3-7 終幕のダイヤモンド2

「……世瑠よるお姉さまとは、小学校の頃までは一緒に暮らしていました。けれど、お姉さまが中学一年生の時、私たちの両親は離婚したんです。私は母に引き取られ、お姉さまは画商である父が引き取りました。もともと絵の得意だったお姉さまは、父の元で暮らすようになって、更に絵の技術を向上させていったようです」


 誰にもするはずのなかった私の内側を晒す。棗子なつめこさまは黙って私の話に耳を傾けていた。


「両親が離婚してからも、私はお姉さまと会っていました。海外へ行くようになってからは頻度が減っていましたが、会うたびにいつも彼女はキラキラとした瞳で美術の話をしていました。『いつか自分の個展を開きたいの。志世しよは一番に招待するからね』。お姉さまはよく、そう言っていました」


 目を閉じると今でも、世瑠お姉さまの顔が浮かぶ。子供みたいに無邪気な瞳で、夢を語るお姉さまが好きだった。


「でも去年から、お姉さまは絵の話をしなくなりました。その理由をお姉さまは私に話しませんでした。雅陽みやびさまが教えてくれるまで、私はお姉さまが重い病気を患っているなんて知らなかったんです。それなのに私は『お姉さまの個展が見たいな』なんて、お姉さまを追い詰めるような言葉を吐いてしまいました」


「だからって、あなたが死ぬことはないでしょう」


 さりげなく言った棗子さまの言葉に、私は目を見開く。ああ。本当にこの人には、何でもお見通しなんだな。

 棗子さまは手を伸ばすと、百合の花束に添えてあるカードを拾い上げた。一枚の薄い紙には、私がお姉さまに宛てたメッセージが書かれている。



拝啓 緑照り映える時節、いかがお過ごしでしょうか。とは言っても、そちらでは季節などあまり関係ないのかもしれませんね。


 私の方は変わらぬ日々を過ごしています。毎日が忙しいながらも、平々凡々と生きています。無病息災で過ごせているのは、あなたの指輪のおかげでしょうか。


 最近感じるのは、姉妹の絆は特別だということです。あなたと共有した思い出は、ずっと私の心に残っています。たとえ離れ離れになったとしても、どんなに時が経ったとしても、私たちの絆が変わることはありません。お姉さまは私の誇りです。お姉さまがつらいなら支えになりたいし、お姉さまが泣いているのなら涙を拭って差し上げたい。お姉さまを苦しめる存在があるならば、その原因を絶ちたいと思っています。その思いを胸に、私はここまで進むことができました。


 お姉さまを殺した犯人は見つけました。今、地獄へ連れて行きます。 敬具


佐久間 志世



「これはあなたの遺書ね」

「お姉さまは遺書を残しませんでしたから。せめて何か残しておきたかったんです」

「ヨルさまが自殺したことに、あなたが責任を感じる必用は無いわ」

「棗子さまには分かりませんよ。お姉さまを殺したのは私なんです」


 メッセージカードは私の遺書であり、私が犯人を断罪する殺害予告でもあった。


 この学園に入学したとき、考えていたのはお姉さまのことだけだった。あの明るかったお姉さまが、自殺するなんてありえない。警察発表では遺書がなかったのだ。他殺だって十分にあり得る。


 幽霊のフリをして学園を彷徨っていたのには目的が二つあった。一つ目は、お姉さまの死に関係している人物をおびき出すため。二つ目は遺書を探すため。やはり自殺するのに何のメッセージも残さないということに違和感がある。遺書は何者かが隠したのだと考えた。雅陽さまとCDプレーヤーを探しに倉庫のような部屋に入ったときには、ここかもしれないと思ったが、五年以上使われていないということで、的外れだった。

 もしもお姉さまを殺した犯人がいるとしたら、私がこの手で殺してやろうと誓った。普段から自分の指輪ではなく、お姉さまの指輪を付けていたのはこの決意を形にしたかったからだ。


 雅陽さまに教えてもらった二つの事実は、私を暗い海に突き落とした。

 一つはお姉さまが病気だったということだ。両親が離婚してからも、私たちは月に一度以上は会っていたというのに、お姉さまは私の前でそんな素振りを見せなかった。私はお姉さまのことを何も知らなかった。

