第18話

◇――[彼女の過去]――◇



 ――とまぁ、話せるのはここくらいまででしょうか。


 展開など考えもせず、太郎は話を止めてしまった。あまりに先の気になる展開に、リオンは太郎へと不満げな視線を向ける。それは三時のおやつを取り上げられた子供のような視線であり、彼女の本質を現しているのかもしれなかった。そんなリオンの視線に頓着せず、太郎は手元の料理を形にしていく。


 ほとんど料理は完成に近づいており、太郎はブクブクと泡を吹くメスティン(アルミ製の箱型調理器具)を眺めていた。白い涎のような液体を吹いて、それを箱の周りに纏っている。立ち上る火が液体を炙って、すぐに黒い焦げへと変わっていく。まるで人の感情の移り変わりを描いているようで、太郎の篝火も親近感を抱いているのかもしれない。とはいえ、加熱のしすぎは過剰な焦げを作るので、焦げ付きの色合いから火入れを探って、サッと網の端にメスティンをずらした。するとブクブクと吹いていた泡が落ち着いて、次に篝火のパチパチ音が存在感を増していった。


 すでに醤油の香りがリオンの鼻に届いており、その香りは彼女から太郎の過去を探る気力を剥奪し、料理への食欲だけを掻き立てていた。知的好奇心よりも食欲を優先する自分に恥じらいを覚えて、リオンは素早くメスティンから顔を逸らした。


 それから下唇を軽く噛んで、プルンと脱力させる。溜息を一つ吐き出してから、メスティンを加熱する篝火へと視線を戻した。橙色の火炎を見るだけで、恥じらいに溜めた顔の熱がほどける。まるで誰かに同調するように、この篝火を見ると心が落ちついてしまうのだ。火炎から太郎の心を覗いていることに、リオンは気付けていなかった。すでに太郎のスキルの知識はあったが、翌日に迫る脅威を前に、ここまで落ち着けるはずがない、と自分の中で結論を設けていたからだった。


「……私は、いわゆる御令嬢ってヤツ。武家の一人娘で……だから、両親は私を嫌っていた。武家だから、当然のように両親は男の子を欲しがっていたの」

「お母様は、何か子供を設けられない事情が?」

「そう。一回目の出産、つまり私を産んだときに子宮を駄目にしちゃったんだ」

「それが女性にとって、どれほど辛いことか想像するのは難しくありませんね。とはいえ、リオンさんへの態度は八つ当たりかもしれませんが……」

「ううん、私もお母様の気持ちはわかる。……だから、私にできることをする為に、一生懸命に研鑽に励んでるんだ。それで、ここ最近になって赤の勇者に成れた」

「素晴らしいことだと思います。お母様は喜んだのでは?」

「とっても喜んでくれた。でも、御父様は違ったの。どうしても男の子が欲しかったから……他で子供を作ってた。それで……お腹の膨れた人を家に連れて来た」

「……貴族社会の構造は、我々のような一般人からすると複雑ですね」

「でしょうね。その女は無事に男児を産んだ。すると、どうなると思う?」

「単純に考えれば、お母様の立場が悪くなる、とかですかね」

「ご名答。男児を設けられなかったお母様の立場は悪くなって……それで、日に日に弱るお母様を見て、私は決断したの。――この家を出よう、ってね」

「では、今は貴族の御令嬢では?」

「色んな事情があって、結局は別邸で暮らす形に落ち着いたんだ。私が勇者になってしまったばかりに、御父様は簡単には手放してくれなくてね」

「その事情もまた複雑なのですか?」

「今度は女だから、他の貴族に嫁がせて、関係を築く架け橋にされそうになってる。お母様を粗雑に扱っておいて、正直いって頭に来てるんだ。それまでは勇者の身分を使って美味しい思いをして……あの男は女を道具だと思ってるよ」

「完全に家から離れることは難しいのですか?」

「その努力の最中ってところね。このまま勇者としての位を上げれば、御父様の立場を抜くことができる。そうしたら、すぐにでも縁を切ってやるつもり」

「しかし、御父様も焦ってらっしゃるという訳ですね。リオンさんの逆らえないような縁談を持ってくるのが先か、それとも位を上げるのが先か……厳しい社会だ」

「でも、太郎の話を聞くに、ボンって人みたいに貧困に苦しむのも最低よね。いや、きっと私よりも辛かったはず。最低だけど、下を見たら少し溜飲が下がっちゃった」

「……比べるつもりはありませんが、僕からすれば、どちらも壮絶に思えます」


 ようやくメスティンを引き上げて、ゆっくりと蓋を開ける。そこからキノコと醤油の香りが登って、太郎らの鼻を潜った。その香りだけで、何らかの脳内麻薬が分泌されて、唾液が存在を主張する。口内から溢れる前に、太郎は木皿に二人分を取り分けて、片方をリオンに渡した。彼女は宝石を眺めるみたいに顔に寄せて、目を輝かせて香りに鼻を埋める。それから「はぁ」と、妖艶な響きをほうった。


 太郎が「シメジと乾燥野草の炊き込みご飯です」と料理名を明かした。リオンはギコギコと抵抗するように顔を太郎へ向けて「ありがとう」と礼を一つ。それから伸ばしたゴムが元に戻るように、パチンと首が元の向きに戻った。そう、炊き込みご飯に引き戻されたのだ。


 醤油は味付けだけでなく、白米をトパーズのような深い橙色に煮て、その赤子のような照りで目を引き付ける。するとシメジの香りが鼻を潜って、くにゃりと首を傾げた可愛らしい姿を覗かせる。白米と白米の間に隠れる乾燥野草は、水分を吸って仄かに緑を取り戻し、この宝石軍を彩っていた。それは首に懸かる宝石のネックレスが、その下のドレスによって華やかさを増すような効果を持っていた。


 続けて太郎より託された木製のスプーンで、良質な畑のような柔らかな土壌を浅く掘り上げる。ゆっくりと口元に近づければ、唾液が口内で流れを作りそうだった。我慢ができず口に放れば、塊だった白米が解ける。それから醤油の風味が溶けるように広がって、最後には出汁の味が口に残る。その原因を探してシメジを口に放れば、この全ての味に合点がついた。目元を蕩けさせて、リオンは頬に右手を宛がう。


 一連の動作を観察していた太郎は、戦士的な印象が、潜在的に眠る貴族的な印象に凌駕されていくのを感じた。ふと彼女の魅力に気づいて、思わずスプーンが止まる。それを呼び戻すような炊き込みご飯の香りに、太郎は首を横に振るった。自分もまたスプーンでもって口に放れば、あまりの美味さにギョロリと白目が露出。そして、また瞳孔が定位置に戻ってくる。


 リオンもまた、太郎の食事の様子を見てクスリと笑った。小さく「変なの」と言って、自分も食事を口に運ぶ。


「これが最後の晩餐になるかもしれない。……でも、良い食事ができた。本当に太郎には感謝してる。――ありがとう」

「……正直、結果を保証することはできません。ですが、これまでの人生で僕が学んだのは、自分を信じる人間の強さです」

「自分を信じる、ね。そうね。私が信じなければ……きっと何も始まらない」


 空になった木皿に視線を落として、リオンは静かに微笑んだ。

 ――篝火は、依然として橙色のままである。

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