第22話


 特に魔法に秀でたモーゼンは、それが超常の存在だと理解していた。二人は溢れる魔力の中心に、素早く視線を向ける――そして、突如あらわれた古龍の存在を目にすることとなった。その荘厳な姿を目にした時、二人は同時に言葉を失った。


「かの悪名高き、エメロッテ……アーバンティヌス……」

「これは撤退も視野に入れた方が良さそうじゃな」

「……違う。この魔力に隠れる……不気味な気配。他にも……何か、もっと途方もない存在がいる。私たちは……ずっと観察されていたのね」

「……な、何を言っておる? そんな気配は――……」


 ――リオンの身体が浮き上がった。まるで釣りのように、何かに引かれて跳ね上がったかのようであった。即座に視線で追いかけるマルテラ、リオンの腰回りに漆黒の縄が這っている。マルテラの優れた視力は、その細長い縄の先端を結ぶ、小さな龍の貌を精緻に捉えていた。……何らかのスキルか? と、彼女は縄をなぞるように視線を移動させる。いつの間にか、その先に男が立っていた。


 黒髪黒目の天然パーマ。純朴な顔を金縁の丸眼鏡で飾っている。白いワイシャツの上から分厚い黒革のコートを羽織り、ワンサイズ上の硬い布のズボンを履いた……何の変哲もない男であった。そんな単なる人間が、まるで従えるように古龍の前に立っている。不気味であり、不吉でもある。彼は釣り上げたリオンを両手で抱えると、そっと地面に下ろす。それから眼鏡の縁に触れて位置を正す。


「はぁ、過去を話したのは失敗でした。まさか最後に笑うだなんて……助けないつもりだったのに。これは、ややこしい事態になってしまいますね」

「アナタ……何者なの?」

「そもそもボンの作ったルールが悪い。死ぬ寸前に笑うヤツは助けろだなんて……無責任にもほどがある。彼の精神性は好きだけれど……付き合う身にもなって欲しい」

「ちょっと、聞いてるの?」

「状況を打破するには……この二人を殺すしかないですね。ですが、何の恨みも無い二人を殺すのは、流石に気が重いと言うか……」

「こんなに無視されたのは……初めてのことよ」

「リオンさんの殺害も、上からの命令だろうし……気の毒にし思えません」


 ふと、モーゼンが人差し指を伸ばす。それは太郎へと向いており、不可視の魔法が放たれた瞬間であった。それにタイミングよく屈んで、料理でもするみたいにリオンへ回復薬を振舞う太郎。その頭上を「バレット」が通り過ぎていく。「ベチンッ」と背後に鎮座するエメロッテが腹を鳴らす――も、どちらも無反応であった。


 思わず首を傾げて、再びモーゼンがバレットを放つ。今度は太郎が立ち上がってしまい、それは当たらず通り過ぎて行った。また、背後で「ベチンッ」と音が鳴る。まるで楽器でも扱っている気分になりつつも、懲りずに発射を続ける。それは、ある種の検証でもあって~~……n回目、全てのバレットが外れて検証は終了。


「……ワシは撤退を推奨する。アヤツ、完全に認識しておる」

「馬鹿を言わないで、明確に回避するような素振りは無かったわよ。それに、スキルは概念的な意味合いが強いでしょ。何かの対策でどうにかなるとは……」

「その通りじゃ。つまり、アヤツは探知系のスキルを有しておる。ワシとの相性は最悪じゃと言ってよい」

「なら、私とは好相性でしょ。肉弾戦で押し切れるから」

「じゃが、矛盾しておるじゃろ。探知系のスキルのみで古龍を従えるのは不可能じゃと言ってよい。ワシの推測では、アヤツは複合スキルを有した猛者じゃ」

「はぁ、怯えている場合なの? このままじゃリオンも殺せないし、私たちの目撃情報を持ち帰られる。それが不味いのは間違いないでしょ」

「いずれ戦争は始まる。その原因の所在など誤差になるはずじゃ」

「どうかしらね。この場で始末するのが丸いと思うけど?」

「アヤツの戦力にエメロッテを含める場合、マルテラちゃんの状態も含めれば、限りなく低い勝機を探る戦いになるのじゃぞ……」

「私が奥の手を使うとしたら?」

「…………それでも読めんな」

「なら、まずは様子見から始めるとしますか。……回復魔法をちょうだい」

「いつもなら怒るのにか?」

「そんなレベルの相手じゃないのは、私にもわかっているから」

「ふむ、健闘を祈るぞ」


 すると、マルテラの身体が僅かに緑色の光を放った。徐々に彼女の身体が回復していく。しかし、その間にも太郎は動かず、ジッとリオンに視線を落としていた。その明らかな余裕に苛立ちを覚えるマルテラ――彼女の背後で、モーゼンが不気味そうに太郎を観察している。


 先に動いたのは、やはりマルテラだった。彼女は回復を終えると、一つ伸びをしてから太郎へと歩みを進める。あくまで戦槌は肩に乗せて、自身にも余裕があることを示そうとする。それはちゃちな敵対意識なのかもしれなかったが、こうした些細な心理戦が戦場では重要となる場合が多い。


 そうして、優雅に太郎の前に立ったマルテラ。依然としてリオンを見守る太郎を、マルテラは近距離から見上げる。平凡な顔立ちではあるが、欠点の無い整い方をしており、それなりに見れる顔であった。


「いつまで私を無視するつもり?」

「それは失礼しました。あまり望まない状況だったもので」

「アナタ……リオンの恋人か何か?」

「いいえ、違います。知人以上、友人以下といったところでしょうか」

「なら、リオンを渡しなさい。じゃなきゃ死ぬわよ」

「別に死ぬのは構わないのですが……ルールを破るのは避けたいところです」

「……ルール?」

「守りたいヤツより先に死ぬな、です」

「えっと……普通は逆じゃない?」

「湾曲した言い方ですが、ようは最後まで守れと言う意味かと……」

「手探りで説明してない?」

「まぁ『解釈は自由』というルールもありますから」

「……はぁ、会話するだけで疲れるヤツね。もういい、死になさい」


 徒労のような会話を切断する為に、マルテラは戦槌を振り上げた。眼前の男は声を張るでもなく「奇遇ですね」と言って、自分も小さなハンマーを取り出した。その黒く小さなハンマーを見た時に、思わず彼女は笑みを零していた。


「モーゼンの考え過ぎね。これだから利口なヤツって無能なのよ」


 小さな体で見下すマルテラ、太郎は無機質に視線を返すだけだった。それにドワーフの尊厳が傷つけられた気がして、沸々と怒りが煮え立った。奥歯を食いしばり、上腕二頭筋を膨らませて、たったの一言「死ね」と発する。直後に振り下ろされる戦槌には、黄金の獅子の笑みが纏わりついていた。強者としての余裕の笑みが、太郎を食いつくさんと迫る。


 ――そして、戦槌は爆ぜた。

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