第8話

◇――[昇る朝日]――◇



 すっかり夜も深まり、静寂が瓦礫山脈を支配している。夜空に光る星々の輝きが、やや煩く感じるほどの静けさであった。篝火のおかげで夜風に冷やされることはなかったが、それでも会話に適した時間はとうに過ぎている。巧妙な聞き手と化していたリオンは、唐突に止まった語り部の太郎に不満を向けていた。その視線に気付いているはずなのに、太郎は味付けを終えたパスタを盛り付けている。それを受け取りつつも、リオンは不満をぶつけずには居られなかった。


「……つ、続きを聞かせるのだ」

「明日は聖剣を取り返しに行く予定です。これ以上の夜更かしは響きますので」

「おい! 我をたばかるつもりか!」

「不可侵領域を設けると言ったはずです。この先は僕のスキルに関わる話がでてきますから、不用意には話せません」


 理路整然と論破したはずなのに、リオンからの返答はなかった。彼女はパスタを口に含みながら「う、うますぎ」と頬を染めて恍惚としている。あまりの美食に語彙力を失って、ただパスタを胃に流す装置と化していた。一口、二口、三口と進むフォークは、パスタを取る度に踊り子のように皿の上で回る。その軽快なリズム感はパスタの消費と連動しており、あっという間に皿は平らになってしまった。悲しそうに皿を見下ろしながら、ふたたび彼女は開口する。


「……クソッ。明日の働きには期待させてもらうからな」

「自分の失敗であるはずです。僕は左手を添える程度の助力しかしませんよ」

「意味のわからん言い回しをするな、異世界人。……とはいえ、関係の浅い我に多少の過去を明かしてくれたのも事実」

「褒美を頂けるのですか?」

「……我のスキルは『擬音』である。これ以上は、オマエの過去と交換だ」

「なるほど、商売上手ですね。……今日は天幕を譲ります。僕が見張りをするので、明日の為に力を蓄えて下さい」

「わかった。……明日は必ず我が名誉を取り戻してくれようぞ」


 並々ならぬ決意を胸に、リオンは天幕に消えていった。視界の隅で見送りつつ、太郎はチラッと周囲に視線を這わせる。ボーっと篝火を眺めつつ、そこに適当な瓦礫を一つ放った。ものの見事に瓦礫は燃え上がる。木材でもない瓦礫を餌に、篝火は火力を増しているのだ。この篝火は他者の感情を反映するだけでなく、どのような素材でも火を維持することができる。篝火に両手を向けて、腕を通して熱を身体に迎える。ほっと一息を吐きつつ、また周囲に視線を這わせる。太郎は頬を掻きつつ、また篝火に視線を戻した。まるで夜に溶け込むように黒く染まっては、また特有の橙色を取り戻す。その明滅は、時に黒目を覗かせる瞬きに酷似していた。


 ――椅子が欲しい。


 不意に欲望が漏れる。ここまで利便性の高いスキル野営を所持しつつも、太郎には目下の悩みがあった。それが「椅子」だ。今は魔物の毛皮を尻に敷いた状態だが、あの地球のような背の低いキャンピングチェアが欲しかった。ステンレスのカップのような単純な品は特注で入手できたが、こと機構を含むキャンピングチェアは中々に手が届かない。あるいは技師が見つかれば……と、太郎は口元をほころばせる。


 その下卑た視線はリオン、もとい赤の勇者の眠る天幕へ向かった。魔法大国のガーデニアだとすれば、ロザリッテは技術大国である。うまくリオンの下で活躍ができたなら、豪快な彼女のことだから褒美をくれるかもしれない。今はガーデニアのギルド所属のXランク冒険者だから、敵対国に向かうのは憚られた。だが、彼女に設計図を授けて、その制作物を受け取ることは可能だろう。この依頼は、太郎にとっても旨味のある話だったのだ。


 そうして、また篝火に視線を戻す。ふたたび夜に馴染んで、今度は元の橙色に戻らなかった。だから、また太郎は周囲に視線を這わせる。すると、ようやく橙色に回帰してくれた。やはり、見張りをリオンに任せないでよかった、と太郎は笑む。何事も塩梅が重要なのだ。個人の対応量を越える可能性がある時こそ特に。そして、太郎はパスタを口に運んだ。


