ただ寄り添ってくれる人が欲しいだけだった

くろねこどらごん

第1話

 ――――かがみよかがみ、世界で一番美しい人はだあれ?



 それはとても有名な絵本に書かれた、とあるフレーズ。

 自分を世界で一番美しいと信じている女王様が、鏡に向かって問いかける台詞だ。

 それまでは女王様と答えてた鏡が、白雪姫と答えたことで怒り狂い、嫉妬で破滅していく。そんなお話。


 私も小さい頃に読んだ事があった。

 女王の行動にあまりピンと来なかったことは、よく覚えている。


 なんで美しいことに拘るんだろう。


 なんで自分より美しいからって、白雪姫にひどいことをするの?


 女王様だって綺麗なんだから、そんなことをする必要なんてないのに。


 それでなにもかもなくして、死んじゃったら意味ないよ。


 そんなことを、当時の私は思っていた。

 自分が一番綺麗じゃないことを許せないという感覚が、私には理解出来なかったからだ。


 私は綺麗な服を着ることより、本を読むことのほうが、昔からずっと好きだった。

 誰かと話すより、本の世界に浸りたい。そんな子だった。

 いろんな意味で、私は可愛くない子供だったと思う。


 人付き合いにも興味がなく、本を片手にずっとひとり。

 いつも独りぼっちの女の子。それが私、赤宮雪乃。


 寂しくはなかった。本の世界があったから。

 悲しくはなかった。それが当たり前だったから。

 困ることはなかった。変わった子であることを、受け入れてくれる世界に生きていたから。


 クラスでの私は浮いていた。

 クラスの子には時々話しかけられたけど、質問に答える私の言葉は、いつも短かった。

 つまらないと思われたのだろう。当たり前だ。

 話が終われば興味がなくなり、向こうから去っていく。私は会話が終われば本の世界にまた戻る。


 そんな日々だった。私は他人に興味がなかった。

 独りぼっちが苦でもなかった。でも、私は気付かなった。

 独りでいることは、学校という場に置いて当たり前のことではないのだと。


 私は集団に混ざれない異物だった。

 そんな私のことを、周りの子たちはそういう子なんだと受け入れてくれていたのだ。


 それはきっと、優しさと呼べるものだったんだろう。

 気付かないうちに、周りの優しさに甘えていた。彼らが私をどう思っていたのから知ろうともしなかった。

 私は無知で愚かなまま、中学生になり――そして転機が訪れた。


 転機といっても、決していい意味ではない。

 簡単にいうと、私は女子からハブられた。

 理由は単純だった。中学に上がり、生徒が増えてからも、私は小学校の頃と同じ行動を取り続けていた。


 それだけだ。でも、それだけで十分だった。

 周囲に合わせようともせずにいた異物が、女子の誰かの癇に障っただけのこと。

 自業自得の、どうしようもないことだった。


 話しかけても無視される。体育の授業では組んでくれる相手がおらず、いつも見学。

 学校行事のあった日のことは、思い出したくもない。