 もう一つは、普通の学校生活を優先していたということだ。大病を患ったお姉さまは、作品の発表を辞め、ただの高校生として短い生涯を全うすると決めていた。なのに私は、お姉さまに絵を描いて欲しいと願ってしまった。絵を諦めたお姉さまに、画家としての未来を見せてしまった。描きたくても描き続けることができない自分に、耐えきれなかったのだろう。結局、お姉さまは自らの死を選んだ。お姉さまを殺したのは、無責任に彼女を追い詰めた私なのだ。だから私は、私を殺す。


「いいえ、志世さん。ヨルさまはあなたのせいで死んだわけじゃない。それに、あなたの気持ちを一番理解できるのは私よ」

「何を分からないことを言っているんですか」

「私とあなたは共犯者。どんなに傷つけ合ってでも、向き合うと決めた。だからあなたも向き合って欲しい。ヨルさまの真意に気づいて欲しい」

「ごちゃごちゃとうるさいです!」


 体の中のものを全て吐き出すような汚い声が、私の中から飛び出た。これ以上、棗子さまの声を聞きたくない。もう何もかもどうでもよくなっていた。


 私の怒声に臆することなく、棗子さまは静かに言った。


「答えはすでに、あなたの中にあるわ」


 答えは私の中にある。その通りだ。七町ななまち世瑠よるの自殺の原因は私。犯人である私は、お姉さまの亡くなったこの場所で、お姉さまと同じように首を吊って死ぬ。それでこの事件は全て終わる。

 首吊りにはロープが必用だ。無いのなら、頑丈な布でも良いだろう。布ならこの教室には掃いて捨てるほどある。


 私は第二美術室をゆっくりと見回した。初めて入ったときと、この教室の様子は変わらない。棚の上に無秩序に置かれた画材と布。トルソーに着せられた可憐なドレス。壁に並んでいるどこか懐かしさを感じさせる絵画。


 どこか懐かしい。どこか、懐かしい……?


 目元を指先でこすると、私は改めて絵画を熟視した。この懐かしさはなんだろう。絵のタッチのせいだろうか。絵の題材のせいだろうか。


 はっと気が付くことがあり、私は目を見開いた。タッチも題材も、懐かしさを感じさせる答えは両方だ。もしそうだとしたら、お姉さまの真意はここにある。


 ――いつか自分の個展を開きたいの。


 お姉さまの言葉が、脳内で鮮明に流れた。

 住宅街の絵は両親が離婚する前に、私たちが住んでいた町だ。学校の絵は私たちが通っていた小学校で、二人の女の子の絵は私とお姉さまだ。彼女は絵を諦めた訳ではなかった。この場所で絵を描き続けていたのだ。


 ここが――第二美術室が、お姉さまの個展だったのだ。


 壁に並んでいる絵を、私はどれも見たことがない。どこにも発表していないお姉さまの新作だ。

 視界が滲み、絵がはっきりと見えなくなっていく。お姉さまは病気の進行で絵が描き続けられないこと絶望して自殺したのではない。最短で個展を開くために、自殺したのだ。


 単に絵を描いただけでは、せいぜいどこかに数日展示されただけで終わってしまう。だからお姉さまは自らの命を使って、この第二美術室を閉鎖した。生徒が自殺したという曰くがあれば、この教室は普段の授業で使われなくなる。壁に掛けた絵を新しい絵と取り替えることも、なくなるだろう。第二美術室は、七町世瑠という画家ができる手段を全て使って作り上げた、彼女の個展なのだ。


「棗子さま……」


 棗子さまはこの事実に私より早く気が付いていたのだろう。彼女にはお礼と謝罪をしなければならない。しかし、辺りを見回しても棗子さまの姿はなかった。

 あふれ出る涙を手で拭い、ぐっと歯を食いしばる。まだ終わっていない。私にはまだやることがある。泣いてばかりはいられなかった。


 棗子さまは私に向き合ってくれた。真実がお互いに傷つけるとしても、彼女はナイフを突き付けてくれた。今度は私が棗子さまに向き合う番だ。嘘でまみれた私たちの関係を終わらせる。その先にあるのは、どんな未来だろう。今はまだ、何も見えない。


 第二美術室にいないのなら、彼女のいる部屋はあそこしかない。私は階段を下り、目的の部屋へと向かう。想像していたとおり、その部屋は明かりが付いていた。

 この部屋に入るときの台詞は決まっている。私は扉を開け、言った。


「失礼します。幽城棗子はいらっしゃいますか」

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