雑用キャンパー就活太郎

木兎太郎

雑用キャンパー就活太郎

ケイ

第1話

 山を下る水の音が耳を潜る。非常に小さな音ではあるが、ある程度の冒険者であれば力量を問わず聞き取れるほどの音だ。電波不良のテレビのような音に、ポコポコと水泡の弾ける音が重なり、楽団の奏でるような心地の良い一曲に仕上がっている。


 それに5分前から気付くも、未だに太郎は口を閉ざしていた。何故なら陽は沈み始めており、自ずと声が掛かるはずだからだ。


「太郎さん。丁度いい小川ですし、ここでキャンプにしましょう」


 彼の字名は「就活太郎」、野営組合の登録は本名でなくとも良い。だから、頻繁に見たことのある名前を使ったというまでだ。同郷の者が目撃しない限りは、誰にも指摘されないはずだ、と本人は自負している。だから、ほぼ確実にバレない。

 黒髪黒目の天然パーマ。純朴な顔を金縁の丸眼鏡で飾っている。白いワイシャツの上から分厚い黒革のコートを羽織り、ワンサイズ上の硬い布のズボンを履いている。


「了解しました、ケイさん」


 ケイは若い女の冒険者で、金髪の碧眼である。流石は異世界と言ったところで、その瞳の美しさは元居た地球では見られないようなレベルだった。それこそ宝石を鼻で笑うようなレベルに足を踏み入れている。

 そんな整った顔立ちに、抜群のスタイル。胸部の発育とは矛盾して腹はへこみ、臀部もまた脂肪を蓄えている。おそらく某国であれば、レッドカーペットを飾る一輪の華であったはずだ。

 とはいえ、今はドレスではなく白一式の革鎧と、茶のブーツと言った出で立ちだ。


「太郎さんが居て助かります。設営から美味しい食事、それに見張りまで勤めて下さるだなんて、野営組合の誇る勤労者ですね」

「いやぁ、戦闘のお役には立てませんから。結局のところは必死に雑用をしているというだけです。幾度か戦闘を拝見しましたが、ケイさんこそ戦場の華ですよ」

「あら、お上手ですね。素直に受け取っておきます」


 軽快に会話をしながらも、迅速に設営を続けていた。天幕を張り、その前に料理などに用いる篝火を設置――無論、観賞用としても役立つ。それから周囲を照らす為の燈火(とうか)を天幕の周りに幾つか並べれば、これにて設営は完了である。


「……流石の手際ですね」

「まあ、野営組合はトラブルを抱えやすいですからね。こうやって仕事のできるところを見て頂いて、重宝して頂くというのが処世術なんです」

「やっぱり囮に使われてしまったりが多いんですか?」

「はい。最も多くの死亡例が『囮』ですね」

「ほ、本当に大変な仕事ですね」

「でも、力の弱い者でも儲かりますから、無理をする人も後を絶ちません」

「正直いって、冒険者まわりの商売は儲かりますからね。もちろん冒険者ほどではありませんけど……って、私が言ったら嫌味みたいになっちゃうか」

「おっしゃる通りですから、なんの問題もありませんよ」


 ケイの述べる通り、野営組合は毎年多数の死者を出す――が、それほどにうま味のある職業なのだ。冒険者の収入は、軽く一般職の10倍、野営組合でさえ2倍は硬いのだから、誰もが悪魔の囁きに耳を傾けてしまう。


「太郎さんは、もう長いこと野営組合に?」

「2年くらいですかね」

「それは長い方ですね。初年度を生き抜くのがキモだと聞いたことがあります」

「2年目に入ると、生き延びるコツを知ってるヤツが多いって噂ですか? どうですかね、正直なところ弱者のままなので大差はないですよ」

「そんなこと言って、実はコツの一つくらいは掴んでるんじゃないんですか?」

「い、いやぁ、言ってもまだ2年目ですから」

「そう謙遜せず、感じたままを言ってみてくださいよ」

「う~ん、人を見極めること、ですかね。いやぁ、照れるなぁ」

「ほら、やっぱりあった!」


 嬉しそうに笑うケイを見て、答えた甲斐があったな、と太郎もまた笑む。

 それに、太郎は謙遜しつつも人を見る眼には自信があった。やはり弱肉強食である異世界において、重要なのは人を見極めることに他ならない。悪しきに付けば死に、良きに付けば生きる。それは、この小川が麓に続くのと同じことで、自然の摂理であった。


「あっ!? すみません、野営地周辺の安全確認を怠ってました。今のところ安全だとは思いますけど、すぐに確認してきますね」

「そ、そうでしたね。よろしくお願いします」


 あらま、と口に手を当ててから、彼女は森の方に消えていってしまった。

 通常であれば、他の仲間が太郎を守るために残るが、ケイは単独で依頼に取り組んでおり、他に割ける人員が居ないのだ。

 それに動揺することもなく、太郎は淡々と料理の準備を始める。魔物の跋扈する森に放置されているというのに。


 まず、大きなリュックに手を突っ込み、そこから幾つか食材を取り出して、背の低い机の上に並べる。それと銃火器の弾薬を入れるようなベルトを取り出す。そこには弾薬ではなく、拘りの調味料が収納されているというわけだ。


「煮込み料理だから……後はダッチオーブンかな」


 食材の中には散策中に発見した野草も含まれている。ここは森を形成しているが、地域的に雨量は少なく、採れたての野草には水分が豊富に含まれている。だから、あえて水をいれずとも、野草と一緒に煮込んでしまえばスープが完成する――それが、太郎の魂胆であった。