 直接いじめられたことはなかったが、憂鬱な日々がずっと続くだけの毎日だった。


 私はすっかり参っていた。私は孤独が好きだったが、孤立することに対する耐性はなかった。

 悪意を向けられることにも慣れてなかった。自分の弱さを、ここにきてようやく理解したが、既に手遅れだった。

 友達を作ろうともしなかった私は、人への頼り方が分からずにいた。


 独りでいることが、私には怖くなっていた。



 かといって、私は別に誰かを恨んだりはしなかった。

 この状況を生んだのは自分自身。それくらい分かってる。

 過去の行いが返ってきただけのことだ。

 逆恨みするほど、私は図太い性格をしていなかった。

 いや、あるいはそれができるようならまだ良かったのかもしれない。

 私の心は孤立に耐えきれず、確実に疲弊していたのだから。



 だから求めてしまった。

 私に寄り添ってくれる人を。隣りにいてくれる誰かを。


 誰でも良かった。

 ただ、独りは嫌だった。

 私自身が、救われたかった。



 それは中学も三年生に上がり、今の状況がすっかり当たり前になった頃だった。

 クラスメイトは変わったが、きっと同じような日々が続くのだろうと思ってた時、私と同じように孤立している男子がいることにふと気付いた。


 その人は普通の人だった。

 顔も普通。身長も普通。成績もそこまで悪くない。

 運動は出来なかったようだけど、それについては私も人のことは言えないので割愛する。

 とりあえず、私と同じような状況にいた人がいたことを分かってくれればそれでいい。


 とにもかくにも、私から見てその男子はそこまで悪い人ではないように思えた。

 だけど誰からも話しかけられない。ただいつも俯いていて、休み時間は本を読むか寝たふりをしているか。その繰り返し。



 ―――私と同じだ。



 そう思った。だから、勇気をだして話しかけた。

 同時に、同じ境遇の人なら、きっと私を邪険にしないだろうという、浅ましい望みを抱いて。


 彼を救いたかったわけじゃない。そもそも私にそんなことが出来るはずがない。

 この狭くて広い学校という箱庭の中で、寂しさを埋めてくれる宿り木が欲しかっただけ。

 惨めで愚かで自分本意。それでも、心からの願いだった。



 それから私たちは、よく一緒にいるようになった。

 私たちは本の趣味が合った。休み時間、そして昼休みと話す時間が徐々に増えていった。そのうち、放課後も一緒にいるようになった。

 そのことで、冷やかされたり揶揄われたりもした。

 除け者同士でくっついたんだろうと、陰口も叩かれた。


 だけど別によかった。

 例えそれが共依存と呼ばれるような関係であっても、私は確かに救われていたのだから。



 修学旅行はふたりで過ごした。写真も撮った。

 写真の中の私は上手く笑えておらず、ひどくぎこちない笑顔だったけど、それは彼も一緒だ。

 ひどい顔してるねと、写真を見てまたふたりで笑った。

 その最中、いつか読んだ絵本のフレーズが脳裏によぎる。


 ――――かがみよかがみ、世界で一番美しい人はだあれ?


