第17話



 戦闘を繰り広げるボンと蛙龍の周りには、既に亡骸となった鉱山労働者たちが転がっている。彼らは無機質に戦闘を観察しているが、それは太郎も同じだった。俯瞰から観察しているからこそ、ボンの状況が理解できてしまったのだ。蛙龍は舌を伸ばす度に唾液を垂らしている。道中で足を引いた液体こそが、あの唾液だ。敵は戦闘中にも自身に有利なフィールドを構築している。


 やはりボンも足を取られるようで、舌を躱す度に顔を硬直させていた。よほど際どい状況なのだと察し、太郎はボンの右手を大きく回る。ようは、あの唾液から脱出できればいいはず。それには簡単な時間稼ぎが必要になるはずだ。


「おいっ!! 蛙野郎!! こっちに御馳走がいるぞ!!」

「太郎ッ!? オマエは避難しろって言ったろ!」

「ぼ、僕が引き寄せます! 今の内に唾液から脱出して下さい」


 即座に移動するボン、その勢いのまま彼は太郎の下に向かった。額からは汗が滴る汗が、彼の焦燥を現している。その間にも、声に反応した蛙龍が鈍重に太郎を視界に収めた所であった。


「引き寄せるったって、まるで戦えないじゃないか!!」


 敵の口を開く様が、ボンからは嘲笑うように見えた。弱者たる人間が、魔物に立ち向かうから死ぬのだ、と。それは、ここで働く鉱山労働者たちが、外部の者から見下される様に酷似していた。一瞬にして沸点を突破するボン、端正な顔に幾何学的な血管が浮き上がる。激しく瞳孔が揺れて、口からは蒸気が溢れた。


「諸刃ッ!!!」


 ボンのスキル『諸刃』、一時的ではあるが肉体に絶大な強化を齎す――が、同時に著しく消耗する「諸刃の剣」とも言えるスキルである。今のボンだと、僅か1分ほどで命を落としてしまう。その為に、これまで出し渋っていたのだ。しかし、太郎の危機の為に発動するしかなくなってしまった。


 脱兎のごとく粘液から脱出、そのまま蛙龍へと突っ込んだ。鉄色の鈍い光が直線となって蛙龍を過ぎる。その線の到達点に、ボンが立っている。両の手で握られた直剣には、特に何の変化もなかった。しかし、ズルリと蛙龍の頭部がズレてゆく。そのまま地面に降りて、それは自重に押されて広がった。


 あまりに一瞬の出来事に唖然とする太郎。当初は拮抗、ましてや押されていたはずの状況が、瞬きよりも短い間に覆ってしまったのだ。それに見惚れていたから、太郎は背後から迫る気配に気づけなかった。先ほどよりも強大な影が、いつの間にか太郎の身体を覆っていたのだ。


 ようやく気付いた太郎が、ゆっくりと振り返る――も、直後に身体を運ばれた。敵の姿は残像となって視界に残る。それは先程よりも遥かに大きな蛙龍であった。急激に加速をしたから、腰に鈍痛が走る。まるで早送りのように視界が移り変わって、太郎は洞穴の更に奥へと運ばれてしまった。


 ようやく止まったかと思えば、そこは今までよりも遥かに広い通路であった。間違いなく人が通る為のモノではない。ボンの肩から降ろされる太郎、唖然としながら彼を見上げるしかなかった。光源魔法から離れて、暗い洞穴を太郎の持ってきた松明で僅かに照らす。瞬時に蛙龍を無力化したはずのボンは、なぜか目や鼻や口から流血している。額から伸びる幾重もの黒い幾何学模様は、役目を果たしたように明滅しながら消え始めている。すると糸の切れた人形のように、ボンは膝から崩れ落ちた。力なく座り、今度は彼から太郎を見上げている。


