3-6 終幕のダイヤモンド1

 これは解決編だ。事件は今日、全て終わる。


 下校時刻は過ぎていても、まだ校門は開いていた。職員室の明かりが付いていたから、教師がまだ残っているのだろう。


 私は誰にも見つからないように気を配り、ひっそりと校内に忍び込む。手に抱えているのは、閉店間際の花屋で購入した百合の花だ。花束の真ん中には、私が書いたメッセージカードが添えてある。亡くなったヨルさまへの手向けの花だ。

 向かうのは、もちろん第二美術室だった。部屋の主のようにいつもいたはずの棗子なつめこさまは、今はいない。部屋の照明を付けないまま、私は中央の机に花束を置いた。手を合わせ、ヨルさまのことを想う。この場所で首を吊って亡くなったヨルさま。彼女は最期の瞬間、苦しんでいただろうか。


 すると突然、室内に蛍光灯の明かりが灯された。


「こんばんは。こんな時間に珍しいわね」

「……棗子さま」


 照明スイッチのそばにいたのは、棗子さまだった。一度家に帰ったのかのか、彼女は学園の制服を着ている。初めて会ったときと同じ服装だ。


「棗子さまこそ、こんな時間に何を?」

「動きがあるとしたら、きっとこの場所だろうと思っていた。あなたは私の共犯者。しっかりと向き合う必要があるわ」


 ゆっくりと歩みを進め、棗子さまは私の正面に立ちはだかる。漆黒の瞳が、私を捉えた。


「幽霊の正体はあなたね、志世しよさん」


 棗子さまの言葉が、ナイフのように私に突き刺さった。これまで源子もとこさまと美守みもりさまを追い詰めたときのように、冷静な言葉が私に刻まれる。


「どうして、そう思うのですか?」

「想乃さんの行動よ。あの日、想乃そのさんは幽霊を目撃した後の記憶が無いそうだけど、彼女はどういう行動を取ったのかしら」

「幽霊から逃げたんじゃないですか。想乃は幽霊が苦手です。出会ってしまったら、一目散に逃げるでしょう」


 私の台詞を予期していたかのように、棗子さまは首を左右に振った。


「想乃さんの座席は教室の後ろ側、幽霊が入ってきたのは教室の前側。なのに、想乃さんが落ちた階段は教室の前側にあるのよ。これでは


 捜査を始めたときのことを思い出した。想乃が倒れた階段を昇ってすぐの教室が、私たちのクラスだ。ドアを開けると目の前には黒板がある。教室の前側に、階段はあるのだ。


「確かに幽霊を見てしまったら、想乃は階段側には逃げないでしょうね。では想乃はいったい何を見たんですか?」

「バッグを置いて教室を出るほど衝撃を受ける何かを目撃したのでしょうね。そして同時にそれは、私や他の人には話せないものだった。たとえば、あなたが幽霊の格好をしていたとしたらどうでしょう。あなたは幽霊の格好をしていた。けれど、想乃さんは正体があなただとすぐに気が付いたの」

「幽霊が私だと分かった? 長い黒髪、黒いネイル、のっぺらぼう。幽霊の特徴は、とても私とは結びつきません」

「ウイッグとつけ爪とお面で、誰にでも幽霊になることはできるわ」

「誰にでもということは、想乃は私だと特定できないはずです」


 いいえ、と言って棗子さまは私の手元を指さした。そこには棗子さまのくれた優しさが巻かれている。


「わんちゃんの絆創膏、それに外れたカフスボタン。あの日の志世さんには、見ただけで分かるだけの特徴があった。想乃さんは幽霊から逃げたんじゃない、何かの事情があって幽霊の姿をしている友人を追ったのよ。追っている最中に、階段から転落してしまったのね」


 ストーカー事件を解決した日、飛び降りようとする美守さまを助けた後、想乃は現れた。指を怪我し、カフスボタンの外れた私の姿を想乃は目撃している。


「想乃が幽霊の格好をした誰かを追っていた、そこまでは納得できます。顔を隠していたも、絆創膏とカフスボタンから私だと特定できる、それも分かります。でも、やっぱり私は幽霊ではありませんよ。ウィッグなんかは誰でも用意ができますけど、制服の赤いリボンは一年生の私には用意できません。階段に落ちていたカフスボタンだって、想乃のではなかったなら犯人のものでしょう。でも私は制服のボタンは外れていません」