 私では絶対ないなと、写真の中の私を見ながらそう思った。




 月日が流れ、秋が訪れた。

 私たちの関係は変わらず、今も互いに寄り添い続けていた。


 彼といると安心できた。

 離れると寂しさが湧いた。

 時たま、胸が締め付けられるような感覚に襲われることもある。


 以前あった寂しさは私の中から消え去っていた。

 代わりに、別の感情が占めるようになった。


 恋。きっとそう呼ばれる感情だ。


 確証はない。私は恋をしたことがないから。

 それでも、私は自分でこの気持ちは恋なのだと決めた。

 間違っていても構わない。私がそう思っているんだから、それでいい。


 彼とずっと一緒にいたかった。

 これが恋でないというなら、一体なんだと言うんだろう。

 もう独りには戻れない。戻りたくない。

 だからだろう。彼に告白され、同じ高校に行こうと言われた時は、本当に嬉しかったことを、今でもよく覚えている。

 その頃には冬に差し掛かり、肌寒かったはずなのに、心はとても暖かった。



 この幸せに浸り続けていたかったけど、そうはいかなかった。

 時間は確実に流れている。立ち止まることを許してくれず、受験の日は確実に近づいていた。


 冬休みのある日。彼と勉強会をすることになった。

 場所は図書館。私たちらしい場所だ。

 駅前で待ち合わせをして、少し歩いて行こうと提案された時は舞い上がりそうになった。


 勉強会と言っても、これは間違いなく彼との初デートだ。嬉しくてたまらなかった。

 だけど、私はすぐ落ち込むことになる。


 デート当日。待ち合わせ場所に現れた彼の姿は、いつもと違っていた。

 美容院に行ったのか、髪をセットしていた。服も真新しく、綺麗だった。

 この日のために購入したであろうことは容易に想像できた。

 彼自身は慣れないオシャレに緊張しているのか、顔を赤らめ視線を彷徨わせていたけど、やがて「どうかな?」と私に聞いてきた。


 正直なことを言えば、似合ってはいなかった。

 明らかに着こなしは馴れたものではなかったし、無理矢理背伸びをしている。そんな印象をまず受けた。


 でも、そんなのは些細なことだ。

 私は言葉を返すことが出来ないまま、自分の服装を見下ろす。

 黒のダッフルコートがそこにはあった。その下には、学校の制服がある。いつもの格好だった。


 言い訳をするなら、私は私服というものをほとんど持っていなかった。

 親から貰ったお小遣いは本代に消えていたし、休みはほぼ家に引きこもり。

 買い物はネットを利用していたし、本屋には学校帰りに行っていた。

 彼と付き合うようになってからも、極力人と関わり合わないようにする生活自体は継続していたのだ。


 それが仇となった。

 私はショックを受けた。

 そんな服装で来ておいて、今更なにを言っているのかと思われるかもしれないけど、それでも後悔した。

 なんでデートをするのに、いつもの格好で来てしまったんだろうと。

 ちょっと考えれば、非常識であることなんて分かったはずなのに。


 私はその考えを、無意識のうちに切り捨てていたのだろう。

 彼も私と同じだろう。いつもと同じ服装で来るだろうと。


 ひどい話だ。

 彼は彼なりに、私のことを大事に思っていてくれて、見栄を張ろうとしてくれたのに、私は見栄を張ることすら放棄したのだ。

 彼の気持ちを軽んじていた自分が恥ずかしくて、その日は彼と目を合わすことも出来なかった。

 初めてのデートは、最悪としか言いようないものだった。


 ――――かがみよかがみ、世界で一番美しい人はだあれ?


 それは、私じゃない。

 でも私は―――私を大事に思ってくれている彼の前でだけは、せめて。


 私に、ほんの少しの意地が生まれた。




 その日から、私は変わり始めた。

 勇気を出して、服を買った。自分に合った服が分からないから、ファッション誌に手を出した。

 野暮ったい髪型は良くないとかかれてたから、髪を切った。

 似合ってない。それが素直な感想だったが、美容師の人は褒めてくれた。

 恥ずかしくて目を伏せたけど、悪い気はしなかった。

 思えば、人に褒められたのは随分久しぶりだった。

 彼も―――褒めてくれるだろうか。僅かな欲望が首をもたげる。


 なにをしているんだろうとも思ったりした。

 受験が迫ってるのに、こんなことをしていていいのかとも考えた。

 恋愛に頓着しなかった頃からは、考えられないような自分の変化に戸惑いもした。


 だけど、私にあのデートで痛感したのだ。

 結局私は変わっていない。いいや、変わることを放棄している。


 それじゃ駄目なんだと思った。

 私は変わらないといけなかった。

 私のために勇気を出してくれた彼に応えたかったのだ。


 その成果は、出た。

 冬休みの最後の日、私は彼ともう一度会った。

 彼は私の変化に驚いた後、すぐに褒めてくれた。


 綺麗になったよと。すごくいいよと。

 拙いながらも、想いの伝わる誠実さで、彼は私を褒めちぎってくれた。


 それがただ嬉しかった。涙が出そうだった。

 勇気を出した甲斐があったと思えた。


 ――――かがみよかがみ、世界で一番美しい人はだあれ?


