第7話

◇――[ありふれた過去<2>]――◇



 雑に縫いぐるみを運ぶ子供――かと思えば、それは鈍く光る鋼の鎧を纏う兵士であった。引きずられているのはスーツを着た人間、ささやかな抵抗として歩行を拒否しているわけだが、それが惨めさを際立てている。緑豊かな庭園を突っ切る二人は、明らかに情景の中で浮いていた。


 まるでゴミでも放るように、兵士は城門から男を放った。石レンガの地面を何回か転がり、大の字になって空を見上げる。驚くほどの快晴は、常に排気ガスが空をぼやかす東京と違って、その威光を存分に示していた。それは同時に、この世界が地球ではない、と男に告げているようで……彼は溜息を一つ青空にかましてやった。


「5分以内に失せろ。さもなければ殺す」


 兵士の冷徹な一言が、男を刺す。兵士は二人の門兵に軽く説明をしてから、その場を後にした。彼の遠ざかる足音に耳を傾けつつ、男は依然として空を見上げている。彼の様子を窺う門兵もまた、それに誘導されて空を見上げた。一人が「青いなぁ」と呑気に言えば、もう一人もまた「こんな日に人は殺したくない」と愚痴を零す。


 それが耳に届いて、スーツの男は立ち上がった。門兵らに気を遣ったわけでもなくて、単純に死ぬなら今日じゃないな、と思えたから。男はスーツの土を払って、それから歩き出す。彼の背中を見た門兵らが、思わず「お、おまえさん」と呼び止めた。


 ――が、男は止まらなかった。一度も振り返らず、ただ前進する。


 既に男の視線は街並みへ向かっていた。時代感は中世ヨーロッパくらいか、思考の中で重ねられるのは歴史から学ぶ情景ではなく、不思議なものでRPGなどのゲーム世界であった。あの日のゲームを思い浮かべながら、硬い石畳の感触に口元をほころばせる。悲観的な思考回路は死に、好奇心が男の思考を満たしていた。ゲームや小説をもとに世界観を描き、男の足は定石へ向かって進んだ。どうやら文字は地球と同じようで、そこまで不自由しなかった。最も多く目にしたのは英語で、次が中国語である。中には日本語の看板をぶら下げる店もあった。軒並み建造物の背は低く、都会のビル街とは違って、空の存在感が強い。おかげで歩くだけで心地よかった。


 やがて、男の足が止まる。看板には「GUILD(ギルド):BULL(ブル)」の赤い文字が刻印されていた。脳裏にエナジードリンクがチラつくも、その印象を抑えて木製の扉を開ける。第一印象は市役所とファミレスの中間、奥に並ぶ受付に向かって四人席が幾つも設置されている。それらの席には屈強な戦士らが座しており、それぞれの会話に熱中していた。彼らに視線をやるのは悪手だと判断して、男は受付まで一直線に歩を進めた。5つ並ぶ受付の内、右から2つ目を選ぶ。優しそうな茶髪の女性が、笑みと共に男を迎えた。


「ようこそ、こちらは冒険者ギルドのブルです。本日のご用件は?」

「あ、あぁ……新規登録かな」

「かしこまりました。では注意事項を説明します。

 1.冒険者の命に、ギルドは一切の責任を負いません。

 2.必要以上の狩猟、また採取を禁じます。

 3.依頼の期限を超過し、報告を怠った場合は除名します。

 以上で説明は終わりです。何か質問はありますか?」

「必要以上の狩猟、採取を禁じるっていうのは? 例えば魔物がいる場合には、人が襲われる恐れもあるのですから、できるだけ駆除した方が良いのでは?」

「……珍しいことを聞きますね。貴重な魔生物資源を保存する為に、過度な狩猟を制限しているだけです。とても常識的な話だと思いますけど」


 受付の女性は、キョトンと男を見ている。チラッと服装に視線を向けて、また男の顔に戻した。明らかに警戒されてしまっている。それに実に順当な解説である。地球でも漁獲量を制限することで、海産物の保存をしているから、それと同様のことを魔物でもしているのだろう、と男は理解した。どうやら、この世界における魔物とは、虫や魚や獣に並ぶ生物の一種でしかなく、一概に駆除する対象ではないようだ。ややゲーム的な印象が崩れたが、それでも男に他の道を探すほどの知識は無かった。


「わかりました。この後は試験を受けるんですか?」

「いいえ、もう採用です」

「……え? そ、それって危険では?」

「えっと……何がですか?」

「だ、だって、魔物のいる野に知識のない人を送れば、普通に殺されるだけでは?」

「それは試験をすれば解決されるんですか?」

「……さ、さぁ。でも、なんとなく」

「どうせ人は死にます。重要なのは、幾ら稼いで死ぬかです」


 もはや死生観が違うのかもしれない。男は口を一文字に結んで、それ以上の言葉を失ってしまった。金は命よりも重い、どこかで聞いた言葉を思い浮かべる。愛らしい顔立ちの受付から聞かされると、その効果は絶大であった。