 ほら、と両手の袖口を棗子さまに見せる。カフスボタンは欠けることなく付いていた。


「それを話すには、もう少し想乃さんの行動を振り返る必要があるわ。想乃さんは手紙を書いていたそうだけど、何故あの時間に書いていたのかしら?」

「何故って……放課後はストーカー事件でばたばたしていましたから。下校時刻になってしまっても仕方ないのではないでしょうか」

「それなら翌日にでも書けばいいのではない?」

「その日のうちに書かなければならない理由があったということですか」


 棗子さまは深く頷く。


「それからもう一つ。手紙を渡した相手というのも重要よ。想乃さんが手紙を書いた時点ですでに下校時刻。校内に生徒はほとんど残ったいなかったわ。いえ、仮に目当ての生徒が残っていたとしても、相手も下校するタイミングなのだから、手紙ではなく直接伝えれば良いはずよ。そうしなかったのは、相手がまだ下校しない人物だったから」

「それって……」

「そして該当する人物の中に、昨日と今日で小さな変化があった人物がいたわ。あなたも病院で見ているでしょう」


 あ、と声が漏れた。


 雅陽みやびさまの使っている飴玉の入ったポーチ。昨日まで深緑色だったそれは、今日見たときにはになっていた。


「想乃さんは雅陽さまを待っていたのでしょう。仕事をしていた雅陽さまは、職員室を出ることができなかった。その日である必要があったのは、おそらく雅陽さまの誕生日だったのね。待っているうちに下校時刻になってしまったので、想乃さんは雅陽さまに宛てて手紙を書いた。別の場所に呼び出して、誕生日のプレゼントのポーチを渡す予定だったの。ところが、手紙を渡す前に彼女は階段から落ちてしまった。結局プレゼントを渡せたのは、病院にお見舞いに来たときというところかしらね」

「ちょっと待ってください。ということは二人は……」

「そう。普通の生徒と教師が、ずっと持ち歩くようなプレゼントを渡すことなど、あまりないわ。けれどこの学園には、その関係性を構築する文化があるでしょう」

「想乃と雅陽さまが、姉妹の関係にあった……?」


 口にしてみて、それに違和感がないことを後から実感した。

 生徒と教師の間でも、この学園では姉妹の契りを結べることができる。しかし、教師が特定の生徒を贔屓するのは、やはり褒められたことではない。その関係性は隠すことが普通だろう。


 想乃はプライベートの写真をあまり人に見せたがらなかった。それは、雅陽さまと親しげにしている写真が収められているからではないだろうか。美守さまはその写真を見たために「姉にはなれない」と口にしたのだ。昨日、想乃がクッキーとカップケーキを焼いてきたのも、今にしてみれば雅陽さまへの誕生日プレゼントだったのだ。桜のクッキーは私へのお礼の気持ちもあっただろうが、本命は雅陽さまの方で、いわばついでのようなものだったのである。雅陽さまが想乃の好きな花まで知っていたというのも、関係の親密さがうかがえた。


「想乃さんと雅陽さまが姉妹の関係にあるのなら、当然指輪の交換を済ましているはずね。想乃さんの付けているラピスラズリが本来は雅陽さまのもので、雅陽さまの首から下げた指輪がダイヤモンドの指輪が想乃さんのものだった。すると、おかしなことが起こったわ。だって、この学園のルールでは同じ宝石は被らないようになっている。


 彼女の言葉の正しさに、私は声を出せなかった。ダイヤモンドの指輪は、今も私の左手の薬指で輝いている。


「あなたの言った赤いリボンとカフスボタン。それに、学園の指輪。これら全てを失った生徒を私は一人知っているわ。あなたは、その生徒からこれらを受け継いだのよ」


 棗子さまの真っ黒な瞳が、真っ直ぐに私の方を向いた。


「志世さん。あなたは亡くなったヨルさまのなのね」


 告げられた言葉は、本当は誰かに言って欲しかった言葉なのかもしれない。

 誰に対してもずっと隠し通してきた、私の秘密。それを抱え続けることに、私は疲れていた。


「自殺した当時に着ていた衣服は、遺族であるあなたに与えられた。あなたはヨルさまの死に納得していなかったのでしょう。あなたはヨルさまの赤いリボンとウィッグとつけ爪、それからお面で顔を隠して、ヨルさまの幽霊として学園中を彷徨っていた。噂を広めることで、何かヨルさまのことを知っている人を探していた。

