第14話

◇――[ありふれた過去<5>]――◇



「ここなら商人さえ通りかからない。俺の故郷の近辺だからな」

「まさか途中で通り過ぎた、四捨五入したら廃墟の村が故郷ですか?」

「随分な言いようだな。とはいえ、その通りだ。ほら、ぼんやり見えてるだろ?」

「あの遠くの山ですか?」

「そうだ。あれが鉱山になっていて、ロンディーンで莫大な借金を作ったヤツが放り込まれるんだ。俺の両親が働いていた」

「……過去形なんですね」

「劣悪な環境だからな。二人とも死んだよ」

「すみません。上手く気を遣えるタイプでもなくて……」

「いいよ。どうせ人は死ぬから」

「……それで、この森で検証を?」


 背の高い木の乱立する樹海、地面は柔らかい腐葉土で、木片や枯葉の湿っぽい臭いを漂わせている。雨の多い地域のようで、太郎は道中で幾つか水溜まりを踏んだ。そこから発生する僅かな蒸気が、この森を湿っぽくしている。そのおかげで呼吸の度に腐葉土の香りが鼻に残り、それは味覚に作用して最低な居心地を作っていた。


 むにゃむにゃと口を動かしつつ、つい昨日のことを太郎は思い返していた。あれからボンに教わって薬草を採取、その後にギルドへ報告、一回の食事分にさえ満たない報酬を受け取って、それを居酒屋で酔っぱらう魔法使いに投資、一杯分の酒を錬成する代わりに、太郎は魔法で傷を癒して貰った。一連の流れはボンの処世術で、実際にロンディーンで医者に掛かるより遥かに安く済むんだそうだ。おかげで多少の痛みが残るだけ。そこらへんは魔法使いの腕前によるらしい。


 ボンは近場の木に寄りかかり、未だに鉱山の方を見ている。ぼやけて見える原因は距離ではなく、この湿気のせいで薄く霧が立っているのだ。その曖昧な視界の中に、彼は両親の姿を探しているのかもしれなかった。そんな少年とは対照的に、太郎は移動に腰を落とす。尻が湿って冷えるが、昨日の件もあって疲労困憊である。


「……悪い。スキルの検証をするって誘ったのに、少し暗くなっちまったな」

「気にしないでください。僕の会話が拙かったせいでもありますから」

「それは一理ある」

「そこは否定するところでありませんか?」

「時と場合によるさ。それより、早速だが検証を始めるべきだ」

「あまり期待しないで下さいよ?」

「まずは名前から聞こうか」

「というか、名前しか知りません」

「貧乏人の中じゃあるあるだな。で?」

「『野営』です。おそらくサポート系のスキルかなと」

「ふ~ん、『野営』ね。でも異世界人だしなぁ……」

「その……越界召喚特典みたいのがあるんですか?」

「ハハハ、面白い表現だ。それに正しい認識だと思う。滅界龍を討伐する為に、過去にも越界召喚があった。そういうのに頼るってことは、それだけ異世界人が強力だからってことさ。ま、俺も詳しくは知らない。野性的な教養しかなくてね」

「強力なサポートスキルかもしれないわけですか。……すみません。正直いって失望しましたよね? 戦力には程遠いわけですから」


 うつむく太郎を見て、ボンは「は?」と疑問気に言った。本当に虚を突かれたようで、彼は直ぐには言葉を続けられなかった。


「昨日の今日でもう忘れたのか?」

「な、何かありましたっけ?」

「人柄で選んだんだよ。死に際に笑うような馬鹿をさ」

「…………」


 思わず返答が喉に詰まる。その言葉だけで、太郎は随分と救われていた。ギュッと奥歯に力を入れて、溢れようとする涙を抑える。昔から涙は堪えるタイプで、だから可愛げが無いんだ、と親に言われたことまであった。それ以来は自分を否定するのが特技になって、人と会話をする機会も減った。次に口を開いた時には、自分の色を隠す為に敬語がこびりついていた。それは涙で流しても落ちず、太郎の心の闇に深く根を張っている。


「それに俺の野望にも合ってる」

「……それは、どうしてですか?」

「経費削減になるかもしれないからだ。金を稼ごうとすれば、どうしても魔物を狩る必要があるだろ。しかし、国の近くに出没した個体は王国軍が対処をする。そうなると冒険者は、おのずと遠征に向かうしかない」

「狩猟依頼は稼げるのでは?」

「そうさ、稼げる。だが、冒険者組合には厄介なルールがある。必要以上に魔物は狩れないんだ。魔物からの臨時報酬には期待ができないから、常に遠征費と報酬の塩梅を気にする必要がある。そこで、もし遠征費が節約できたなら?」

「そ、それが臨時報酬になる……」

「ご名答。それに受領する依頼の幅まで増えるだろうな」


 ボンはニンマリと笑いながら言った。金の話になると急に少年らしさを取り戻すのだから、この男は底が知れない。どうやら同情から慰めている訳でもなさそうで、それは太郎の承認欲求を満たしていた。仄かに笑みを滲ませて、太郎は立ち上がった。すると尻に風が当たって、嫌な湿り気が生じる。それに苦笑するだけの余裕が、今の彼にはあった。そして、尻の木くずを落とす為に、両手でパンパンと叩く。


 ――瞬間、パチンパチンと音がなった。


 やけに瑞々しい感触に、流石の太郎も看過できなかった。馬鹿げている、そんな訳が無いはずなのに……そう念じながら、鈍重に己が尻を擦った。秋口に顔を覗かせる時期の早いシイタケのような瑞々しさ、やけにツルンとした手触りが太郎を迎える。その感触は人の肌に他ならない。


