第2話
◇――[気の毒なヤツ]――◇
時はケイと依頼に励む前、太郎は野営組合事務所にいた。木製の二階建て、一階には教会のように長椅子が並び、その先には受付がある。たったの三つの受付に、その右手に依頼掲示板、あそこから取った依頼書を提出するわけだ。提出の後に冒険者と面会の機会が設けられ、そこで最終的な判断をすることになる。
太郎は依頼掲示板を眺めていた。特に興味のある依頼はなく、今日はソロキャンプでも嗜むべきか、と逡巡していた。もっぱら太郎の興味とは、依頼地が調味料の採取に適しているかどうかに限られる。
そうして依頼を吟味していれば、同じく掲示板を眺める同僚らの方から、ひそひそと噂話が聞こえてきた。
「聞いたか? あの『幸運のビル』の一件について」
「あぁ、聞いたよ。あんなに運が良かったのに、死んじまったんだってな」
「誠実なヤツだったからな。恩人の為に月光花を取りに行くだとか……」
「せっかく冒険者が命を救ってくれたのにな。まあ、後悔の無いように生きろって、俺達に教訓を残してくれたのかもな」
「野営組合として働けば、常に死と隣り合わせってな」
ここ野営組合事務所では、しばしば噂が流れる。それは死者に関するモノだけでなく、危険な冒険者についてなど、とにかく聞き耳を立てておいて損はないのだ。これといって友人のいない太郎は、こうした自分以外に流れる音から、こっそりと情報を拾い集める習性があった。いわゆる盗み聞きである。
「鬼門の5年目に差し掛かるって聞いたから、何かが起きると思っていたんだ」
「どれだけ生き残ろうが、俺達が『スキル無し』って事実は変わらないのにな」
「その通りだ。は~あ、スキルがあったらなぁ……」
「だが、冒険者は冒険者でキツそうだぞ」
「言えてるな。死傷率だって野営組合と大差ないしな」
「どっちに転んでも、金を稼ぐなら命がけか」
「だから教訓が重要になるってわけよ。幸運のビルが残してくれたようなやつさ」
「だな。今日も安全運転を目指します、か」
「おうよ! 俺達の明日に乾杯」
彼らはランクの低い依頼書を手に取って、太郎の側から離れていった。それでも必ずしも安全とは言い難いのだから、この野営組合というのは残酷な組織だ。冒険者の中には、この組織を「はきだめ」だなんて言うヤツもいる。スキルを得られなかった者達を揶揄して言っているのだ。
無論、真実ではある。だが、真実ほど残酷なモノは他にない。
依頼書の一つを眺めながら、太郎は幸運のビルについて懐古していた。非常に奇特な人物で、ほとんど人との関係を持たない太郎にでさえ、たまに声をかけては生き残るコツを伝授してくる。お節介に思った太郎は、一度だけ親切にする理由を問うた。
――救われたから。
彼の答えは単純だった。善意とは連鎖して初めて効果を成す。こうした残酷な社会構造だからこそ、弱者の協力がキモになると知っていたのだ。だから、太郎はビルが嫌いになれなかった。
掲示板から依頼書を手に取って、太郎は溜息を一つ落とす。そこには「月光花の採取への同行」との表記。野営組合員ならば、誰でも避けるような高難易度の依頼だ。もしかすると、ビルとは関係の無い依頼なのかもしれない。むしろ、その可能性が高いと言える。だが、太郎は手に取ったのだ。
気の毒なビルに、救われたから。
◇――[たまには]――◇
篝火を眺めるケイ。それは赤と言うより橙に近く、さらに言えば白っぽさもある。今はダッチオーブンが退かされて、その全容が露わになっていた。一秒さえ同じ形にはならず揺れる様は、今の彼女の心境を映す鏡のようでもあった。
夢中になっていれば、横からステンレスの器が差し出される。この世界では最近になって発見された合金である。ふと手で抱けば、じわりと伝わる熱が彼女の心を溶かそうとしていた。
「ちょうどよくなるように冷ましておきました。熱々のスープは好きじゃなくて……恥ずかしながら猫舌なんです」
先ほどの出来事など無かったかのように、太郎は言葉を紡ぐ。そっと器からスプーンを抜いて、半透明のスープを口に運んだ。野草の風味と肉が融合して、ほどよい酸味のあるスープに仕上がっている。想定通り、タイ料理に近い味わいになった。
そして隣からも「美味しい」との呟きが聞こえる。誰に語る訳でもなく、思わず落としてしまったような声であった。
「……助けてくれて、ありがとうございます」
「気にしないで下さい」
「でも、あれだけの力量ですから、気付いてますよね?」
「ケイさんが、この一帯に魔物寄せの薬を巻いたことですか?」
「そ、そうです」