 あなたと初めて会ったとき、あなたは幽霊の噂を追って第二美術室にやってきたわね。第二美術室に行ったことはなかったのにそういった噂が流れたから、ヨルさまの事情を知る何者かが絡んでいると考えたのではかしら。まあその噂の真相は、ただのオンボロミシンが不快な音を立てていただけなのだれど」


 第二美術室の幽霊の噂を聞いたときには、どれほど喜んだことか。警察発表では自殺と公言されていたが、私はそれを信じていなかった。真相を知る人物が、幽霊の噂という形でコンタクトを取ってきたと勘違いしてしまった。


「昨日、あなたと想乃さんと会ってしまったのはお互いにとって不幸だったことでしょう。あなたはいつものように、幽霊の格好で学園を彷徨い、一年一組の教室に入った。教室にいた想乃さんは、絆創膏と外れたカフスボタンが、幽霊の正体があなただと察する。正体がばれたと思ったあなたは、教室を飛び出し、階段を駆け下りた。ところが、あなたを追った想乃さんは、勢い余って階段から落ちてしまった。

 あなたは焦ったことでしょう。助けを呼びに行きたくても、幽霊の服装では不審に思われてしまう。あなたは誰かが来てくれることを信じて叫び声を上げた。雅陽さまが聞いた声は想乃さんではなく、あなたのものだったのね」


 幽霊の格好をして教室に入ると、そこには想乃がいた。顔を隠していたので正体はバレていないと思ったが、彼女は「志世?」と私の名前を口にした。私はとっさに逃げ出したが、あろうことか想乃は私を追ってきた。そして不運にも、想乃は階段から落ちてしまったのだ。

 倒れた想乃の意識がなかったことに、私はひどく動揺した。自分のせいで、大切な友人を傷つけてしまった。けれど脳のどこかではひどく冷静で、私の中の悪魔がこれはチャンスかもしれないと考えた。私は想乃の事故を、自分の目的のために利用してしまったのだ。


「叫び声を上げる前に、あなたは一つ細工をしたわ。想乃さんのカメラのストラップを外し、首に巻き付けた。細工をしている最中に、あなたはポケットからカフスボタンを落としてまった。帰宅後にそのことに気が付いたあなたは、ヨルさまのブレザーからボタンを付け替えたの。

 結果的に想乃さんが階段から落ちたのは事故だったのだけれど、この細工をしたことで幽霊、引いてはヨルさまに捜査の目を向けたのね。あなたはこの捜査中、想乃さんの事件ことよりも背景にあるヨルさまのことを知りたがった。捜査を通じてヨルさまの死を調査していたのね。

 それから、想乃さんには幽霊の正体があなただということは伏せてもらった。先にメッセージでやり取りをしていたのでしょう。友人であると言うことに加えて、ストーカー事件を解決したばかりでもある。想乃さんは快く協力してくれたことでしょうね」


 想乃はプリン一つを要求した以外、何も言わずに協力してくれた。私を追って怪我をしたと理解しているのに、だ。病院でもにこやかに友人として接してくれてたばかりか、演劇部も顔負けの幽霊を怖がる演技をしてくれた彼女に、私は頭が上がらなかった。


 綺麗な黒髪をなびかせて、最後に棗子さまは言った。


「よかったら、あなたの指輪を見せていただけるかしら。そこには、あなたのものでないイニシャルが刻まれているはずよ」


 左手にあるこの指輪が誰のものかなんて、確認するまでもない。嘘にまみれた私に、ダイヤモンドの輝きが与えられるはずがないのだ。この指輪には「N・Y」――私の実姉、七町ななまち世瑠よるのイニシャルが刻まれている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る