 ――ギュルンッ。また白目が眼球を支配する。


 すぐに瞳孔が復帰して、彼は素早く首を左右に振った。……危ない、また気絶しかけたぞ、と視線を周囲に這わせる。それから皿に戻して、シオデのペペロンチーノを眺めた。元来、ペペロンチーノはニンニクの旨味を活かしたオイルと黒胡椒のパスタだ。これを日本人が食した場合に、若干の旨味不足だと感じる人もいる。だから、日本で紹介されるレシピの中には、白だしを含めるモノもあるのだ。そこで、太郎はシオデのブイヨンを使った。甘みのある濃厚な野菜出汁は、ニンニクに引きたてられて相乗効果を起こしている。口内に含んだ瞬間にニンニクの香りが広がり、その後に山菜の旨味が爆発するのだ。やはり、この世界は面白い、と太郎は笑む。


「ミルクとチーズ、それに卵があったらな。シオデパスタのカルボナーラ仕立ても試みたかったところだ。この特有の甘未が、カルボナーラで爆発する予感がある」


 なんて不満を漏らしつつも、パスタを味わい尽くし道具を片付け始める。整頓の間も小まめに篝火と周囲への視線を忘れずに這わせて、あっという間に天幕と篝火と毛皮だけが残った。微かに痛みを孕む尻を撫でつつ、太郎はボーっと篝火を眺める。火炎はたまに夜に馴染んで、時間の経過とともに存在感が薄れていく。


 この時間こそが野営、もといキャンプなのかもしれない。ただ自然の中で昇る火を眺める。燃料の弾けるパチパチという控えめな拍手に近い音に耳を澄ませて、自分の存在そのものを自然に溶かすのだ。一度として同じ形をとらない火は、その輝きと動きで人を魅了する、芸達者な語り部と化すのだ。彼の話声は小さく、耳を澄ませなければ逃げゆく。いつの間にか集中状態に陥り、自分の存在だけでなく時間さえも自然の中で液体化してしまった。


 やがて、篝火の背後に朝陽が忍び寄り、観覧者の目を突く。それで正気に戻って、太郎は両手にフーッと息を吹きかけた。流石に諦めたのか、ついぞ火が夜に馴染むこともなくなっている。また網を置いて湯を沸かす。コポコポと水の呼気が強まれば、天幕から布の擦れる音が聞こえた。


「……ふぅ、今朝は寒いな」

「瓦礫山脈は魔素が濃く、周辺の気候より寒くなる傾向がありますから」

「魔素は冷徹である、か。よく授業で習ったものだ」

「さて、今日は決戦の日になります。これを飲んでエネルギーを蓄えて下さい」

「ほう、これは?」

「お手製の山菜茶です。多くの薬効を持ちますが、製法は秘密です」

「……あ、美味しい。この山で採れた山菜から作ったのか?」

「いいえ。常に乾燥茶葉を持ち歩ているんです」

「仕事のできる男だ。これで敵国の所属でなければ完璧だった」

「我々が敵対する瞬間は、国が戦争を決断する時です。ですから、今は国境に付随する蟠りを放棄しても、多少の不満が生まれるだけで許されるはずです」

「……なにか望みがあるのか?」

「もっと効果的なタイミングを選ぶつもりです。今は聖剣の奪取に集中しましょう」

「確かに、あの古龍と相対するのだから……気を引き締めねばな」


 リオンの表情に緊張が宿る。太郎は現場を目撃した訳では無かったから、どれほどの時間を彼女が瓦礫山脈の主と共にしたのかはわからない。ただ、表情の中に僅かに恐怖が含まれるのは、篝火を通さずとも察することができた。多少のリラクゼーション効果はあれど、その緊張を山菜茶だけで解すことはできない。そこから踏み出せる者だけが、その先を望むことが出来る――まさしく勇気だ。


 サッと荷物を片付けて、太郎とリオンは立ち上がった。彼女の視線は、昇りゆく朝陽へと自然に向かっていた。


 

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