気まずそうに器に視線を落とすケイ、口を開く代わりにスプーンでスープを混ぜていた。今の彼女には幾つかの不安がある。一つ目が「月光花」について。二つ目が罪について。三つ目が太郎の正体についてだ。彼が本気になれば、自分など簡単に殺されてしまう。そして、自分には逆らう権利さえないのだ、と。
「お願いします。私の命は差し上げますから、この月光花の薬を母に呑ませるまで待ってくれませんか?」
「これから殺す相手にスープは飲ませませんよ」
「う、嘘です。そう見せているだけ。無償で優しくする人なんて居るはずがない!」
ケイは立ち上がると、キッと太郎を睨みつけた。だが、あくまでも太郎は視線を合わせずに、淡々と食事を続けている。
「その『篝火』は僕のスキルです。人の心を投影することができます。そして今は、僕の心を映してあります。最初に敵意を疑われると思ったので、それが無いことを示せるようにしました」
「……あれだけの戦闘力があって、精神干渉まで可能なの? あなた……何者?」
「たんなる野営組合員ですよ。それ以上でも、それ以下でもありません」
その言葉に、落ちるように腰を落とすケイ。どれだけの激情を太郎へ浴びせようが、篝火が安定した状態から変わることはなかった。それは太郎と自分の力量が、それほどに離れているからだと察したのだ。もともと彼女のスキルは戦闘むきではないし、このまま問答を続けても疲れるだけだ、と思った。
「私のスキルは『薬品生成』。一度でも摂取したことのある薬品なら作れるの。とても中途半端なスキルでさ……危険な賭けをしないと毒薬さえ作れない。だから、月光花を手に入れるには……囮が必要だった」
「そうですか。重罪にあたることは理解していますか?」
一応は法律や警察に近い組織もあって、冒険者でも逮捕はされる。とはいえ、それは被害者が通報できれば、の話である。多くの場合、野営組合員は現地で殺されて、報告される時には「事故死」だ。太郎の場合は被害者が生き残ったから、通報をすればケイは逮捕されることになる。
「お願いだから通報は待って。なんでもするから」
「……反省の意思があるのなら、通報はしません。もう二度と野営組合員を囮にしないと、この場で誓えますか?」
「わかった、誓うわ」
ふと太郎の視線がスープから篝火へ動いた。やや揺れは激しいが、大きな変化はなかった。とはいえ、その素振りでケイは気付いた。
「ま、まさか今は私の心を?」
「はい。言葉の真偽を計らせてもらいました。嘘をつけば動きが変化します」
「……本当に恐ろしい人ね」
もう抵抗は無駄だと理解して、ケイはスープを口に運ぶ。その熱が太郎との蟠りを溶かして、そこには最も単純な疑問が残った。
「どうして助けてくれたの?」
「……ケイさんは『幸運のビル』という名前に聞き覚えがありますか?」
――瞬間、炎がボッと音を鳴らして赤く染まった。
それが示すのは、濃厚な憤怒である。
「知っているわ。私の父を殺した男よ」
「先日、ビルが死にました」
「い、いい気味ね。天罰が下ったというだけのことよ」
「彼は、とある家族の為に一人で月光花を探しに行ったそうです」
「ッ!?」
未だに炎は赤く染まっているが、今は激しく揺れている。色合いは憤怒や悲哀などの基本的な感情を、動きは動揺や冷静などの派生的な感情を示している。今の彼女は怒っているが、酷く動揺もしている――そんな状態だ。
「彼は一人で居ることの多い僕に、熱心に助言をくれるような御人好しでした」
「そ、そんなの知らないわよ」
「だから、僕は質問をしたんです。なぜ、僕を助けるのか、と」
「だ、だから、どうでもいいって――……」
「――救われたから。ビルの回答は、とてもシンプルでした」
その一言に、ついにケイは言葉を失ってしまった。とはいえ篝火は饒舌で、炎の色は紫色に代わった。青と赤、怒りと悲しみの混ざった色。複合的な感情に名称を与えるのは難しいが、今の彼女であれば「後悔」が最も近似しているのかもしれない。
「先ほどの質問に答えます。僕も『救われたから』、ケイさんを助けたんです」
「…………ありがとう、ござい……ます」
ケイの言葉は酷く震えていて、ろくに形になっていなかった。すっかり青く染まった篝火に、太郎は淡々と視線を送っている。ここまでくれば、これ以上にかけてやれる言葉もなかった。あとは時間だけが解決してくれるはず。
それを潰すのにうってつけなのが、このキャンプなのだから。
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【修正点】
・魔生物指標、並びに冒険者ランクの内「S」を「Z]に変更
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