3-5 それには理由があった

 いつも歩いている通学路が、目まぐるしく流れていく。見慣れた景色がいつもと違う速度で見ているだけで、全然別の場所に感じられた。


 普段はおおざっぱでも、締めるところは締めるタイプの雅陽みやびさまだ。その性格に通りにきっちりとした運転をしていた。片づいた車内からは、嗅ぎ慣れないシートの匂いがする。家族以外の車に乗った経験はほとんどないため、新鮮な香りがどうにもこそばゆかった。


「こんなところにコンビニがあったのね」


 雅陽さまが視線を向けた先を見ると、一軒のコンビニがあった。チェーン店のコンビニは、町のどこでも見かけるものだ。


「私が入学したころには、もうありましたよ」

「そうなんだ。私の家は反対方向だから全然気が付かなかった」

「あー、そういうことありますよね。ついこの前まで当たり前にあったはずの店が、駐車所になってたり」

「自分の知らないところで、どんどん世界が変わっていくみたい」


 車が左折し、釣られて私の体も左に動く。コンビニはもう見えなくなっていた。


「それで、何か進展はあった?」


 世間話のひとつのように、前を見ながら雅陽さまは言った。主語はなくとも、想乃そのが階段から落ちた事件だと分かる。事件の詳細を教えてくれたのは雅陽さまだ。今もなお私と棗子なつめこさまが事件の調査をしていることは織り込み済みだろう。


「いいえ。単なる事故ではないとは思っているのですが、それ以外ではあまり」

「想乃さんも無事のようだし、無理はしないでね」


 にこやかに微笑む雅陽さまに、私は「そういえば」と言葉を投げ掛けた。


「雅陽さまはヨルさまのこと、知っていますか」

「ヨルさんって、去年亡くなった生徒のこと?」

「そうです。事件に関わっているかもしれなくて」

「知ってるよ。私は去年、ヨルさんの担任だったもの」


 いつの間にか夕日が沈み、夜が顔を覗かせている。どこか寂しそうな声で、雅陽さまは続けた。


「ヨルさんは画家の卵だったそうなの。海外にも名前が知られているくらいの、将来有望な新人画家。それで一年生のころは、作品制作や海外遠征で学校にあまり来ていなかった」

「でも、二年生になってからは学校に来るようになったんですよね?」

「ええ。それには理由があった」


 目の前の信号が赤く光る。車が止まると、走行音の消えた車内は一気に静まり返った。急速に移り変わっていた景色は、冷め切ったように停止する。側溝そっこうには落ち葉が溜まっているのが見えた。


「重い病気だったの。医師の話ではもって一年と言われていた」


 告げられた言葉に、私は驚きを隠せなかった。幕が下ろされたように、目の前が真っ暗になる。もって一年。たとえ自殺しなくても、彼女は近いうちに亡くなっていた。


「親御さんの意向なのか、本人の意思なのかは分からないけど、まだ元気なうちに普通の学園生活を送りたかったんじゃないかな。彼女は次第に登校するようになったの。最初はクラスでも浮いていたけれど、持ち前の明るさもあって徐々に友達が増えていった。普通の高校生であることを選んで、絵画の発表は辞めてしまったみたい」


 雅陽さまが静かに目を伏せる。ハンドルを握る彼女の手に力が入った。


「けれど、まだ絵に対して強い未練があったのかもしれない。だって――亡くなったのは、第二美術室だったから」


 信号が青になると、車は音も無く動き出した。

 雅陽さまの言葉が、私の脳内をグルグルと駆け巡る。興奮が全身を流れる血液を沸き立たせ、心臓の鼓動が加速していった。


 心に引っかかっていた疑問が融解していく。私は理解した。理解してしまった。


「それまで授業で使っていた第二美術室は、それで閉鎖になった。私も担任として彼女のことを気にかけてあげれば、何かが変わったかなって未だに後悔しているよ。クラスでは平然としているように見えた。でも――」


 話を続ける雅陽さまの言葉は、もうほとんど耳に入っていない。


 私はもう、次にすべきことを決めていた。

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