第5話

◇――[赤の勇者]――◇



「す、全て飲み干したんですか?」

「実に美味であった。民草の奉仕、勇者冥利に尽きるぞ」

「……シオデの薄皮まで食べてる」

「だが、今後の為に忠告をしておく――我は濃い味派ぞ!」


 赤の勇者の背景に「ドンッ」の二文字。どこぞの少年漫画から出てきたかのように、堂々たる宣言であった。不満気な太郎の視線は、その肌を撫でるのみで刺さらない。まさしく勇者たる防御力を証明しているかのように、彼女は傲岸不遜であった。


「そもそも調理中だったんです。それも僕の夕食でした」

「……ん? 途中だったのか、そいつはすまんな。ガッハッハッハ」


 豪快に笑う彼女の赤髪は、夜風に揺られて獅子の鬣のようだった。ほどよい長さの赤髪を立てて、口元の皮膚には笑みの癖がある。常にカッと目を見開き、覇気を存分に放出していた。恵まれた体躯は女性らしい起伏も必要以上に備えており、それを包み隠す服は、豪快に胸元の開かれたチャイナドレスのような見た目だった。


「ところで、おまえは誰だ?」

「僕は……就活太郎です」

「いや、身分を教えろ」

「それはさておき、あなたは『リオン・バラライカ』さんですか?」

「……まぁ、よい。そなたの予想通り、我は『赤の勇者』その人である!」


 また「ドンッ!」と、背景に二文字あらわれた。太郎は白けた目で見つつ、ほっと一息つく。この世界には幾つかの大国があり、それぞれが勇者を有している。リオンの言った『赤』とは、その国旗の色から取った派閥のようなものだ。


「単刀直入に言います。今すぐに帰国してください」

「……なぜだ?」

「この瓦礫山脈は国家同士の複雑な力関係が絡む、いわば不可侵領域だからです」

「国家の象徴たる勇者が、ふらっと訪れるのは芳しくない、そう言いたいんだな」

「仰る通りです」

「だが、その力関係を理解しつつ来ているとは思わんのかね?」

「だとすれば……残念ながら対応の仕方を変えることになります」

「おまえ如きが、この我を追いだせると?」

「追い出す以上のことが可能だから、この場に来たとは思えませんか?」


 先ほどのリオンの言い回しを借りて、太郎は軽く威嚇した。彼女の紅蓮の瞳が、太郎の魂を焼き尽くさんと射抜いてくる。それでも太郎の瞳は静寂に沈み、やがてリオンの視線は深さを探る手と化した。視線が交わされること数秒、篝火が水でもかけられたみたいに縮んで、夜の闇に身体を震わせ始める。そして、ついにリオンは太郎から視線を外してしまった。


「ど、どちらにせよ、このままでは帰れんのだ」

「なにか問題が?」

「古龍の洞穴に聖剣を落としてきた」

「……やはり、それが目的でしたか。ようはドラゴンスレイヤーになりかったと」

「勇者として更なる力を求めるのは当然のことだ」

「かもしれませんが、そんな簡単に利用されていい存在でもないはずです」


 数多いる龍種の中でも、古龍種だけは別格とされている。それは実力もさることながら、討伐時の報酬にも起因していた。人類からは巨万の富を、古龍からは絶大なる力を得ることができる。そうして人類を越境した者を、人々はドラゴンスレイヤーと呼称するのだ。この特別なロジックを、既に太郎は解き明かしている。RPGでいう経験値効率が良いだけで、何ら特別な力を得るわけではない。真実を知る者からすれば、このリオンの執着は滑稽に思えてならなかった。


「そもそも、あれは迷信ですよ」

「何を言っているんだ。古龍さえ倒せれば、他国を黙らせられるはず……」

「……あなたほどの実力者が討伐しても、得られるのは名声や富ていどです」


 まさしく経験値そのもので、既にレベルが高ければ要求値も上昇する。太郎から見るに、リオンの実力は古龍のうま味の圏外にあった。だから止めたいが、この自信過剰な様子を見るに、太郎の言葉を信用しそうにない。それに先ほど立場を隠したことから、他国の者だと勘付かれているはず。となると、これ以上に実力をつけられては困るから、嘘を教えようとする間者、とでも思われていることだろう。いくら問答を続けても、おそらく彼女は首肯しない。


