

「嫌な言い方だけど、まあ遠からずだと認めましょう」

「僕のような不確定戦力が現れた場合に、通常なら撤退するのが定石であるはず。ですが、アナタは撤退しなかった。この行動からも頷けます」

「いちいち行動分析まで御苦労さま」

「それは自分より強い人間がいるのが気に食わないからですよね。そんな女性が、強くなる機会を途中で放棄するはずがない。だから、スキルに何らかのデメリットがあると考えるのが妥当だと思いました」

「……はぁ、アナタって、私の一番に嫌いなタイプね」

「奇遇ですね、僕も高慢ちきな女性は苦手です」

「ぶっ殺す前に……マナーとして聞いてあげる。アナタの名前は?」

「僕は就活太郎です、マルテラさん」

「覚えておくわ。じゃあ――……」


 ――死んで。


 言葉と共に、マルテラの身体が霞む。リオンの時よりも遥かに加速して、風切り音さえ置き去りにした。あまりに圧倒的な加速感に、世界から逸脱するような感覚が彼女に生じる。それは自信へと昇華されて、到達と同時に太郎の腹部に拳を見舞った。


 ものの見事に直撃、太郎は吹っ飛んだ。右拳に宿る衝撃が、優越感を彼女に取り戻さんとしている――が、拳を見下げたことで、それに気付いた。腰の周りに、いつの間にか黒い縄が巻き付いている。自身を待ち構える太郎の、どの瞬間を切り取っても素振りは無かった。であるはずなのに、巻き付く黒い縄。その不気味さは、太郎から感じる異質さに酷似していた。


 風に流すようにモーゼンが「ギガファイア」と唱える。気配のない亡霊のような火の玉が、大きな魔法陣の中から巨躯を覗かせる。それは洞穴の壁面で砂煙を作る太郎へと直進した。普段であれば、マルテラの一撃を捕捉する程度の弱い魔法であるはずなのに、今日のモーゼンは持てる限りの魔力を投資している。それに浮き彫りになる太郎の異常さに、マルテラは気付き始めていた。生じるはずの無い恐怖が、足元から這い寄るような感覚まであった。


 爆散するギガファイア、洞穴全体が激しく揺れている。それを、まるで他人事のように眺めるエメロッテ、意味のない自慰行為を無機質に眺める娼婦のようであった。幾つも揃う状況証拠に、マルテラの決心が鈍り始めている。私は今、何に拳を振るったのか、そんな自問自答が脳裏を巡っていた。


 ようやく砂煙が収まった――が、そこにあるはずの死体が無い。その代わりに人ひとりが通れそうな穴が一つ。たったの一秒以下の時間の中で、それが掘り抜かれた事実に驚くマルテラ。しかし、そんな時間は彼女に無かった。背後から感じる気配、即座に振り返って視線を向ける。


 そこに立つ平凡な男に向かって、余白なくマルテラは拳を振るった。太郎は微塵も動かずに、また迫りくる拳を眺めるだけだった。いち早くこの男を殺すべきだ、と無我夢中で拳に力を籠める。だが、拳は彼女の望みを叶えず、途中で勢いを止める。そして腰にかかる負荷が、ようやく彼女に縄を想起させた。


 焦燥から生まれた大きな隙に、マルテラは歯を食いしばる。すでに太郎の手には黒い木槌が握られており、もはや回避など間にあいそうもなかった。その一大事にモーゼンは追いつていた。自身に背中を向ける太郎に向かって、再び魔法を放つ。今度は魔法陣を消して「ギガブリザード」を忍ばせた。やはり止めの寸前には、誰しも隙を見せるもので、それは太郎でも例外ではなかった。


 その瞬間にマルテラの身体が黒い縄に引かれる。正面からの衝撃を警戒していたので、彼女は意外なほど簡単に背後へと運ばれた――直後に、氷の柱が床から伸びる。それは太郎を覆って天井付近にまで迫った。唖然とするマルテラ、あの規模の魔法であれば、間違いなく自分まで巻き込まれていたはず。あの場面で黒い縄を引くメリットなど、何一つないはずなのに。


「――今じゃ! 止めを刺すのじゃ!」


 後付けのようなモーゼンの指示、マルテラは尻もちをつきながら、鈍重に首を動かして彼を見上げた。元より、命を預け合うような味方同士ではなく、あくまで互いを利用するだけの関係。この下から伸びる氷柱のように、二人の間柄は冷え切っているのだ。とはいえ、そこに苛立ちが生じるのは仕方なく、モーゼンもまたマルテラの不の感情に気づいてはいる。


 それでも仕事上の関係を貫くために、マルテラは立ち上がった。また右手を天に掲げて、静かに「オスカー」と呟く。そこに顕現したのは、屈強な角を持つ山羊の貌を模した戦槌である。まるで羽のように左右へと二本の角をクルリと伸ばし、その銅のような肌の色を鈍く光らせていた。


「……存外、あっけない終わだったわね、就活太郎……――さよなら」

 

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