第16話



 ボンを見送った後に、先ほど話かけられていた包帯の男の下に戻った。彼は項垂れるように座っており、呼吸も酷く乱れている。弱った状態で口論をしたのだから、当然のことなのかもしれなかった。太郎の足音に気づいて、ゆっくりと視線を上げる。


「大丈夫ですか? 村まで避難しましょう」

「いや、無理だ。つくづく詰んでいるのさ」

「簡単にあきらめないで下さい」

「周りを見ろよ。俺よりも酷い怪我の奴もいる。動ける奴らが補助をしても、助ける奴を選ぶ必要がある。アンタは人が良さそうだな。誰かを見捨てられるのか?」


 太郎は周囲に視線をやった。他にも怪我人は大勢いる。誰かを助ければ、誰かを見捨てることになる。それは殺人に近い行為で、地球での生ぬるい日々を送っていた太郎には、とても選べそうになかった。


「見ればわかるよ。アンタは我慢している。俺達の側じゃなくて、あっち側の人間なんだって。ボンが選んだんだからな」

「……ですが、彼に迷惑をかけるのは嫌です」

「それが最後だとしてもか? きっとアイツは死ぬぞ」

「僕が行っても何もできませんから」

「俺にはわかるんだよ。これだけ沢山の才能の無い人間を見てきたから、何か特別なモノを持ったヤツが。あのボンや――……そしてオマエだ」

「僕が、ですか?」

「今はまだ気づいていないだけだ。万が一に俺達が全員で生存するのなら、それを成し得るのはボンじゃない。俺はオマエだと思う」

「ボンの才能は理解できます。でも、ボンに出来ない事が、僕にできるとは……」

「……ゴフッ!?」


 唐突に男は血を吐きだした。やや赤黒い血は、何らかの異常を知らせるシグナルのようで、彼が見た目よりも酷い状態だと示している。それは坑道での被害なのか、それとも彼の人生で蓄えた被害なのか、医者ではないからわからなかった。しかし、確信の無い単なる直感が、この男の人生が終わりに近づいている、と告げている。すでに答えは見えているのに、太郎は「だ、大丈夫ですか?」と思わず聞いていた。


「いや、俺は長くない。もう随分と前から分かっていたことだ」

「その……つまり病気だったのですか?」

「まあ最低な人生だったよ。でも、悪くない終わり際かも、な」

「それは何故?」

「最後の最後で、もう一つ光を見たからだよ。いや、最後だから見えたのかもしれないな。もっと早くに見えたなら、きっと俺はここに居なかった」

「すみません。僕には……どうすることも……」

「いいんだ、もう。だが、最後に言い残したいことがある」

「……なんですか?」

「この先の選択は、全てオマエの自由だ。助けるも、逃げるも、そして戦うも。俺の人生は逃げてばかりだった。それでも一度だけ戦った。それで今は鉱山労働者だ」

「正直なところ、魅力的な話には聞こえません」

「かもな。だが、俺は笑って死ぬぞ。冗談みたいに最低な人生だったからこそ、笑って死ねるんだよ。今生に未練もなく、別れを告げられるんだ」

「……それは、何故か僕にもわかる気がします」

「未練なんてのは、余裕のある奴の特権だからな。それは生きる時間を無駄にした証拠なのさ。無駄のない最低な人生に乾杯」


 すでに男は太郎を見ておらず、ふと上に手を伸ばした。そこで何かを掴もうとしたならば、それは後悔なのかもしれない。太郎は鈍重に腕の先に視線をやった。そして思わずクスリと笑う。まるで旗でも掲げるみたいに、彼は大きなピースを作った。皮肉にも曇り空に遮られたサインは、間近にいる一人の男だけに届く。ボソリと、男は「酒の味がするんだ。常に口の中で」と言った。同時に落ちるピース、それに引きずられるように、太郎の視線は男へと戻っていた。


 やがて、男から視線を外して立ち上がる。その瞳に迷いはなく、静かに坑道へと足を延ばす。彼から受け取った、それを口元に携えて。



◇――[ありふれた過去<7>]――◇



 最初に気になったのは、この異臭だった。薄暗い坑道を照らす松明は、ゆらゆらと明滅している。その足元に見える血痕のような跡、だがそれだけの臭いには思えなかった。おそらく、労働者たちの汗の臭いも含まれているのだろう。それは籠る熱に蒸発して、目に見えぬほどの蒸気と化して充満している。そこに付随する彼らの苦労を鑑みれば、異臭で悶えることはなかった。


 あくる日も鉱石を掘り、その報酬は借金の為に消える。どれだけの苦労が、この鉱山に溶けたのだろうか。黄土色の洞穴の壁面に残る削り跡が、それを十二分に想像させた。目の慣れない太郎は、壁面に並ぶ松明を一つ拾って、足元を照らしながら慎重に進んだ。


 ぴちゃん。足元で水が跳ねる。音に驚いて松明を向ければ、何の変哲もない水でしかなかった。岩盤にも思える鉱山に、水が溜まるものだろか、と太郎は疑問を抱えることになった。しかし、今はボンの後を追わなければならない。迷いを振り切って足を上げる――も、そこに単なる水がへばりつく。入れる時は水なのに、引き抜く際には粘性を持つ。とはいえ、歩行を阻むほどではない。普段よりは力がいるが、前進する分には問題が無かった。


 慎重に進んでいるからか、少し前に入ったはずのボンに追いつくのに随分と時間を要している。道中で魔物に出会えば、対処できる訳がないから、仕方のないことではあった。そんな道中にて、太郎の思考は粘性の液体に置かれる。異世界とは不思議なもので、場合によって状態の変わる液体があるのか、と感心していた。


 それがどのような魔物から生じるのか、その最たる問題点を放置して。そうした油断は、すぐに形となって姿を現すことになる。薄暗く狭い、まるで動物の喉のような坑道から、臓器を揺らすような低く鈍い音が鳴り始めた。それは太鼓のように連なって、奥へと琴宇を招いていた。


 いつの間にか、ペンキを散らしたような赤が、坑道の壁面に散っている。黄土色から赤へ染まる道に、いつの間にか琴宇は身を震わせていた。


 そうして、遂に開けた空間に出た。ドーム状に掘り抜かれた広間には、壁面に添って足場が備わっている。ありふれた鉱山とは異なる様子に、静かに感心することになった太郎。だが、すぐに思考が切り替わって、暗いはずの坑道が明るいことに意識がいった。上を見れば中心部には魔法陣、その直下に光の球体が浮いている。まさしく魔法の成す威光に、太郎は感心してしまった。


 そこから視線は降りて、太鼓のような音の中心部へ向けられる。そこにはボンの姿もあって、その対面には不気味な化物がいた。額から長い触角を二本もぶら下げて、大きな翼を伸び伸びと広げている。全長は10メートルを超すだろう。幾つものイボを体表に纏う、カエルのような顔立ちの龍、それが琴宇の得た印象であった。


 ヤツが舌を伸ばす度に、ボンは身体を捻って躱している。流石の体捌きではあるものの、通り過ぎた舌が鉱山にぶつかって太鼓の音を鳴らした。その度に地響きが足元を揺らして、一度でも当たれば決着がつくと報せている。

 

 太郎は知る由も無かったが、あれは「蛙龍(かわずりゅう):フロッゲン・シュタイナー」と呼ばれる、一帯の主である。希少性から戦闘報告はないものの、縄張りから見つかる他の魔物の死骸が、かの者をCランクは優に超える存在だと示していた。


 ――無論、二人からすれば遥かに格上の存在である。


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