「こちらの書類に記入してください」

「……これは?」

「ギルド登録書です」

「名前の欄に自分の名前を書く必要はありますか? ……例えば、源氏名的な」

「あぁ、犯罪歴などから名前を変えたがる人はいますよ。ご自由にどうぞ」

「ありがとうございます」


 どうせ世界を越えたのだから、元の名前を使うのは止めよう。彼からすれば、その程度の認識であった。元の世界では就活に励んでおり、昨今の不況から20社以上の不採用、想像以上に過酷な現実から目をそらしては、淀んだ空を見上げていたものだった。元より真面目な方ではなかったが、これといって問題も起こさず順調に過ごしてきた学生時代の全てを否定されているようで、そして、それが惨めに思えて。


「(……そうだ、『就活太郎』にしよう。やっとのことで異世界に就職しました、的なニュアンスで。えっと……次はここか。ん?)……あの、スキルって?」

「スキルを御存知でない? 本当に変わった方ですね」

「は、ははは……すみません。田舎者なもんで」

「神官の居ない村だとすれば、相当な過疎地だったんでしょうね。取り合えずブルでもスキル鑑定は可能です。受けられますか?」

「そうですね。お願いします」

「それでは、こちらを口に含んでください」

「……えっと、これは?」

「ガムです。……あぁ、味はミントです」


 太郎は手渡されたガムを眺めた。よく悪戯に使われる長方形の薄いガムで、それを

1枚だけ受け取った。見慣れた銀紙を剥がして、言うとおりに口に含む。くちゃくちゃと噛みながら、ふたたび書類に視線を落とした。後は、概ね地球と同じで、必須事項には赤い※マークがついている。住所などは当然ないから、無気力な学生のテスト用紙のように空欄の多い登録書となってしまった。


「それでは、ガムをこちらに」

「……その、あなたの手にですか?」

「大丈夫です。ビニール手袋をしているので」

「……で、では遠慮なく。ペッ!」

「…………あの、吐き出されたのは初めてです。普通は包み紙を使うんですよ?」

「え!? す、すみません。田舎者なもので」

「その言葉の利便性を過信しすぎでは?」

「ご、ごめんなさい」

「はぁ、もういいですから」


 受付嬢は机に溜息を叩きつけ、それからフラスコを手に取った。黒い液体が小瓶を満たしており、そこにガムを落とす。黒い液体にシュワシュワと小さな泡が生じ始めれば、それが溶解反応だと太郎は悟った。数秒ほど待てば、黒い液体に白い文字が浮かび上がる。不思議なことにフラスコの中心に文字が浮いているのだ。もちろん受付嬢が糸を垂らしている訳ではない。並ぶ2つの文字は――……


「――野営、ですね。太郎さんのスキルは」

「……『野営』、ですか」


 英名方式か、それとも和名方式なのか。自身が「太郎」と呼ばれた危機に注意を奪われるも、すぐにスキルと言う重大項目に焦点を合わせる。野営……つまりキャンプのことなのか、と太郎は視線を細めていた。はっきり言って弱そうだ。王城で素養が無いと判断されたのは、このスキルの所為だったのか、と合点がいった。

 

「詳細を教えて貰うことは?」

「できません。神官様に聞けば詳細まで教えて貰えます。これは簡易的な設備ですから、名称の特定くらいしか」

「そ、そうですか。助かりました」


 空欄の一つに「野営」と記入し、受付嬢に提出した。ほとんど表情を変えずに受け取って、やっと彼女は笑顔を取り戻してくれた。それに、太郎は悲観的にはならなかった。詳細が解らないのであれば、調べる楽しみがあるではないか、と期待に胸を膨らませてさえいる。微笑みを携えて、すでに未来を見ているのだ。


「こちらで登録は完了です。これから、よろしくお願いします」

「あ、はい。よろしくお願いします」

「早速ですが、依頼を受けますか?」

「そう、ですね。受けたいです」

「太郎さんは初級の『E』ランクですから、こちらが丁度いいかと思われます」

「……薬草の採取ですか。それに地図まで御丁寧に……この一帯は安全ですか?」

「いいえ、危険です」

「えっと……これが最も安全な依頼ですか?」

「そうです。それと忘れないで下さいね。必要以上の採取は――……」

「――禁止、ですね。ちゃんと覚えてますよ」

「いいですね。それでは太郎さん、行ってらっしゃいませ」


 受付嬢の言葉には、追い出すようなニュアンスも含まれていた。どうやら「野営」という言葉の意味はわかるらしい。名称からの印象のみで、太郎は見限られているのかもしれない。だが、それは太郎に関係のない話だった。


 ――自分の価値など、自分だけが知っていればいいのだから。

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