3-4 記憶がない

「こんにちは。サクマデリバリーでーす」

「ふふ。待っていたわ、志世しよ


 想乃そのが搬送された総合病院は、学校から歩いて三十分ほどの場所にある。ベットに横たわる想乃に注文されたプリンを渡すと、彼女は目を輝かせた。来る途中のケーキ屋で買ったクリームたっぷりの自家製プリンは、高校生にとってはちょっとした高級品である。


「元気そうで本当に良かった。怪我は痛んでない?」

「全然平気。怪我より退屈で参っちゃうくらい」

「授業のノートコピーしてきたよ。それから、数学の先生が想乃のためにプリント用意してくれてたんだ。授業遅れないようにって」

「あー、ちょっと忙しいから、そこ置いといて」


 さっき退屈だと言っていたばかりなのに、調子の良いやつである。まあ、私も逆の立場なら病院で勉強なんてしないだろう。


雅陽みやびさまも同じこと言ってプリント持ってきたんだ。そんなに指摘されるほど、私の勉強の出来が悪いとは思わないんだけどなあ」

「雅陽さまもお見舞いに来たんだ」

「まだいてくれてるよ。今ちょうど、お見舞いのお花に水を入れているの」


 頭に包帯を巻いているものの、想乃に大きな外傷はないらしい。数日中に退院もできるとのことだ。


棗子なつめこさまもわざわざ来ていただいてありがとうございます。昨日は美守みもりさまのことでご迷惑をおかけいたしました。報告が遅れてしまいましたが、無事に美守さまとは仲直りできました」

「そのようね。彼女とも少しお話ししたわ。私が言うことでもないけれど、もう二度としないと約束してくれたから、信じてあげてね」


 話をまとめると、コホンと棗子さまは大きく咳払いをした。


「それで、今日はあなたが頭に傷を負った原因を調査したいと思っているの。ただの事故ならいいのだけれど、もしあなたを階段から突き落とした犯人がいるのだとしたら放ってはおけないわ」

「うーん、志世もそう思っているの?」


 眉尻を下げる想乃に、私は強く頷いた。想乃は無事だったけれど、犯人の目的やヨルさまとの関係は明かされていない。


「分かりました。でも、話せることはほとんどないですよ。頭を打った衝撃か、記憶がおぼろげなのです」

「階段から落ちたことも?」

「はい。事件の前後のことはすっぽりと」

「覚えている範囲で良いから教えていただけるかしら」


 静かに頷くと、記憶を手繰るように想乃は顎に手を当てた。


「昨日は放課後、私のクラスの教室で手紙を書いていたんです。写真部の部室で美守さまとたくさん話した後でしたから、結構遅くなって、もう下校時刻になっていたと思います」

「手紙? どういった手紙かしら」

「あ、事件とは関係ない私的なものです。それで手紙を書き終えたところで、教室の前の方の扉が開いて――」


 瞬間、想乃の目が大きく見開いた。筋肉がこわばり、体が震え出す。私たちには見えない何か恐ろしいものを見ているようだった。


「そうだ。私、幽霊に会ったんです」

「落ち着いて想乃さん。その霊というのは、長い黒髪で顔の無い霊だったかしら」


 棗子さまの問いかけに、想乃は答えない。それどころではないほど、彼女は震え上がっていた。彼女の豹変に驚きながらも、私は想乃の手を握る。棗子さまに向けて、私は首を横に振った。


「棗子さま、想乃は幽霊の類いが苦手なんです。これ以上はあまり……」

「ええ。ごめんなさい、想乃さん。もう聞かないわ」


 背中をさすっていると、想乃は次第に落ち着きを取り戻した。荒かった呼吸が正常に戻り、体から震えが消えている。深く息を吐くと、想乃は姿勢を正した。


「お役に立てず、申し訳ございません」

「いいえ。こちらこそ無理をさせてしまってごめんなさい。記憶がないというのも、頭を打っただけでなく、恐ろしいものと出会ったからかもしれないわね。最後に一つだけ。こちらはあなたのものかしら?」


 棗子さまはパンツのポケットから金色に光る物体を取り出した。事件現場に落ちていたカフスボタンだ。


「私のではないと思いますけど。一応、確認してもらえますか」


 想乃は病室の隅にある、クローゼットを指さした。棗子さまが中を開くと、ブレザーが一着収められている。袖口のボタンを確認すると、綺麗に磨かれたカフスボタンが左右に二つずつ付いていた。踊り場に落ちていたカフスボタンは想乃のものではない。


「であれば、犯人のものかしらね」


 棗子さまが呟く。被害者の想乃のものでなければ、現場に落ちていたボタンは犯人のものということになる。


「幽霊は赤いリボンを付けていて、かつ、カフスボタンが外れているんですよね。ボタンが外れている三年生であれば、結構絞り込めるんじゃないですか」

「そうね……」


 棗子さまは顎に指を当て、考え込んでいるようだった。


 しばらく黙っていると、ガラガラとスライドドアが引かれる音が聞こえた。


「棗子さんに志世さん。来てたんだ」


 病室に入ってきたのは雅陽さまだった。抱えている壺型のシンプルな花瓶には、華やかな椿が活けられている。真っ赤な花を見て、想乃は小さくため息をついた。


「雅陽さまったら、ひどいんだよ。病院に椿なんてタブーなのに」

「だって好きだって言ってたでしょ、椿」

「それはそうですけど。風紀に合わないって、看護師さんに取り上げられませんか」

「大丈夫だって。綺麗なんだから」


 窓際のサイドテーブルに椿を置くと、雅陽さまは何の根拠もなく笑った。確かに散るときに花ごと落ちる椿の花は、首が落ちる姿を連想してしまうため、病院ではあまり歓迎されない。けれど、夕日を浴びて真っ赤に咲き誇る椿の花は、見ているだけで元気が沸いていくる。文句を言いながら、想乃も口角が上がっていた。


「さて、もう日が暮れるね。車で来ているから、二人とも家まで送るよ」

「えー、みんなもう帰っちゃうの」

「もうすぐ面会終了時刻の十八時。教師たるもの、決められたルールは破れないの」


 唇を尖らせる想乃を、雅陽さまが優しく諭す。いつもの調子で雅陽さまが青いポーチから飴玉を取り出すと、想乃はおとなしくなった。


「志世さんのおうちはどっちの方?」

「私は駅の方です」

「棗子さんは?」

「私は反対方面なので、歩いて帰ります。そう遠くもないですから」


 了解、と雅陽さまが頷いた。いそいそと私たちは荷物をまとめる。


「想乃、また来るね」


 手を振ると、彼女も笑顔を見せて手を振り返した。私は彼女に後ろめたさを感じながら、病室を出た。

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