「……はぁ、わかりました。聖剣を取りに行く手助けをします」

「ほ、本当か?」

「但し、条件があります。聖剣を取り戻したら、その時こそ帰還してください」

「それは――……」

「――貴方の状況を説明します。何者かに依頼されて瓦礫山脈の古龍討伐を受領。そして古龍と戦うも敗北。古龍の洞穴に聖剣を紛失。これが今の貴方です。このまま帰れば、最悪の場合には勇者の称号剥奪さえあり得ます」

「……だ、だからこそ、古龍を倒して汚名を返上するのだ!」

「とはいえ、それは表向きの話です。今回の一件には国家の思惑が蠢ているのです」

「そ、そんなのは理解している!」


 リオンは赤い髪を揺らして、太郎のことを睨みつけた。この駆け引きのできない直情的なところを利用されてしまったのだろうな、と太郎は同情を瞳に潜める。今後の彼女を想えば、それは当然のことなのかもしれなかった。


「ようは我の古龍討伐によって、各国との力関係を変える。それが狙いだろう」

「その逆です。あなたの死を理由にして、ガーデニアと戦争がしたいんです」

「ば、馬鹿げている。その時が来れば、我は戦略兵器に匹敵するのだぞ?」

「ですが、現に貴方は聖剣を紛失して逃げてきた。それも戦略兵器に匹敵する実力のはずなのに、ターボ・リザードから逃げる有様です」

「な、何が言いたい?」

「本当に聖剣を紛失したというだけですか? なにか事件がありませんでしたか? それとも大国『ロザリッテ』が恐ろしくて、真実を言うのは憚られますか?」


 リオンの「赤」とは、ロザリッテに所属する勇者の総称である。予てからガーデニアとは敵対関係にあって、この瓦礫山脈を越えた南西に位置している。彼女は自分を戦略兵器に例えたが、だからこそ「損失」と言えるのだ。こうして古龍の討伐に固執しているあたり、赤の勇者の中でも実力が不足している証拠だろう。もしかすると、この計画の為に勇者の称号を与えられた可能性さえある。


 篝火が赤く燃え上がる――も、すぐに青く小さくなった。


「……まさか古龍が弱体化魔法を使ってくるとは思わなかった。誇り高き龍族の長老が、そんな小細工をするだなんて」

「質問を変えます。この場所には何人で来ましたか?」

「一個小隊だ。我の為に国が精鋭を用意してくれた」

「僕の記憶する限り、誇り云々以前に、ここの古龍は弱体化魔法が使えません。それが何を意味するのか理解できますね?」

「ま、まさか……我の部隊が弱体化魔法を使ったと言いたいのか?」

「断言します。そのまさかです。巧妙に魔法の気配が隠されていたはずです」

「……この我でさえ、まったく察知することができなかった」

「それは普通に背後から発動されたからです」

「では我は、祖国から捨てられたと言うのか?」

「この場に貴方の部隊が一人もいないのが、その証拠です」


 よほど必死に逃げてきたのか、彼女は辺りを見回してから「あっ」と僅かな音を発した。普通なら最初に仲間の安否を気にするはずなのに、それだけ仲間との関係性が希薄だったということだろう。もちろん弱体化魔法の影響で、認識能力や記憶能力さえ落ちているから、それが仲間との薄い関係に拍車をかけているのかもしれない。


 もはや見ていられないほど青く縮んだ篝火を眺めつつ、太郎は首を横に振った。


「取り合えず食事でもして、聖剣を取りに行くのは明日にします」

「ま、待ってくれ。こ、これから我はどうすれば?」

「……それを考える時間は十分にあるかと。まだまだ夜は浅いです」


 自立式の網を篝火の上に戻して、そっと火に息を吹きかけた。すっかり消沈した火炎が、また夜風に踊り初める。そんな太郎の手慣れた手つきを、横からリオンが物珍しそうに眺めていた。彼女ほどの力量になると、同行できるような野営組合員がいないのだろう。太郎の作業を無言で眺めるリオン、いつの間にか二人の間に奇妙な関係が構築されていた。


 ――が、その均衡をリオンの質問が破壊する。


「おまえ……『越界召喚』で来た異世界人だろ」


 その瞬間、篝火が黒く染まった。

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