第6話


 太郎から放たれる夜よりも深い気が、湿気のように薄気味悪くリオンに貼りついていた。乗じて額から汗が滴るが、それを拭うも溢れかえる汗粒の新芽の前では無意味である。最初に視線を交わした時と同じだ。いくら覗き込もうが、その瞳の深淵を探ることができない。自身を乱す恐怖に思考を妨げられつつも、その意味をリオンは理解していた。どれだけ手を伸ばそうが届かない深みに到達しているのだ。この眼前にいる男の実力は。


 しかし、唐突に戦慄が収まった。いつの間にか、太郎から放たれる気から嫌悪感が消えている。リオンが観察していたように、太郎もまた観察していたのだ。彼女の実力を冷静に分析して、今後の対応を見極めていた。彼女にとって幸運なことに、この瞬間にある種のテストをクリアしていた。


「……仰る通り、僕は異世界人です。やはり、相応の実力者にはバレますか」

「我だから気づいたのだ。卑下する必要はない」

「というと……何かのスキルの影響で?」

「おまえは底がしれないから、今はスキルを明かさないでおく」

「ですね。この瓦礫山脈のように、互いに不可侵領域を設けるべきです」

「スキルについては問わない。だが、過去については教えてくれないか?」

「僕はリオンさんを助けに来た仲間ではなく、追い出しに来た敵ですよ。穏便に済ませるように配慮はしますが、すこし踏み込み過ぎでは?」

「実際のところは敵でもない。……そうだろ? おまえは中立の存在だ」

「弱体化魔法が解け始めてきましたか。鋭い考察です」

「これは取引だと思ってくれて構わん。我が気に掛けるのは、おまえの存在そのものではなく、そこまでの実力に到達した過程だ。もう勘付いているとは思うが、我は研鑽家でね。そこに強くなれる可能性があるなら、果敢に飛び込む勇気がある」


 それが蛮勇でなければいいが、と内に秘めつつ、太郎は橙色の篝火に視線を戻した。今は落ち着いていて、網の上の小鍋がブクブクと息継ぎを始めていた。リュックからステンレスのコップを二つ取り出し、太郎はミード(はちみつ酒)の湯割りを作って、片方をリオンに差し出す。彼女は透き通った黄金色の液体に視線を落として、その匂いを鼻に潜らせた。そこからアルコールを察知して、グイっと口角を上げる。湿らす程度に含んで「センスの良い奴だ」と呟いた。


 網の上に並ぶ塩焼きのシオデも取って、薄皮を剝いてからリオンに差し出した。また小鍋に水と皮を放って、ブイヨンの準備を始める。どうせ夜は長いのだから、と一から遅れを取り戻す算段だった。緑色の山の秘宝を口に含めば、まるで溶けるような笑みをリオンがこぼす。シオデは万人受けの良い山菜だから、きっと幼児に与えても同じ表情になったはずだ。人に食事を評価される多幸感を得て、ブイヨンの乱から下降気味だった太郎の機嫌が、ようやく上向いていた。


「……――あまり、面白い話ではありませんよ?」

「おしえてくれるのか?」

「はい。ですが、貴方の期待するような話にはならないと思います」

「一見して何の変哲もない場所からでも、天才とは可能性を見出す生き物だ」

「では、夜長を潰す昔話を一つだけ」


 そう言って口を開く太郎の顔は、どこか寂しそうだった。



◇――[ありふれた過去<1>]――◇



 ――『越界召喚』とは、近似する二つのパラレルワールドから、任意の種族を呼び出す超魔法である。境界を跨いだ超越者たちは、得てして強力な力を獲得できた。だが、時として例外はある――いや、例外だと認識されることがある。


「……す、数世紀ぶりの成功です。さ、3人もの召喚に成功しました」

「よくやった、大義であるぞ」


 黒いキャソックのような服装の男が、背後に立つ豪奢な服装の男に成果を報告した。彼らの眼前には、直径5メートルほどの大きな六芒星の魔法陣がある。魔法陣の周囲には、更に黒いキャソックを着た男が6人、彼らは陣の前でパントマイムをするかのように手を動かしていた。そこには星を跨ぐための術式が施されているが、それは石の床に描かれているから、どこか壁画のような印象が強かった。


 六芒星の周囲には、それぞれの角に蠟燭が六つ、この部屋を照らすには心もとない数だ。それこそ部屋の上部が確認できないほど薄暗い部屋で、唯一の手掛かりと言えば、床の石タイルと足元だけ見える石柱くらいのものである。


 魔法陣に乗る召喚された三人は、男が2人に女が1人。どちらの男性もスーツを着ており、やや動揺はしているものの、何かが起きるまで沈黙している。女の方は紺色に赤のラインをあしらった古風なセーラー服である。彼女は身を震わせながらも、若さに身を任せて魔法陣から出ようと手を伸ばしていた。それが一定の範囲を超えた途端に、バチッと静電気のような拒絶反応を起こす。おどろいて手を引くも、そこには痺れた感覚が残っている。単なる空間に触れただけなのに、それは彼ら彼女らの知識ではあり得ないことだった。


 既に召喚魔法は次の段階に移行しており、現在は結界魔法と化している。三人は召喚と同時に、この魔法の檻に閉じ込められてしまったのだ。


 そんな三人の前――正確には魔法陣の前――に、豪奢な服を着た男が近寄った。距離を詰めるにつれて、蝋燭の灯りが彼の正体を明かしていく。今までは見えなかった頭部には、過度に宝石を搭載した王冠が鎮座していた。どこかの国王か、はたまた大うつけなのか、どちらにせよ三人の経験してきた時代感に矛盾があった。