「……だ、大丈夫ですか?」

「いや、正直いって最低な気分だ」

「あんなに完勝だったのに、どうしてそこまでの状態に?」

「俺のスキルの影響だよ。一時的に肉体を強化するが、こうして副作用がある」

「……そ、そんな……じゃあ、もう手は無いんですか?」

「残念ながら奥の手だった。もう一歩も動けそうもない」

「そ、それなら、ここから逃げ……るのは、難しそうですね」

「可能性はある。確かに坑道の奥に進んだが、蛙龍には目撃情報があったはずだ。ギルドで見たのを覚えてる。この奴らの作った道の先には、出口があるってことだ」

「ぼ、僕がボンを背負いますから、一緒に逃げましょう!」

「それは駄目だ。どっちにしたって、誰かが時間を稼ぐ必要がある。それは動けない俺の役目だ。……太郎は逃げるんだ」

「嫌ですッ!!」


 まるで振り回すみたいに、太郎は感情を吐き出した。地球から抑圧されてきた全てが、この瞬間に爆発したのだ。過ごした期間は短くとも、ようやくできた仲間を見捨てることなどできない。戦わずして目を逸らすのは、もう耐えられなかった。薄ら笑いと敬語で取り繕っても、そこにある熱だけは誤魔化せない。


「敵は……Cランク相当、いやBランクはあるかも、な。仮に太郎がスキルを覚醒したとしても、とても勝てるとは思えない」

「でも、それでも僕は戦います。どうせ死ぬから自嘲気味に笑うんじゃないんです。――死ぬ時に笑う為に、僕は戦いたい」

「チェッ。……やっぱり、オマエは俺に似てるよ。似すぎてる」


 ズシンッ、ズシンッ――と、大きく鈍重な足音が近寄ってくる。子供を殺されたのだから、当然のように蛙龍が2人を見逃すことはなかった。ゆっくりと立ち上がり、太郎は強大な蛙龍を視界に収める。それは子の二倍ほどはあろう個体で、優に20メートルに到達しているはずだ。しかし、太郎の持っている松明では、この暗い洞穴で蛙龍の全貌を暴くことはできなかった。


 ――動悸がする。


 その鼓動は、太郎の中で徐々に存在を増してゆく。迫りくる大波が、激しく岩を叩くような、雑味のある不規則さが強まってゆくのだ。それは罰を与えられた子供が、地下室の戸を叩くのに酷似していた。がむしゃらに「ここから出せ」と駄々を捏ねて怪我を気にせず殴る。徐々に要求から衝動へと変わり、何かが砕けてゆく感覚だけが沈殿していた。


 それは背信に怒る神の執念、いや執着なのかもしれなかった。人の子ごときが、神の慈悲から逃れようとする浅はかさ、実に愚かである。そこから生じる怒りが、太郎のスキルを高次へと昇華させていく。改変と構築を繰り返されたそれは、もはや単なる「野営」と呼べる代物ではなく、もはや全くの別物に進化しつつあった。


 後は、解き放つだけだ。感覚的に、何かが整ったことを太郎は理解していた。


「おい、怪物。……消え失せろ」


 ポンッ、何らかの破裂音と同時に、松明の火が橙から鈍い赤に、それから何度も弾けて火力を強める。まるで大剣のように、この広い洞穴の天井を刺さんと伸びる。天井付近で翼を広げて、それは強大な十字架を描いた。


「……覚醒した」


 ボソリと呟くボンの声は、既に太郎には届いていなかった。あれだけ広がっていた炎が、瞬く間に太郎の持つ松明へ集約、黒く炭化させてしまった。同時に形までも変化しており、淀みなく黒い木槌となった。そこで、ボンは視界が明瞭であることに気づく。天井を見れば、先ほど弾けた炎が残っている。鈍い赤のままで、洞穴の天井を燃焼させているのだ。


 幾重もの情報の欠片が、太郎の中に感覚的に生じる。それは脳に捏ねられ徐々に形を成してゆく。あとは感情と舌に任せて、船に乗るように言葉を放った。


「杭々(くいっく)」


 雑に振られた黒い木槌は、万物を貫く槍と化した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る