「ボ、ボンさん。まさかとは思いますが……し、尻に、尻に穴が?」

「そりゃ人間だからな。肛門ってヤツは誰にでもある」

「違います。肛門ではなく、僕のズボンは破けているのですか?」

「…………趣味じゃなかったのか?」

「そんな趣味の人間がいると思いますか? ……いや、いますね」

「そうだ、いる。そして、それが太郎だろ」

「どうして確信を抱いているのですか!? 僕は健全な性癖の持ち主です!!」

「俺を謀るつもりか? 出会った瞬間から尻を出していたくせに。ホーンラビットにズボンを破る器用さなんてない。アイツらは跳んで角で刺すだけ。そこから導き出される結論は一つだけ。最初から太郎は剥き出しだったってことさ」

「馬鹿げた話だ。最初から剥き出しなんて有り得ない。……待てよ」


 その瞬間に太郎は想起する。あのロンディーンの王城から追い出される時に、自分が無気力に引きずられていたことを。更には人々の違和感のある視線に、何故か呼び止められた経験。全てのピースが嵌って、パズルは一つの絵を描いた。


「……取り合えず、保証させて下さい。僕は健全な性癖しかありません。これは事故で……尻を出していただけです」

「事故で……尻を出していただけ? こんなにも長い時間? まさかとは思うが、俺を何らかのジレンマに嵌めようとしていないよな?」

「そ、そんなことは。た、只単に、こんなにも長い時間、尻を出していました」

「……………さて、検証を始めるとするか。まずはスキルの扱い方から説明するぞ」

「えっと、今、考えるのを放棄しませんでしたか?」

「スキルを扱う際に重要なのは『意識の作り方』だ。ようは簡単にスキルを発現できる共通のイメージがあると思ってくれ」

「胸が苦しいです。……あっ、そっちの意味じゃないですよ」

「あくまでスキルとは、神から与えられた異物だ。もちろん恵みではあるが、今は置いておこう。頭の中に自分のシルエットを描くんだ。顔とか詳細なところは要らなくて、本当に形だけでいい。まずは目を閉じて、そして描け」

「形だけ……描く。人体のシルエット」


 言われるがままに、瞼を落として太郎は描いた。脳裏に人型が出来上がると、それは徐々に自分の形となる。それが完成した時に、太郎は何らかの違和感を感じ始めていた。深くにあるスキルを感じ取った訳ではなく、単純にシルエットそのものに違和感があったのだ。それを注意ぶかく探れば、やがて原因の発見に至る。とある場所に線があるのだ。余計な線が一本だけ入って、そこに桃を描いている。ボンは眉間に皺を寄せる太郎を見て、その集中力に感心していた。


「……いい感じだ。今度は色を塗るんだ。何色でもいい。そのシルエットに、自分の抱く色を塗るだけ。ただ感じるがままに、自分の形に色を落とせばいい」

「い、色を……塗るだけ。で、でも、ちょ、ちょっと待ってください。まだ、イメージが甘いような気がして……というか、シルエットの前後というか……」

「大丈夫、最初は誰だって怖いさ。自分の中にある異物を探るのってさ」

「あの……あんまり伝わっていないような……」

「俺が保証する。すごく順調だから、色を塗ってみるんだ」

「わ、わかりました。色を……塗ればいいだけ」


 順当にシルエットを描けば、それは正面を向くはずだ。そして構図として、自分の心理と正面から向き合うことになる。シルエットに色を塗る過程で、ある一部だけが他の色に代わる。誰であろうと、意識外の介入には逆らえない。それは神の与えた心理の不可侵領域である。


 しかし、この時の太郎は一般的な思考とは乖離して、描いたシルエットに後ろを向かせていた。ズボンに空いた尻の穴が気がかりで、それをイメージに反映させてしまったのだ。何の悪気も無い、単なる偶然でしかない。しかし、それが致命的だった。


 何故ならば、それは『背信』に他ならないからだ。


 ボンに急かされるがまま、太郎は背中に色を落とした。できる限り意識を殺して、自分の中に浮かぶ色を宛がう。彼の本質である「黒」、陰の色だった。まるで何かの容器みたいに、シルエットの足元から黒が這い上がる。それは微かに波打ちながら、容器の隅々までを満たしていった。


「どうだ? 順調ならシルエットの一部だけが違う色になっているはずだ」

「えっと……あの……」

「わかるよ。俺も最初は驚いたさ。でも、それが神様の力なんだ。貧困には散々に苦しめられたから、昔は神様なんて信じていなかった。だが、この瞬間ばかりは信じざるを得ない。神様の存在を身近に感じるよな?」

「……その、塗れました」

「ぬ、濡れた? この時間を使って何をイメージしていたんだ?」

「違います! シルエットが黒一色なんですよ!!」

「そりゃシルエットだからな。まだ色を塗っていなかったのか?」

「え? 普通は黒から始めるんですか?」

「そりゃ黒だろ」

「その……白から初めて、黒く塗って、更には尻を向けて」

「おいおい太郎、もうそのフェーズはいいだろ。ただでさえ学が無いんだ。俺の頭はガキのあやとりみたいに絡まってる。頭痛がしそうだ」

「いや、別に冗談を言っている訳でも、からかっている訳でも無くて――……」


 ――ボゥンッ!!!


 太郎の言葉は、鳴り響く爆発音に遮られてしまった。その数秒後に、僅かな風が彼らの頬を撫でる。誘引されるがままに、彼らの視線は発生源である鉱山へ向かった。いつの間にか靄が晴れて、すっきりと森の木々が姿を現している。その緑が、彼らにはやけに主張が強く見えた。

 

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