2-9 共犯者

「私、怒っています」


 校舎の外に落ちたカフスボタンを拾ってポケットにしまい、私たちは第二美術室に戻ってきた。何度も訪れたこの部屋はもう、私にとってもなじみ深い場所になっていた。


「どうして嘘をついて、一人で事件を収めようとしたんですか。私、言いましたよね。棗子なつめこさまは正しいことをしているって」

「それでも真実は人を傷けることに違いはないわ。傷つくのは少ない方がいい、そうでしょう」


 ばつが悪そうに、棗子さまは目を逸らした。

 私には明日解決すると言っておきながら、棗子さまは写真部へ向かった。彼女は明らかに一人で事件を解決しようとしていたのである。真実を明かすということは、誰かの傷をナイフでえぐるようなものだと、棗子さまは言っていた。彼女はその罪を一人で抱えようとしていた。


「棗子さまは優しすぎます。解決を依頼したのは私なのに、どうして全部背負うような真似をしたんですか」

「臆病なだけだわ。あなたを巻き込んで、傷つけてしまうことが怖かった。だから焦って一人で動いて、推理を間違える。ねえ、志世しよさんにはあの開運メールの意図が分かったの?」

想乃そののおばあさんのためですよ」


 私は自身の考えを棗子さまに伝えた。アンラッキーアイテムの共通点は、高齢者が事故を起こしやすいものであること。だから、美守みもりさまは遠回しに良くないものだと伝えたのだ。


「すごいわ。あなたの考えの方がよっぽど優しいじゃない」

「とんでもない。根が楽観的なだけです。あの開運メールから想乃を傷つけるような意思を感じなかったと言いますか……要するに、ただの勘ですよ」

「素敵ね。あなたはきっと、人間は優しいって信じているのね」


 目を細めて、棗子さまは言った。物思いにふける彼女の雰囲気は、高校生とは思えないほど大人びている。人の痛みに敏感で、だからこそ自分が犠牲になろうとする彼女のことを、やっぱり優しすぎるなと思った。これは、私が人間というものを信じているせいだけではないだろう。

 こうやって、なんでも一人で抱えようとするのが幽城棗子ゆうきなつめこという人間なのだ。一人になろうとする彼女には、誰かがそばにいなければならない。


 私は棗子さまに近寄ると、角椅子に座る彼女を後ろから抱きしめた。棗子さまは驚いたように体をピクリと跳ねさせる。彼女の温度を、全身で感じた。


「演劇部での事件の時、私は舞台から落ちる源子さまを見ていることしかできませんでした。だからこそ今日の事件では、飛び降りようとする美守さまを救おうと、反射的に体が動いたんです。棗子さまが誰も傷つけたくないのなら、私が救います。それが事件の被害者でも、加害者でも、棗子さまでも。それでも傷つく人が出るのなら――」


 ずっと言いたかった言葉を、私は口にした。


「私をあなたの共犯者にしてください」


 真実が人を傷つける。それはきっと変わらない。棗子さまは私よりずっと頭が良くて、真実にいち早く気がつくから、真実を持て余してしまう。真実を告げることは、加害者にとっても被害者にとって大きな痛みとなることがある。それをもたらした棗子さまだって苦い思いをするだろう。


 だからせめて、私は棗子さまと一緒に傷つけて、傷つきたい。

 棗子さまが推理で人を傷つける犯人であるならば、私は彼女を助ける共犯者となる。成功も失敗も痛みも全部、分かち合うのだ。


 私の言葉に、棗子さまはパチリと瞬きを一つした。腕の中で、棗子さまの身体が小刻みに震える。泣いているのかと思い、顔を覗き込むと、彼女は声を上げて笑い始めた。学校中に響き渡りそうなほど、大きな声だった。


「面白いことを言うのね。なあに、共犯者って」

「それはニュアンスと言いますか……。ほら、苦しみも喜びも共有する、みたいな? 棗子さまのそばにいて、サポートできたらなと」


 しどろもどろになりながら、私は頬を掻く。自分で言ったことが、とたんに恥ずかしく思えた。


「初めて会ったときもそう。染料まみれのドレスに対する感想は面白かったわ。あなたは、私に無いものをいっぱい持っているのね」


 うっすらと目が潤んでいるのは、笑い疲れたせいだろうか。深く息を吐いて呼吸を整え、棗子さまは白い手を私に差し出した。


「約束するわ、もう一人で勝手な真似はしないって。よろしくね、私の共犯者さん」


 手を伸ばす棗子さまの左手には、ダイヤモンドの指輪がはめられていた。穏やかな顔つきにはもう、人を寄せ付けない雰囲気は感じさせない。それだけで、胸が暖かくなった。


 ゆっくりと近づき、棗子さまの手を取る。私の指輪と彼女の指輪が、カチリと触れあった。

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