 ああ、今なら分かる。

 あの女王様が、何故鏡にあんなことを聞いたのか。

 彼女は、満たされたかったのだ。

 自分を認めて欲しかったんだ。

 その方法が鏡に、誰かに確かめることだった。

 だってこの満たされる気持ちは、自分ひとりじゃ決して生まれてこないものだから。


 そう心から思った。

 だけど、私はこの時気付くべきだった。

 何故女王様が白雪姫に毒リンゴを渡したのかを。

 満たされたと感じた気持ちは本物であっても、それが永遠に続くわけではないことを。


 承認欲求という名前のリンゴを、知らないうちに口にしたことを。


 私は結局、愚かだった。

 女王様の気持ちに気付いた以上、もう無垢な白雪姫には戻れないというのに。


 毒が、ゆっくりと巡り始めた。




 冬が過ぎ、私は高校生になった。

 受験には合格し、彼と同じ高校に入学した。クラスも同じ。

 そのことは嬉しかったけど、高校生活自体にはさして期待はしていなかった。

 中学と変わらない、彼と二人の閉じた日々を送ることになるだろう。

 希望的観測を抱かず迎えた高校生活初日。

 だけどそれは、私の予想外の方向に向かった。


「赤宮さんって可愛いよね」


「彼氏いるの?」


「この後皆でカラオケ行かない?」


「LINE交換しようよ!友達になろう!」


 自己紹介を終え、あとは帰宅するだけとなった放課後の時間。

 私は新しくクラスメイトになった人たちに囲まれた。

 初めての経験にパニックになり、なんと答えたかは覚えていない。

 気付いた時には彼と両親以外の連絡先のなかったスマホにたくさんの見知らぬ名前が増えており、クラス会と称したカラオケを終えていた。

 隣には並んで歩く彼がいたが、その表情はどこか浮かない。


「どうしたの?」と聞くと、「ごめん」と返された。

 私が困っているのが分かっていたのに、助けられなかったことが申し訳なく思えたらしい。


 別に気にしなくていいのに。戸惑ったのは確かだけど、別に彼に非があるわけでもないし、人付き合いが苦手なことは分かってるのだから。

 真面目だなぁとむしろ好感がもてて、彼をもっと好きになった。


 私と彼の、すれ違いの始まりだった。




 高校入学から少し経ち、私はよく人に囲まれるようになった。

 夢にも思わなかったことに嬉しいというより困惑が勝り、何故こうなってるのかという疑問が生まれた。

 でも、考えても分からない。分からないから、彼に聞いた。答えはすぐ返ってきた。


「雪乃がすごく綺麗になったからだよ」


 ……恥ずかしかった。聞くんじゃなかったとも思ったけど、彼の声がすごく真面目だったから、信じざるを得なかった。

 どうやら自分は、顔がいいほうであるらしいと。

 まるで気付かぬうちに、私は高校デビューというものを行い、成功していたらしかった。


 私に人が集まってくる理由は分かった。

 だけどそのことを、別に嬉しいとも思わなかった。

 中学時代は人と関わることをしなかったせいで孤立し、それが三年生まで尾を引いた。

 一方で、高校に入学したら顔がいいという、たったそれだけの理由で、こうもあっさり自分を取り巻く環境が変化した。


 こんなことで―――こんな些細なことで、全部変わってしまうんだ。


 喜びより、虚無感が私を襲った。

 どちらもほんのひとつのきっかけが起因であり、私自身がそうなりたいと意識したことではない。

 気付いたらこうなっていたというだけ。


 彼と出会う前の私の中学時代は、一体なんだったというんだろう―――そんな空虚な気持ちに駆られてしまった。

 胸に穴が空いたような感覚を覚えながら、私は鏡の前に立った。


 ――――かがみよかがみ、世界で一番美しい人はだあれ?


