第15話

◇――[ありふれた過去<6>]――◇



 あの樹海から走って30分ほど。太郎の予想していたよりも、ずっと近場にあったようだ。それだけ靄が彼の距離感を殺していたのだ。一度でも入れば簡単には出られず、幾人もの人間を飲み込んできた富士の樹海、それに近い原理なのかもしれない。額に生じる大粒の汗を拭いながら、太郎は腰を曲げて膝に手をついていた。それでも倒れず、何とか鉱山に視線をやる。


 まだ緑が多く残るが、坑道の入り口付近は削られており、そこに土と岩の中間のような肌を覗かせている。5人は並んで通れそうな広い入り口には、乱雑に太い木材が宛がわれており、労働者らの生への執着の度合いが垣間見えていた。


 そんな入り口の前に、幾人もの負傷者が倒れて、無事に済んだ者らが対応に追われている。借金苦になるような彼らに、医療のまともな知識などあるはずもなく、言い訳のように巻かれた汚い布が、むしろ何らかの感染症を引き起こしそうだった。彼らの多くは疲弊して俯き、ここから逃げることさえ難しそうだった。


「……ついてこなくていいのに」

「そんなことを言われても、放っておけませんよ」

「同情は身を滅ぼすぞ?」

「でも、今は仲間です。ここで見捨てるのは違うと思いました」

「ありがとう。だが、いざとなった逃げろ。借金苦の鉱山労働者の命なんて、誰も何とも思ってない。だから助けが来るとは思うな」

「……わかり、ました」


 異世界に抱いた幻想が、現実となった途端に崩れていく。あのホーンラビットに襲われた時から、太郎に蔓延っていた慢性的な油断が死に始めている。緩慢に動く歯車が狂い、もう真後ろまで現実が迫っていた。


 坑道の入り口に倒れる労働者の一人に、ボンが駆け寄った。彼は汚い布を巻かれた男の中から、まだマシな状態の者を選んだ。


「中で何があった?」

「……オマエは、もう部外者だろ。戻ってくるんじゃない」


 男の視線は酷く冷たかった。しかし、それが言葉通りの意味ではないことは、誰が見ても明らかだった。あの酷く醜い故郷を見れば、村の大人が子供を追い出したい気持ちは理解できる。だからこそボンは、彼の言葉に対して冷静だった。


「俺の性格は知っているだろ? どちらにせよ中に入る。本当に助けたいなら、素直に情報を渡すことだな」

「相変わらず感謝の欠片も無いヤツだ。助ける方が馬鹿らしくなる」

「俺にとって馬鹿は誉め言葉だ。それに馬鹿はお互い様だろ」

「チッ。今回ばかりは無理なんだよ。誰にも何もできない。死にに行くだけだ」

「……わかった。もういいよ」

「行くな! 村の魔物とは訳が違うんだ!」

「俺の選択に口を出すな。俺の人生は俺が決める」

「俺らとは違うってか!? オマエはいっつもそうだ! だが数少ない村の子供で、無駄に命を落とすところは見てられない! たまには大人の言うことを聞けよ!」

「どうせ人は死ぬさ。それも唐突に、何の尊厳さえも無く、全くの無意味に。結局えらべるのは生き方くらいだ。なら、俺は曲がらない。自分の意思に従って死ぬ」


 ボロボロの男は何も言い返さなかった。ただ入り口へ進むボンを見送っている。その言葉に詰まる意味が、自分たちへ向けられているのだと理解したからだ。毎日を無気力に過ごす、生きる方向さえ失い人形と化した者らへだと。慌てて太郎は執着なく進むボンの後を追った。


「……悪いな、太郎。オマエは残ってくれないか?」

「やはり危険なのですか?」

「あぁ。スキルの使えない状態じゃ足手まといだ」

「ですが、せっかく仲間になったのに」

「だからだよ。ここで死んで欲しくない」

「僕も同じ気持ちです」

「誰かが残って時間を稼ぐ必要がある。負傷者がいる以上は移動が遅れるからな」

「……それでも、一緒に行かせてはくれませんか?」

「――駄目だ。それに、俺だって死ぬつもりはないさ。時間を稼ぐだけだ。その間に太郎は、村まで皆を先導しれくれ」

「その……どうして、そこまで彼らを?」

「あの借金苦の村じゃさ、子供を一夫婦で育てるのは無理なんだよ。だから、村の子供は皆の子供なんだ。金を寄せ集めて、皆で耐えるように暮らすのさ。たった一人の子供を育てるのに、何人も犠牲が出る」

「そんな事情があっただなんて……」

「頼むよ。あの人たちを守ってくれ」

「…………わかりました。村の人たちは責任をもって送ります」


 そこで太郎は足を止めた。坑道の暗い入口へ進むボンを見送るしかない。これほどまでに力不足を悔いたことはなかった。嫌な予感が足元から這い上がってくる。それは彼の身体を隅々まで覆い尽くして、何倍も重くして前進を阻んだ。少しだけ開いた口から、罪悪感を逃そうと呼吸をする。脳内にのみ列挙される言い訳は、どれも太郎の心を軽くはしなかった。


 ……あぁ、僕に力があれば――太郎の後悔は、音にならず沈殿する。

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