生け垣にて
翌日。清花はラインの通知音で目を覚ました。
「あ、早苗からだ」
昨晩、白い手を見た現場に戻った清花だったが、結局その時には白い手を見つけることは出来なかったのだった。
とぼとぼ帰宅して風呂に浸かったあと、清花は調査の報告をすべく早苗にラインを送っており、その返信が今さっき届いたのである。
白い手が生えていた家主は長谷部という人物だということ。その長谷部家には跡取りとなる子供がいなかったこと。
そして、再び確認した時に白い手が見つからなかったことなどを清花は早苗に伝えていた。
『――もしかしたら、時間帯なのかもしれないね。白い手は決まった時間にしか生け垣の前にいられないから、清花が次に見た時には現れなかったんじゃない?』
白い手の存在を否定されるだろうと覚悟していた清花は、早苗からの意外な返答に驚く。
『そうは言っても、やっぱりわたしの見間違いだったのかもしれないよ』
『本気でそう思ってる?』
『だって、二度目は見つけられなかったわけだし……』
昨夜みた二度目の光景を思い返し、清花はため息をつく。
「何度見たってきっと同じ。あれは見間違えだったんだ。動いているように見えたのも多分、私がそうだと思い込んでいただけのこと」
ラインの通知音が聞こえ、スマートフォンに視線を落とす。
『清花はまだそっちにはいる予定なんだよね?』
『うん。とりあえず来週の月曜日まではいる予定だよ。どうして?』
『だったら今夜も行ってみればいいんだよ。一回目に見た時と同じくらいの時間にね』
『もしダメだったら?』
『そんときはそんときだよ。まずは調べてみよ! それに多分、見つけられると思う』
『その根拠は?』
『勘っ!』
「勘って……」
ついつい呆れた声音で呟く清花。
「まあ他に根拠もないし、今回ばかりは早苗の勘を信じてみるか」
誰にともなく清花は呟くと、『分かりました。安楽椅子探偵さんの勘を信じましょう』と早苗に返す。
その後は狼狽える早苗の返信に笑い、しばらくして早苗が夏期講習に向かう時間になったため、ラインのやり取りを終えたのだった。
遅めの朝食を摂り終えた清花は、長谷部家の生け垣の前にいた。
「早苗の言う通りで決まった時間しかあの手が出てこないのなら、今はどれだけ観察しても無意味ってことになるけれど……」
生け垣を左手に見ながら、清花はゆっくりと歩を進める。
青々としげる生け垣はこの時を、清花を静観していた。
この向こう側にあるのだろうか。真実だけではなく、わたしの求めているものが――。
その先を見抜こうと生け垣に穴が開くくらい清花が見つめていると、その向こうからしゃくり上げるような声が聴こえた。
「今の……」
ふと足を止め、耳をすませる。
「……さん。あい……よ」
途切れ途切れに聞こえる、誰かの泣き声。
生け垣の隙間から声の主を特定しようと、顔を近づける清花。
もしかしたら、この声の主が白い手の――。
生け垣まであと数センチ。清花の鼓動は激しくなる。
「アケミ?」
聞こえた声にハッとして顔を上げる清花。
自分の数メートル先には白いロゴTシャツ、グレーのスラックスを履いたおばあさんが、目を丸くして立っているのが見える。
「ごめんなさい。人違いだったわね。お嬢ちゃんはそこで何をしているの?」
そう言って微笑むおばあさん。その顔はなんだか作り物めいていた。
清花は自分のしようとしていたことを思い返し、背筋が凍りつく。
「あ、えっと……」
何か、何か言わなくちゃ。
ここで誤魔化せなければ、自分は不審人物として警察に連れていかれてしまう――その可能性を考え、清花は何とか切り抜けられそうな言い訳を思考する。
「…………と、とっても素敵な生け垣だなぁと思ってっ!」
力んで大きな声を発する清花。
こんな理由で信じてくれるかな……。
その心の声が漏れないようにしっかりと唇を結び、おばあさんの目を見つめて反応を待った。
するとおばあさんはキョトンとした顔をし、「特に手入れとかはしていないんだけどね。でも、ありがとう」
そう言って微笑んだ。
なんとか誤魔化せたことに安堵し、清花も笑顔をつくる。
しかしその時、また生け垣の向こうからしゃくり上げるような声が聞こえた。
清花は反射的にその声の方へ顔を向ける。それから直ぐにハッとして、おばあさんに視線を戻した。
青ざめた顔。僅かに開かれた口から聞こえる、カチカチという音。
清花はその横顔に、思わず目を見張る。
おばあさんは、何かを恐れている――?
清花の視線に気づいたのか、おばあさんは清花の方を向き、瞬時に笑顔をつくった。
「や、やかんを火にかけたままだったわね。それじゃ、またねお嬢ちゃん」
おばあさんはそう言ってくるりと踵を返し、早歩きでその場を去っていく。
後を追おうかと迷った清花だったが、何かとんでもない事に巻き込まれる予感がして、その場から動くことが出来なかった。
清花は再び生け垣の方に目を向ける。しかし、もうすすり泣く声は聞こえなかった。
「あの人……」
清花はその場で立ち尽くしたまま、起きた数分の出来事を思い返す。
――呼ばれた『アケミ』という名前。
――しゃくり上げる声を聞いた時の慄然とした表情。
何を意味するのか、このピースだけじゃまだ分からない……。
顎に指を添えて、しばらく考え込む清花。それからおもむろに顔を上げ、おばあさんが去っていった方向を見つめる。
そこには証拠も何も無く、煩いくらいの蝉時雨が降り注いでいるだけだった。
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