 皆が……彼が、『今』の私は綺麗だという。

 だけど私には鏡に映る自分の笑顔が、ひどく歪なものに見えた。



 それからの私は、よく遊ぶようになった。

 クラスメイトの誘いに乗って、カラオケに行ったりご飯を食べに行ったり、色々なことをするようになった。

 友達も増えた。なかには年上の人もいる。彼らは皆、私のことを褒めてくれた。


 傍から見れば、きっと充実した日々だった。

 だけど、胸にはポッカリと穴が空いていた。


 あの中学時代は、独りだった時間はなんだったんだろう。

 そんな考えが私の中にぐるぐると渦巻いていて、まるで収まってくれないのだ。


 確かに私は変わろうとした。実際変わって、綺麗になった。

 だけど、それは外見の話だ。中身は今も変わってなんかいない。暗くて本が好きな私のままだ。


 なのに、認められている。

『今』の私は、皆から肯定されている。

 私は私のままなのに。皆から否定され、孤立した私のままなのに―――


 ぐちゃぐちゃだった。

 なにがなんだかわからなくなっていた。

 私のことが、私でもよくわからなくなっていた。


 こんな状態で、彼と会いたくなかった。

 だから避けるようになった。

 自分で自分が分からなくなっているのに、今の彼にこれ以上『今』の私を肯定されたら、自分が消えてしまうような気がしたのだ。


 結果、彼と遊ぶ時間は減った。

 当然だ。でも、彼は何も言わなかった。

 だから大丈夫だろうと思った。

 皆、私を綺麗だと言ってくれているのだ。

 なら彼も、私が綺麗になったほうが喜ぶはずだ。


 あの時だってそうだったのだから。

 気持ちの整理がついたら、また話し合えばいいと、そう自分に言い聞かせた。

 それは誤魔化しだと分かってるのに、そうしなければいけなかった。




「俺と付き合って欲しい」


 ある日の昼休みのことだった。

 私は呼び出され、告白をされていた。


「え……と」


「駄目かな?」


 言葉に困っていると、告白相手が聞いてきた。

 誰かは知っている。名前は瀧沢くん。クラスメイトで、学年で一番格好いいと言われている人だ。よく一緒に遊ぶメンバーのひとりでもある。


「その、私には彼氏がいるから」


 だから断りづらかったけど、勇気を出して告げた。

 私には彼がいる。浮気なんて出来ないし、別れるつもりもない。

 私の返事に瀧沢くんは意外そうに目を見開くと、


「え……そうだったのか?」


「う、うん」


「そっか……赤宮はてっきりフリーだと思ってた。ゴメンな、困るようなことして。悪かったよ」


 そう言って、瀧沢くんは頭を下げてきた。

 慌ててそんなことはしないでいいと言ったらようやく頭を上げてくれたけど、まだ申し訳なさそうな顔をしている。

 そのことに罪悪感を覚えた私は、つい言わなくていいことを言ってしまった。


「本当に気にしなくていいから。気付かないのも無理ないよ。私も、彼とは最近あまり話せてなかったから……」


「え? どうして?」


「それは……」


 話していいのか、少し迷う。

 相変わらず気持ちの整理はついていない。

 そのせいで、最近彼との会話もぎこちなく、会う回数すら減っていた。

 このままでは良くない――そう分かっているのに、どうすればいいのか分からない。


「俺で良ければ話を聞くよ。いや振られちゃったけど、それはそれとして罪滅しってことで。勿論誰にも言わないって約束する」


 私が迷っていることを察したようで、瀧沢くんのほうから助け舟を出されてしまった。

 困ったような笑顔を浮かべていて、嘘を言ってるような感じじゃない。

 振ったばかりの私に、好意的に振る舞ってくれている。強い人だと思った。


「……実はね」


 そのせいだろうか。私は結局、話してしまった。

 望まぬ高校デビューをしてしまったこと。

 そのせいで、自分が分からなくなったこと。

 今の私で、彼と会うことが怖くなってしまったこと。

 ぎこちなくなった彼との今の関係まで、全部話した。

 聞いていて決して面白くないだろう話を、彼は最後までなにも言わずに聞いてくれた。


「……そっか。赤宮さん、大変だったんだね」


「……ごめんね、こんな話をして」


「いや、俺が聞きたいって言ったから。気にしなくていいよ。話してくれて、嬉しかった」


 それに、と瀧沢くんが一度言葉を区切る。


「俺、赤宮さんのことなにも分かってなかったんだなって恥ずかしかった。無理してたこと、全然気付かなかったし。改めてごめんね?」


「そんなこと、ないよ。私こそ……」


「ううん。これからは俺も気を付けるからさ。赤宮さん無理しないで欲しい。その、好き……だった、人が。辛い思いしてるとか、俺も嫌だしさ」


 そう話すと、瀧沢くんは目をそらした。

 恥ずかしかったのか、耳が赤い。きっと、いい人なんだろう。私も彼のことを、あまり良く知ろうともしていなかったことに気付いた。


