調査開始

「おじいちゃん、おばあちゃん」


 居間に入ったところで声をかけると、テーブルを囲みながら座っていた祖父母が清花の方に顔を向ける。


「どうした、きよちゃん」


 祖父はそう言って笑った。


「ちょっと聞きたいことがあってね」


 清花はテーブルの空いている面の前で座り、祖父母の顔を交互に見る。


「聞きたいこと?」祖母は首を傾げた。


「うん。すぐそこに電灯があるでしょ? そこのお家のことを知りたくて」


「ああ。そこの電灯なら、長谷部さんちじゃないかぁ」


「ええ、そうねぇ。それで、きよちゃんは何が知りたいのかしら?」


「えっと……家族構成、とか? お孫さんはいるのかなと思って」


「お孫さんはいないわよ。長谷部さん、子宝には恵まれなかったもの。ずっと夫婦二人で暮らしていたわ。五年前まではね」


「五年前?」


「そうよ。旦那さんが五年前にご病気で亡くなられてね。それからは奥さんが一人であの家に住んでいるの」


「そう、なんだ」


 一人暮らしの女性だけ。それじゃあ、あの小さな手は子供じゃなくその女性のもの? それにしては、小さすぎるような……。


 清花は唸りながら首を傾げる。


「しっかし、なんできよちゃんは長谷部さんちのことを? 面識なんてあったかい?」


 祖父の言葉に、清花は首を横に振った。


「会ったこともないよ。ええっとね……来る時に静かだったから、ここの家は誰か住んでいるのかなーってちょっと疑問を持っただけ!」


 まさかその家の生け垣から白い手を見た、なんて言えず、清花は苦笑いをする。


「ああ、そうだ! 思い出した!」


 祖父は急に大声をあげ、パチンと両手を合わせる。


「思い出したって、何を?」


 清花が問うと、祖父は腕を胸の前で組み、タンスの奥にしまったものを取り出すように、当時のことを思い返しながら話し始めた。


「あれはいつだったかな。そうそう、一週間くらい前だ。長谷部さんの家から若い女性が出てくるのを見たんだよ」


 清花と祖母は目を丸くして頷きながら、祖父の話の続きを聞く。


「――それでな。その女性は家を出てから、一度玄関の方に視線を向けて『ごめんね』って言ったんだ。そんで目を伏せると、そのまま早歩きで長谷部さんちの前を去って行ったんだよ」


「『ごめんね』? それは本当?」


「たしかそうだった。囁くような小さな声じゃなく、ハッキリそう口にしていたよ」


「長谷部さんとの間に、なにかあったのかしらねぇ」


 祖母はまだ目を丸くして頷きながら呟いた。


「さぁな。もしかしたら、長谷部の旦那さんの元愛人だったりしてな」


 祖父はそう言って愉快そうに笑う。


「あんた、亡くなった方を悪く言うもんじゃないわよ。それに、長谷部さんとこの旦那さんはそういうことをするタイプでもなかったでしょうに」


「そういやぁ、そうだったな。献身的な旦那だったと思う」


 祖父は何かを思い出したように、何度も頷く。


「何かそう思うキッカケがあったの?」


「長谷部さん、子宝には恵まれなかったって言ったでしょう? 実は奥さんが婦人科系の病気になってね。子供が作れない身体になってしまったのよ」


「そんなことが……」


 子供は求めれば授かれるものと思い込んでいた清花は、身近でそんな体験をしている人物がいたことに驚き戸惑う。


 わたしという存在も、両親が生んだ奇跡の産物なんだ。それは偶然発生し、仕方なく生んだわけじゃないってことになる。


「そんな時、奥さんを支えたのが旦那さんだったのさ。子供が出来なくてもいいから、一緒にいてくれってな」


「へえ、素敵な旦那さんだったんだねぇ」


「そうよー」


 と祖母は頬杖をつき、おもむろに祖父の顔を見遣った。


「どっかの誰かさんとは大違いだわねぇ?」


「いやいや、俺だってそれくらい」


「ふぅん」


 祖母が笑顔でそう答えると、祖父は口を閉ざし、下手くそな口笛を吹き始める。


「すぐそうやって誤魔化すんだから」祖母はそう言って立ち上がり、給湯器のスイッチを入れた。


「もう随分と昔のことだから、気にしていませんけど」


 祖母が言うと、祖父は下手くそな口笛をやめ、安堵の吐息を漏らす。


 どうやらここで喧嘩は終わりらしい。激化したらどうしようかと内心ハラハラしていた清花は、ホッと胸を撫で下ろした。


 祖父はその昔、子育てを祖母に任せっきりにしていたようだった。


 子供に何があっても祖母にはまったく手を貸さず、少し面倒そうだと感じると家をこっそりと抜け出すなんてこともあったんだそう。


 通常時はとても仲の良い老夫婦なのだが、何かをきっかけに昔のことを思い出した祖母が、怒り出すことを清花は知っていた。


 そんな祖父母たちの様子を見て、(相手にもよると思うが)家庭に入るというのはなかなか難儀なものなのかもしれない――と、清花は最近うすうすと感じるようになっていたのである。


「きよちゃん、お風呂が沸いたら入っていいからね」


「うん、ありがとうおばあちゃん!」


 祖母が自分の部屋へ入っていったのを見届けてから、清花はいそいそと玄関へと向かった。


 サンダルを履いている時、祖父にどこかへ行くのかと訊ねられた清花だったが、星を見てくると嘘をつき家を出る。


「とりあえずもう一度見ておこう。あの手がなんだったのかを。わたしの見間違いってこともあるかもだしね」


 清花は夜道を再び歩き出した。白い手を見た、その場所へと向かって。


 濃紺色の空に浮かぶ、ラメを散りばめたような星々と白く輝く半月は、清花の行く先を静かに見つめていたのだった。

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