長谷部家の真実
翌日。清花は長谷部家の前にいた。
「わたしと早苗の推測がどこまであっているのか。それを確かめてみようじゃない」
意を決した清花は頷き、扉横のインターホンを押す。
『はい』
「こんにちは長谷部さん。少しお話よろしいですか?」
『お話? 何でしょう』
「お宅にいる、お子さんについて」
『…………今、行きます』
清花がしばらく扉の前で待っていると、奥の方で足音が聞こえ、その後扉が開いた。
「お待たせしました」
そう言いながら、長谷部は扉の中から姿を現す。そして清花の姿を見て、目を丸くした。
「あなた、昨日のお嬢ちゃん」
清花は深々と頭を下げる。
「こんにちは。急にごめんなさい。どうしても確認したいことがあって、押しかけてしまいました」
「頭を上げてちょうだい」
長谷部のその声で清花は頭を上げ、長谷部と対峙する。
「あの子のことでお話があるって言っていたわね」
「はい」
長谷部は少し考え、それから扉を大きく開いた。
「入って。外は暑いでしょう。中でお茶でも飲みながら話しましょうか」
「ありがとうございます」
長谷部に促され、清花は長谷部宅にあがる。
目の前にある引き戸を抜け、部屋中央にあるテーブルの前に座るように長谷部は清花に告げた。
テーブルの前で正座した清花は、その部屋の中をぐるりと見渡す。
左手には大きな窓があり、正面には液晶テレビ、出窓。右に視線を動かすと、部屋と地続きになっているキッチンが見えた。
「麦茶でいいかしら?」
唐突に問われ、ハッとした清花は「はい!」と強ばった声で返す。
それから清花が再び顔を正面に向けると、出窓の前に写真立てがあるのを見つけた。
若い長谷部と、その隣には笑顔の男性。そして、二人の間には制服姿の少女が写っていた。
清花がぼうっとその写真を眺めていると、麦茶の入ったグラスを置きながら長谷部は笑う。
「ずいぶんと老けたでしょ?」
「あ、いえ。そんな……」
「いいのよ。自分でもわかっているから」
そう言ってから長谷部は右手で麦茶のグラスを差した。
「いただきます」と清花はグラスを手に取り、麦茶を口に含む。
清花がグラスを置くのを見計らい、長谷部は言った。
「それで。私に何を聞きたいのかしら?」
「さっきも言いましたが、この家にいる子についてです」
長谷部は何も言わず、静かに頷いた。
「ですが、まず最初に。わたしの好奇心でこの家の事を色々と調べてしまい、申し訳ありませんでした」
清花はそう前置きをして、どうして調べるにいたたったかを長谷部に説明していく。
「――そんなことがあったのね。それはこちらもごめんなさい。あなたに怖い思いをさせてしまったわ」
「いえ、いいんです。あの出来事が無ければ今わたしがここにいることもなかったでしょうし」
「そうね。でも、どうしてその白い手が明美の子供の手だと気づいたの?」
「確信していたわけじゃないんですけれど、昨夜またこの生け垣の前に行って、そこでその子の言葉を聞いた時に確信できたというか……」
「でも、明美に子供がいるという噂は無かった。結婚しているっていうのも。それなのに、子供がいる可能性を疑ったのはなぜ?」
清花は一度麦茶を口にする。
それから昨晩早苗と共に話し合った内容を頭の中で整理し、ゆっくりと口を開いた。
「その方がいろいろと辻褄が合うんですよね。長谷部さんにはお子さんがいない。だから孫がいることはありえない。だとすると、明美さんが長谷部さんに自分のお子さんを預けている可能性が高くなる。
そして、わたしの祖父が長谷部さんの家に向かって謝罪を口にするのを聞いた、という事実がこの推測の後押しをしたところはありますね」
「そうだったの。誰にも見られていないと思ったんだけどね」
長谷部は苦笑いをしながら言う。
「でも、なぜ明美さんは長谷部さんを頼ったんですか? お母さんに頼ることはできなかったんですか? まさか不仲、とか?」
長谷部はゆるゆると首を横に振った。
「明美の母――私の妹はね、明美が中学生の時に亡くなったの。旦那さんと買い物に出かけていた時にね」
「……え」
「私の両親も、相手の両親も高齢でね。中学生の明美を育てることが難しくて。そこで私たち夫婦が明美を引き取ることにした」
「そう、だったんですね」
長谷部は悲しそうに頷き、話を続ける。
「私達はずっと子供が欲しかったけれど、叶わなかったから。本当に妹には申し訳ないのだけれど、明美が家に来てくれて私も旦那もすごく嬉しかった。
でも……明美は違ったみたい。私達にすごく気を使っていたんだと思う。だから高校卒業を機に、この家を出たのよね」
明美は大事にしてくれる存在がいても、その存在に甘えることを自分が許せなかったのだろうか。
当時の明美のことを考えながら、清花は長谷部の話の続きを聞いた。
「しばらくは音信不通だったんだけど、お父さんが病気になった時に一度お見舞いに来てくれたことがあったのよ。その時あの子に子供がいることを知ったわ」
「明美さんはその……ご結婚、されていたんですか?」
「いいえ。未婚の親だったの。どうやら当時付き合っていた彼氏は、子供が出来たと分かった途端に姿をくらましたらしいわ。出産までは同情した職場の同期が面倒を見てくれたとかって」
長谷部はそう言って寂しそうに笑う。
自分の子同然に見てきた娘が、そんな大事な時に頼ってくれなかった。それを知った長谷部がどんな思いだったかくらいは清花にも想像できた。
「それからも明美が私たちを頼ることはなくて、私からも明美に何も言ってあげられなかった。でも一か月前にね、明美が連絡をくれたの」
長谷部は一度目を伏せてから、再び清花の方をまっすぐに見据える。
「どうしても外せない仕事があって家にしばらく帰れない。だから子供を少しの間だけ、預かってくれないかって。
初めて明美が私を頼ってくれたことが嬉しかった。それと同時に、明美が子供を置いたまま仕事に行っているということを周囲にバラしてはいけないとも思ったの」
「どうして、ですか?」
「子供の幸せよりも仕事を取るのか。そう思われると思ったからね。
明美だって、本当は子供と一緒にいたいのよ。でも、働かなくちゃ生きてはいけない。苦渋の選択だったと思う。
私は親として、明美の思いを汲んであげたかった。だからあの子の子供がここにいる事実を秘密にしておきたかったんだけどね……お嬢ちゃんにはバレちゃったわけさ」
「事情が事情なわけですし、誰も明美さんのことは責めなかったのでは?」
「明美自身が家族で辛い経験をしているのに、子供にも同じような辛い経験をさせるのかって思う人はいると思う。私も明美も、それが怖かったの」
「そうですか……」
確かに。何も知らなければ、わたしもどう思ったかは分からない。
明美の子供のことを想い、長谷部や明美を責めたかもしれないと清花は思った。
「でもね。預かったのはいいけれど、私も子育てなんてまともにしたことがなかったから、あの子には悲しい思いをさせてしまっているのかもしれないね」
その時、清花は察する。
あの生け垣から伸びていた手の意味を。
おそらくあの子は、誰かにその手を掴んで欲しかったのだと。
そして幼い頃の自分と、その子供の姿が重なる。
「いま、明美さんの子はどこに?」
「部屋にいると思うよ」
「お話、させてもらっていいですか?」
清花の提案に、長谷部は目を丸くする。
「大丈夫かい?」
「ええ」
清花が頷くと、長谷部は少し考えてから立ち上がった。
「ついてきて」
そう言われ、清花も立ち上がり、長谷部の背中について行く。
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