「ごめんなさい……私……」


「だから謝らなくていいって! とにかく俺が言いたいのはさ、これからは困った時、俺に相談して欲しいんだ」


 友達だしさ。

 最後にそう付け加えてくれた瀧沢くんの言葉に、私は思わず安心してしまった。

 だから、


「……ありがとう、瀧沢くん」


 私は、笑顔で応えた。

 それはいつか彼と撮った写真みたいに不器用で、久しぶりに出すことができた『私』の心からの笑顔だった。






 ――――そして、その日の放課後。私は彼に呼び出された。







「別れよう」


 最初に、そう告げられた。


「なん、で……」


「それは君が一番よく分かってるでしょ」


 聞いたこともない、冷たい声だった。


「瀧沢ってやつと付き合うことになったんだって、クラスで噂になってるじゃないか。元々仲が良かったんだろ? 雪乃も笑顔で応えたって見た人が言ってたんだ」


「そ、それは、違うの! その、誤解で」


「なにが誤解なんだよ。教室まで一緒に帰ってきたところ、僕も見てるんだよ?」


 取り付く島もなかった。

 ただ淡々と彼は言葉を吐き出している。


「どうせ僕が呼び出さなくても、雪乃のほうから別れを告げてくるつもりだったんだろ? だから僕のほうから呼び出したんだよ。手間が省けて良かったじゃないか。瀧沢のほうが僕よりよっぽど顔がいいし、友達も多いしね。そりゃあっちを選ぶよ。考えなくても当然だよね」


 少しづつ、彼の喋る量が増えていく。慣れない皮肉も織り交ぜて。


「僕だって、雪乃の立場になったらそうするよ。良かったね、幸せになれるじゃん! クラスの皆も僕らが付き合ってることしらなかったみたいだしね! 最初から、高校に入ったら別れるつもりだったんだろ? なら、言えば良かったじゃん。 こんな彼氏じゃ恥ずかしいってさぁっ! どうせ最初からそう思ってたんだろ! なぁっ!?」


 まるで、抑え込んでいる感情を押し込めるためには、そうしなければいけないかのように。


「…………」


 それがひどく痛々しく見えて、私は目を伏せてしまった。

 卑屈なところがあるのは知っていた。

 でもそれは私も同じだった。似た者同士だったから。

 だからこそ寄り添いあったのだから。


「……なんでなにも言わないんだよ」


 なにも言わない私に、彼は顔を歪めた。


「なんとか言えよ! こんなに色々言ってるんだぞ! 雪乃も言いたいこと言えよ! なんで言わないんだよ!」


 泣きそうになっているのが分かる。

 でも、かける言葉が見つからない。


「じゃないと、僕は、僕たちは……」


 彼と私は似た者同士で、彼は私の鏡だった。

 だから分かる。分かってしまうんだ。

 彼の頭の中はきっともうぐちゃぐちゃで、私がなにを言っても響かないだろうということが。

 やがて、彼は小さく息を吐いた。諦めの、息だった。


「……分かってたよ。雪乃が綺麗な子だってことは。でも、僕はそうじゃない。だならいつかはこうなるってことは、分かってたんだ……」


「私は、そんなこと……」


「僕は思ってたんだよ。雪乃が変わってから、ずっとっ! でもそれを必死に隠してきたのに、こんな、こんな別れ方をしたくなくて、僕は……!」


 彼は泣いていた。顔もぐしゃぐしゃだ。

 きっと、私も同じ顔をしているだろう。

 お互い悲しんでいるのに、こんなのは嫌なはずなのに、それでももう、どうしようもなかった。


「ごめん、なさい……」


「なんで泣いてるんだよ……やめろよ、そういうの……僕じゃないやつを選んだのは、雪乃のほうだろ……」


 誤解だった。

 でも、それを解くための言葉が私には見つからなかった。

 説得なんてしたことがないし、喧嘩もしたことがない。


 ――私が彼に求めていたのは宿り木の役目だったから。


「ごめんなさい……」


 私にはもう、謝ることしか出来なかった。

 独りは嫌だった。だから寄り添ってくれる人が欲しかった。

 でも、気持ちが離れつつある人を引き止める方法なんて、私は知らなかったのだ。


 きっと最初から、私は全部間違っていた。



 やがて、彼は去っていった。

 その後ろ姿を、私は見ていることしか出来なかった。


 ――――かがみよかがみ、世界で一番美しい人はだあれ?


 私は、なんのために綺麗になろうとしたんだろうか。


 もう分からない。

 ただ、毒リンゴだけを食べ、白雪姫にはなれなかった自分が、ひどく醜い人間に思えた。

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ただ寄り添ってくれる人が欲しいだけだった くろねこどらごん @dragon1250

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