第9話

◇――[古龍の巣]――◇



 瓦礫山脈の道のりは険しい。この乱れる重力に阻まれ、到着は夕暮れ頃だろう、と太郎は想定していた。しかし、流石は技術大国ロザリッテである。どうやってリオンが険しい道のりを越えて逃げてきたのか、彼女は周辺の重力を探知するドラゴンボー○レーダーのようなルックスの装置を所持していた。となれば、単純に足場の悪い山でしかなく、太陽が頂点に昇るより早く古龍の巣に到着できた。


「この一帯は特に冷えるぞ」

「古龍が縄張りを示す為に魔力を放出しているのです。普段は必要がありませんが、部外者を警戒しているのでしょうね」

「つまり、既に我々は気付かれていると?」

「かもしれませんし、先日の訪問があってかも」

「まあいい。不意打ちなんぞ弱者のやることぞ」


 古龍の巣、もとい洞穴は、明らかに人為的である。正確には龍種による精巧なガラス細工に近く、複雑な形状の瓦礫をタイルのように精緻に組み上げた逸品と言える。だから、地面と天井は並行で、壁は垂直なのだ。これを洞穴と呼ぶのは、瓦礫山脈のような廃棄所を見下ろす素人類の傲慢なのかもしれなかった。とはいえ、洞穴の頭上や隣には瓦礫が雑に重なって、冬場のかまくらに近い形状でもある。わびさびを感じざるを得ないアンバランスさがあった。


 最大限に警戒をするリオンの後に続いて、太郎は何気なく侵入した。奥に進むにつれ強まる冷気、それは侵入者への拒絶であるのに、不躾な来客者である二人は足を止めず進み続けた。纏わりつく冷気が悪寒に昇華されるも、リオンは眉間に皺を寄せる程度で済ませる。あの山菜茶のおかげか、酷く落ち着いている自分に驚いていた。


 ――やがて、古たる存在が姿を現す。


 それは荘厳であり、華麗でもあった。他を圧倒する存在感を遺憾なく示し、空間が圧縮したような錯覚をもたらす。青と銀を混ぜたような複雑な龍鱗を備え、三本もの純白の角を額から後方へ伸ばし、山羊のようにクルリと前に向ける。繊細にも見える細い胴から、枝を伸ばすような腕を畳み、身体を丸めて眠っていた。二枚に別れてはいるが、薄い翼はマントのように見えるほど柔らかである。


「古龍よ……我が聖剣は何処だ?」


 僅かに姿勢を下げて、膝に余力を蓄えて攻撃に備える。一縷の油断もなく、リオンは古龍を見ていた。応じて古龍は億劫そうに瞼を上げる。瞳を半分ほど覗かせて、三本しかない指の一つを立てた。それをなぞって見上げれば、平らな天井に聖剣が刺さっているではないか。よほど執着があるのか、隙を晒すのを躊躇わずリオンは跳んでしまった。そうして、聖剣を握った途端に――大きな口が彼女を捕えた。


 驚くほど簡単に呑み込まれて、リオンは消えてしまった。それでも太郎は微動だにせず、静観を貫いていた。次の瞬間、太郎の視界は赤く染まる。開けた僅かな視界から、古龍の盛大な流血を覗いた。それは腹部から舞って、この洞穴を疎らに染色していく。縦に裂けた古龍の腹から、リオンが飛び出して来た。その背に「ザンッ!」の擬音を背負って、彼女は太郎の前に着地した。


 直後に流血が巻き戻る。疎らに散ったはずの全てが古龍へ突進、その腹部に吸い込まれていった。やがて扉のように腹部の傷まで閉ざされて、古龍は原型に回帰する。濡れた視線を二人に向けて、ペロリと舌で自分の鼻先を舐めた。


 ――彼女の前では死などである。


 誰かが瓦礫山脈の古龍に向けた言葉だ。回帰龍:エメロッテ・アーバンティヌス。その古龍たる威光を持って、魔生物指標のXランクに君臨する覇者。無論、人の計りえる領域からは逸脱しており、言いわけ紛れに宛がったランクでしかなく、その意味は枯草に撒く肥料ほどに無かった。


「エメロッテ・アーバンティヌス! 我が聖剣の前に散れッ!」

「…………」


 古龍に向かって駆けるリオン、その頭上の煌めきに太郎は視線を向けていた。正直なところ興味が無く、聖剣の知識は山菜の100分の1にも満たない。宝石をあしらった柄は豪奢で、そこから伸びる純白の刃が僅かに発光している。再生能力を持つとはいえ、エメロッテの龍鱗が軟な訳ではない。それをいとも簡単に斬りさいてしまったのは、リオンの力量か聖剣の権能なのか、太郎には判断がつかなかった。そもそも聖剣と魔剣に大差など無いと彼は認識している。


 大上段から一閃、彼女は聖剣を振り下ろした。大きく瞳を開けて、彼女を見つめるエメロッテ。無抵抗に顔面を真っ二つに割かれてしまった。激しい流血を伴う致命傷であるはずなのに、リオンの手に残る感覚は再生する古龍の前に幻惑と化す。斬られた時と同じ表情で、彼女を見返すだけだった。その様子に焦燥を強めて、「クソッ」と文句を吐くも、続けて古龍は淡々と斬られるだけだった。


 幾度も裂けど再生のトリックが解らず、着々と体力を消耗するだけ。その硬い鱗を裂く労力は馬鹿にならず、斬撃が十を過ぎるころには息も絶え絶えとなった。古龍は反撃をせず、赤の勇者を無力化しようとしていた。見下ろす視線には敵意さえ無く、まるで子をあやす母のようでさえある。


「……そろそろかな」


 頃合いを見て、太郎は黒い縄を取り出した。変わった色をしている以外には、何の特徴もない縄である。輪っか状に束ねてベルトに引っ掛け、後は馬が居ればカーボーイといったところだ。残念ながら愛馬はおらず、視線を洞穴の入口方向へ這わせる。


 ――そこに幾重もの魔法陣が生じた。


 予想的中、魔法陣へ向けて縄を飛ばす。縄の先端が解れて龍の顔のような形状と化し、そのまま一直線に前進を続ける。やがて先端の速度は音速を越えて、魔導士らの視界から消失してしまった。嫌な静けさの後に、魔法陣に小さな穴が空いた。そこから親指ほどの黒龍が飛び出して、魔導士らの周囲を旋回。この一秒未満の世界では、一介の魔導士など無力である。身体に巻き付く縄を捕えられぬまま、太郎によって三人の魔導士が一本釣りにされた。


 ザザザと滑る魔導士らが、太郎の前に横たわる。彼らはローブのフードを深く被って、太郎から身を隠そうと悶えている。既に正体は判明しているから、あえて探ろうともせず視線を外す。それより気がかりなのは、一個小隊で来たと言っていたのに、あと一人の姿が無いことだった。あるいは、古龍に食われたのか。その予想に空ぶったような感覚が生じて、太郎は首を横に振った。


 顔だけで振り返り、古龍とリオンの戦闘に注視する。ちょうど疲れ果てたリオンが古龍のデコピンを食らうところだった。尻もちをついて古龍を見上げる彼女の顔は、何とも言えない哀愁を含んでいる。死を覚悟した戦士の顔とも言うべきなのか、とかく見ていられない顔だった。縄を肩に引っ掛けて、魔導士を三人も引きずりながらリオンの下に向かう。徐々に迫る太郎を見て、リオンは目を見開いていた。





※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

[あとがき]

 しばらく文章量が落ちると思います。



 

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