「我が王国に、よくぞ参った。吾輩は王である」

「…………」


 当然のことではあるが、あっけにとられて誰も返答ができなかった。夏目漱石だけに許された名乗りを自で遂行する酔狂な男、残念ながら伝達の中で情報は湾曲されてしまって、その一部でさえ三人には理解ができない。


「動揺するのは理解できる。吾輩が汝らと同様の状況でも、その様子に重なったことであろう。一先ず渇いた脳に情報だけ掬っておくのだ。後々の役に立つであろう」


 腕を組む白い髭の男は、頭上の王冠の向きを右手で修正した。


「端的に言えば、汝らは世界を越えたのだ。我々は、それを『越界』と呼ぶ。現在は結界の中に隔離中である。解析が完了すれば、汝らを結界から解放する」

「……か、解放ですか? あ、安全は保障されるんですか?」

「ふむ、順応性のある男のようだ。我々は汝らに使命を与える為に呼び出した。素養のある者は、その使命に殉ずることとなる。我が国の庇護下にある限り、生活の保障はされる。とはいえ、使命に殉ずる限り安全ではない」

「し、使命とは?」

「滅界龍(めっかいりゅう)の討伐である。今のところは、汝らと同様に三体が確認されている。この後に増える可能性もある」


 会話をしたスーツの男は、怯えた目で王を見ていた。地球での彼は営業職に就いており、大学では心理学を専攻、特定の素振りから言葉の真偽を計っていた――が、この眼前の王は何の冗談も言っていない。


「め、滅界龍を討伐すれば、元の世界に帰れますか?」

「呼ぶことは可能でも、送ることは不可能である。元の世界から召喚されぬ限りは、永遠に帰還できない」

「そ、そんな……」

「吾輩の指令に殉ずるのであれば、その手段の捜索は許可しよう。とはいえ、歴代の異世界人らは軒並み失敗しておる。無駄に時間を浪費したくなければ、我が国の歯車と化し、使命に殉ずることを推奨する」

「ふ、ふざけるなッ!! そんな状況で命令なんか聞くわけなないだろ!!」


 当然の怒号であった。叫ぶ男の隣では、少女が「わたし……帰りたい」と涙を流している。これで奮わなければ、男として生まれた意味さえないだろう。とはいえ、彼らとは対照的に、俯瞰から状況を眺める案山子もいるが。


「耐性の低い今のうちに、汝らには隷属紋を刻む。だが、奴隷ではない。自由や生活を保障するが、使命に殉じなければ脅威と断定される。その場合には、汝らの実力によっては死んでもらう。しかし、大抵の場合には再教育が施される」

「そ、そんな……端から選択権さえ無いのかよ」


 あまりにも絶望的な状況に、遂に男は抵抗を止めてしまった。両手両膝を床に落として、そのまま悔しそうに肩を震わせている。


「――解析が完了しました」

「御苦労」

「これより隷属紋の刻印に入ります」

「実行するのだ」


 微かに光る六芒星、そこから手のひらサイズの円系の紋様が浮かび上がった。文字通り、宙に模様が浮いているのだ。それは六芒星のように単純ではなく、非常に複雑な幾何学模様である。


「う、うわああぁぁぁぁぁ!!??」


 それが抵抗していたスーツの男の額に飛来、衝撃を錯覚して尻もちをついた。実際には微風さえ起らない刹那の事象であり、尻もちをついた男もキョトンとして額を擦っている。彼の額には紋章が刻まれた――が、砂漠に落ちる水滴のように滲んで消えてしまった。三人が唖然としている内に、また一つ隷属紋が浮き上がる。今度は少女に向かって直進し、また同様の現象をもたらした。


「刻印が完了しました」

「御苦労。では、二人を上階に案内するのだ」

「かしこまりました」


 王の指示を受けて、キャソック風の男が更に結界へ近づいて来た。それから「出てきたまえ」との一言。先に隷属紋の刻まれた二人が結界から出て、その後で最後の男が結界に近づいた――瞬間、バチッと弾かれてしまった。今度は明確な衝撃を受けて尻もちをつく。


 先に出た二人は立ち止り、振り返って倒れた男を覗くように見た。


「……あの、この人は?」

「その男には素養がなかったのだ。滅界龍を討伐するのに足手まといは不要である」

「そ、そんな……では彼は?」

「この後に城外へ逃がす。よく言えば自由にする」


 その瞬間に、二人から羨望の眼差しが向けられた。どうして彼だけが自由に、と二人ともが不満を露わにする。とはいえ隷属紋があるから、それは音を伴わず表情だけに留まっている。


「汝らが気にするところは理解しておる。ヤツだけが享受する自由に不満があるのであろう。だが、この世界における自由とは、おそらく汝らの居た世界とは違う。怪物の跋扈する世界に放流されるのだ」


 二人からの視線が、羨望から同情に変貌してしまった。どちらも口の開閉を繰り返しては、何かしらの想いを閉じ込める。額の紋章がある限り、何が起きるか解らず、容易に発言することさえ恐ろしいのだろう。そして、そのまま王が言葉を続ける。


 ――断言しよう。ヤツは一週間以内に死ぬ。


 冷徹な言葉が、ひんやりとした密室を無機質に満たした。

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