第12話

◇――[ありふれた過去<3>]――◇



「はぁッ、はぁッ、はぁッ……」


 右腕から滴る流血は、道に太郎の痕跡を残し続けている。それを辿って追いかけてくる兎が二匹。どちらも角を生やして、口の端から牙を覗かせて、地球のそれとは全く違った表情をしていた。飢えに涎を垂らし、狩りに頬を綻ばせて、弱者を追い回す様は自然の理を示す。


 ……僕は死ぬのか? そんな思いが、太郎に迫る。それは小さな悪意となって、背後から彼を飲み込もうと肉薄している。強靭な腿を伸ばして、一匹がビュンと跳んだ。どちらにせよ目で終えないから、太郎にとっては弾丸に等しい。腹部を裂いて通り過ぎる白い兎は、角の先から赤いラインを引いていた。生じる痛みが、あれは自分の血だぞ、と語りかけてくる。


 直角に曲がって、正面の悪意を躱した。しかし、腹部と腕からの流血が、太郎の視界に擦りガラスを咬ませる。前進する度に伝わる振動が、一度ごとに血を撒き散らす感覚があった。徐々に強まるドクドクとした感覚と共に、周囲からは音が消えて意識が遠のいていく。


 ……あぁ、この足が止まった時に、僕は死ぬのか。


 いつの間にか頬を涙が伝う。少子高齢化、嵩む税金、返らぬ年金、長引く労働、広がる格差、瓦解する人権、自害する若人――あぁ、異世界とは素晴らしい、そう太郎は願っていた。未来に絶望する若者は、ろくに現実を見ずに逃亡する。生じる楽観視と他責思考に身を任せて、楽な方に落ち続ける。しかし、どこの世界も残酷で、その根本は弱肉強食に陰陽一体である。もっと真面目に就活をしていれば、なにか結果は変わったのだろうか。原因を探すも、それを見つけるより早く兎が彼を囲んだ。


 足は止まって木に背中を預けて、迫る悪意に死を覗くだけとなった。この1メートルもない距離が埋まった時に、自分は終えるのか。成熟した恐怖は果実を落として、ぼちゃりと地面で拉げる。太郎の脳裏にだけあるそれは、やけに赤々と広がった。


 ――そして、兎は跳んだ。


 不思議なもので、やけに鈍重に見える。一瞬で終えれれば、どれだけ楽だったか。じんわりと胸に染みる絶望が、太郎の口角を持ち上げた――が、その瞬間に兎が吹っ飛んだ。視界に残ったのは鈍く光る鉄色だけ。取り戻した冷静さが視野を広げて、そこに一人の少年を描いた。年のころは十代半ばくらい、グレーの髪に瑠璃色の瞳は、ここが異世界だと太郎に示唆する。


「俺の名前はボン。スラム育ちのド平民だ」

「……僕は就活太郎です。助けてくれて、ありがとうございます」

「いやぁ、礼には及ばないよ」

「人格者ですね。命を救っておいて謙遜だなんて」

「いや、違うよ。俺は君を見捨てようとしていたんだ。死体を漁りたくて」

「……え?」

「でも、君は死ぬ間際に笑ったろ? だから助けたんだ」

「り、理解が追いつきません」

「あと一匹だけ残ってるだろ? あれも倒してやるから仲間になってよ」

「し、しかし……」

「断るの? 死ぬだけだよ」

「わ、わかりました。仲間になります」

「良い返事だ」


 左手には盾を、右手には剣を持っている。将棋のような五角形の盾は、将棋とは逆の向きが正位置だ。どちらも何の変哲もない品で、ボンの服装も平民丸出しのボロイシャツとズボンである。とても強そうには見えなかった。


 しかし、彼は踏み込んだ。躊躇いなく眼前の兎へ向かって。対する兎も跳んで、一縷の迷いもなくボンの胸を目指す。身をよじりながら盾を振るって、ボンは兎の突進を弾いた。だが絶命はせずに、横に木に着地して腿に力を蓄える。ボンから受けた反動を使って、先ほどよりも、ずっと早く兎は跳んだ。吸い込まれるように胸に向かってくる兎に向けて、ボンは剣を伸ばした。地面を蹴る爪先から、斜め上を射る直剣が歪みの無い線を描いた。


 その際に、太郎は彼の美技よりも、その口元に目を奪われていた。外れれば死ぬだろうに、彼は笑っていたのだ。死を受け入れるのではなく、嘲笑っている。


 気づけば事が終わっていた。ボンの持つ剣の先に、顎先からケツまで貫かれた兎が刺さっている。そのまま剣を軽く振り上げれば、兎は抜けて真上へ飛ばされた。降りて来る際に、二振りだけ線を描くボンの剣。鉄色の輝きは、兎を通って三等分にしてしまった。角と頭部と胴体に別れて、頭部以外の部位をボンは盾に受け取った。剣を腰の鞘に戻し、盾から角と胴体を拾う。足を持って胴体を吊れば、頭部を失った首から血が溢れた。


「角は換金できる。食費が勿体ないから胴体は食おう。本来は不味くて価値がつかないが、栄養素だけに着眼すれば悪くはないんだ」

「僕より若いのに、君は凄いな」

「とても強かだろ? 俺の美点だよ」


 ボンは照れもせず答えた。その言葉と仕草は、太郎を魅了するに十分であった。異世界という隔絶された辺境で、ふと木漏れ日が足元を差すようで。この世界の果てなき魅力を前に、また太郎は笑みを零した。




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「あとがき」

▷申し訳ございません。一週間ほどですが、宇宙を探索してまいります。


「レビュー」

▷タイトル:Starfield

▷評価

・やはり「ベセ○ダ」のゲームだなという印象。私は好きです。美点から浚うと、他のゲームの追随を許さないコンテンツ量が一点。こればかりは「スカイ○ム」時代から変わらず、素晴らしいとしか言いようがありません。とはいえ、それを欠点に感じる人がいるのも確か。本作を楽しむにあたって、最も重要視するのは「自分のロールを決めること」かもしれません。例えば「暴君(殺戮主義)」なのか、あるいは平和を目指す「英雄(説得主義)」なのか、このたったの二択だけでも、あらかじめ方針を定めておくと膨大な選択に後悔をし辛いかもしれません。膨大と言えば、本作は宇宙に言及した作品、正直いって広すぎます。ここで一つ、とあるタスクの経験談を置いて行きます。ある男「潜入の為に助手に応募するんだ」、私「行ってきマッスル」と言って、宇宙に飛び出す。マップを開くと、惑星から離れた位置に衛星? らしきものがあるらしい(何故かファストトラベルができない)。私「全速力もいもい!」――……5分後、私「あれ? 遠いな」。リアル時計をチラ、私「歯ブラシするか」と宇宙船を全速力にしたまま放置――……5分後、私「あれ? 遠いな。仕方がないからソシャゲで時間を潰そう」、トゥルントゥルントゥルン、ボウンボウンボウン、4294967294×12、脳汁ブッシャー。更に10分後「あれ? 遠いな」、目を擦りまくる。私「はぁ、仕方ない。少し小説を休もう」――……今に至る。


※追記

▷完全に私の勘違いでした。どうやら操作を勘違いしてしまっていたようです。複数勢力の絡む、非常に興味深いタスクに仕上がっています。大満足です。





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