 刃渡り30センチほどのナイフで、次々に肉や野草を両断して、あとは適当にダッチオーブンに放る。下味の塩――脱水用でもある――を振って篝火の上に設置すれば、水分が出るまでは待機するだけだ。


 ものの5分ほどで料理の大半を終えてしまったから、太郎は周囲を窺っていた。既に陽は完全に沈んでおり、灯りの届かない先は暗闇だった。明らかにケイが戻ってくるのが遅い。なにかトラブルが起きたのだろうか、と不安が生じ始めている。


 ダッチオーブンが泡を吹き始めた頃、カサリ……と、音が鳴った。

 即座に音へ視線を向ける太郎――……球が泳いでいる。だいたい10センチくらいだ。それは燈火の光を吸って、静かに明滅していた。消えては現れ、また消える。


「……って、ありゃ瞬きか」


 天幕を張るのに使う杭を打つ為の黒い木槌を持ち、それが動くのを待った。



◇――[ケイ]――◇

 


「……やっと、ついた」


 光の届かない森を抜けて、やっとケイは目的地に着いた。魔物の住み着くような深い森の奥、そこにある人の踏み入らない静かな草原。そうした魔素の濃い原っぱにのみ生息する「月光花」、それが彼女の目的であった。


 頼りにならない地図をポケットに押し込んで、彼女は草原に視線を走らせた。これだけ森が深まれば、当然のように生息する魔物が強靭になる。こんな風に何日も迷う原因となった地図より、周囲を警戒する方が遥かに重要だった。


「ハッ!?」


 ケイは駆け出した。焦燥感は足取りに現れて、何歩か進むたびに躓いた。だが、そんなことよりも月光花が大事だった。どれだけ身体に傷を作ろうが、これが手に入れば苦労が報われる。


 月明かりを反射する、小さな白い華の前で、そっとケイは膝を落とした。

 これがあれば……と、すぐに月光花へ手を伸ばす――も、ふと脳裏に過る彼の顔。


「ふんッ、どうせ冒険者の陰に隠れて楽をする金魚の糞だったヤツよ。あんなヤツが死んだって、気に病むことはないはずよね」


 ケイは野営組合が嫌いだった。あの役立たず共を守るために、冒険者の父は命を落としたのだ。すでに父の残した遺産は尽きかけており、このままでは母の治療費が払えなくなる。冒険者としての彼女の収入だけでは、とても母の治療費を賄うことはできない。であれば、病気そのものを取り除いてやればいい。


 それには月光花が必要だった。


「野営組合のヤツら、これで父との貸し借りは帳消しにしてあげるわ。もっとも、本来ならもっと徴収できるはずだけれど……」


 そして月光花に手を伸ばす――……も、ピクリと止まる。

 自意識を無視して、ガタガタと歯が音を立てている。それは鍵盤楽器を模して、この満天の夜空に恐怖の旋律を奏でていた。

 なんらかの抗えない力によって、月光花から徐々に視線が上がっていく。


「やっぱり不平等ね、このクソ野郎」


 いつの間にか、一匹のオオカミがケイの前に立っている。おおよそ体長10メートル、高さは5メートルはあるだろう。漆黒の毛並みを夜風に踊らせて、物静かにケイを見下ろしている。その赤い瞳孔に一たび捉えられれば、口以外の全ての筋肉が動くのを止めた、いや諦めたのだ。


 種族名「サイレント・ウルフ」、字名「夜遊びの死神」。スキル「無音」を所持する稀有な魔物で、ヤツらから生じる全ての音は消失する。それは声にも影響を及ぼすので、彼らの集団性は確認されていない。


 魔生物指標は驚異のZランク、上から三番目に位置する正真正銘の化物である。


 農村であれば一夜も持てば善戦したといったところだろうか。Zランク冒険者が一個小隊――この世界では5人ほど――を組んで、ようやく互角だ。


 余談ではあるが、ケイのランクは「C」、E→D→Cなので、下から三つ目だ。実力差は天と地ほど……であれば、まだ可愛いい方だったのかもしれない。


 つまり、彼女は死んだも同然。万物平等の弱肉強食、それが今日に限って彼女に訪れただけの話だ。もちろん、あの男を犠牲にしたのだから、当然の報いなのかもしれなかった。


 夜遊びの死神が大きな口を開ける。他の獲物のモノか、濃い血の匂いが息と共に溢れてくる。それが蒸気を伴いケイの周囲に充満して、濃密な死の予感と化した。そこから生じる恐怖だけで、彼女の意識は朦朧としていた。迫る赤い洞窟が月明かりを隠して、彼女から視界を――……


「――杭々(くいっく)」

 

 ――ボッ!!

 夜風がケイの頬を撫でる。それは真正面から生じて、彼女を通り過ぎて行った。赤い洞窟は月明かりを取り戻して、その奥の景色を覗かせる。それが筒状の空洞と化したサイレント・ウルフだと気づけず、ただ彼女は奥に見える人物を眺めていた。


 そこに立つ、就活太郎を。





※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

【基本設定】

・魔生物指標=E<D<C<B<A<Z<Y<X

・冒険者ランク=同上

・一個小隊=5人ほど(本来は25~50人ほど、誤用ですがご容赦を)

・魔生物指標B以上は、同冒険者ランカーが一個小隊は必要

 

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