2-8 ずっと尊敬している先輩です

 明日、事件を解決するというので、私は第二美術室をあとにした。

 棗子なつめこさまは私の話を聞いただけで、事件解決の糸口を掴んだようだ。私が見聞きしたことの中に、何かヒントがあったのだろうか。改めて事件を振り返える。引っかかる事が一つあった。


 気になったのは、想乃そののスマートフォンに届いた開運診断のメールだ。あのメールには、アンラッキーアイテムの他にも運勢や運気上昇方法なんかが記載されていた。けれど、想乃が怯えていたのはアンラッキーアイテムだけだった。他の文章は、想乃とは関係のないダミーということになる。ストーカーがメールを送ったとしたら、なぜストーカーはアンラッキーアイテムだけに想乃の家の物を書いたのだろう。ストーカーは何の目的で想乃にあんなメールを送ったのか。


 一つ、思い当たることがあった。この考えが正しいとしたら、ストーカーの目的は――。


 浮かんだ考えを伝えようと、私は来た道を引き返した。棗子さまはまだ第二美術室に残っているだろうか。

 視界の奥に目的の部屋を捉えると、静かな音を立てて第二美術室のドアが開いた。部屋から出てきた棗子さまは、私に気づくことなく、私とは反対方向に廊下を進む。


 声を掛けるのをためらったのは、棗子さまの表情が険しかったからだ。ひどく重い物を抱えたような強張った顔に、躊躇ちゅうちょしてしまった。

 その表情が気になって、私は棗子さまの跡を追う。カツリ、カツリと靴音を鳴らして進む足取りは速い。見失わないようどうにか付いていくと、たどり着いたのは二階の一番奥にある写真部の部室だ。部室の扉の前では、一人の生徒がカメラを構えている。窓から身を乗り出し、真下にあるものを撮影していた。


「ごきげんよう、少しお話よろしいかしら」


 優しい微笑みを作り、棗子さまはカメラを構える美守みもりさまの肩に触れた。声をかけられても気づかないほど集中している彼女でも、体に触れられば反応はある。ビクリと体を震わせ、美守さまはカメラを下ろした。


「何を撮っていらしたの?」

「空より遠いバケツ」


 柱の陰から二人の様子を覗き込む私には、窓の下の様子は分からない。きっと校舎の外にぽつんと置いてあるバケツを、上から撮影しているのだろう。なんてことのない被写体を変わったアングルから撮るのは、美守さまらしい。

 棗子さまは興味のなさそうに窓の外を見つめ、呟くように言った。


「想乃さんのストーカーは、あなたね?」


 窓の外で、高い立木がサワサワと揺れた。突然の告発に声をあげそうになる口元を、私は咄嗟に手で押さえる。名指しされた美守さまの表情に、変化はない。


「あなたはある目的のために、想乃さんのロッカーを開けようとした。けれど、ほとんどの生徒がそうしているように、想乃さんのロッカーにも鍵がかけられていたわ。鍵はダイヤルを合わせて開けるタイプの数字錠。順番に数字を合わせていけば、いつかは当たるものよ。あなたは放課後など廊下に誰もいないタイミングを狙い、『0001』から順にダイヤルの解錠を試みた。数字を元の『0000』に戻さなかったのは、想乃さんに気づかれても良い、いえむしろ気づかれた方が良いと思っていたからね。

 ダイヤルが回っていることに気づけば、誰しも気味悪がって鍵を交換するでしょう。あなたはそのタイミングを狙った。数字錠を回すより手っ取り早い方法で、ロッカーの鍵を開けようとしたのよ」


 一方的に話す棗子さまに対し、美守さまはただ直立して動かない。話を聞いているかどうかも分からないような静かな瞳で、じっと棗子さまを見つめている。


「あなたが想乃さんに薦めたのは購買で売っている南京錠だそうね。あなたはあらかじめ南京錠を購入し、合鍵を作成しておいたの。その上で南京錠のパッケージに封をし、購買に戻したのよ。あとは想乃さんに購買の南京錠をおすすめすることで、想乃さんは。進学直後でロッカーの移動もない限り、南京錠を買う生徒なんて多くないから、他の人が購入する心配はほとんどないわ」


 新しく購入した南京錠は美守さまに教えてもらったと、想乃は言っていた。美守さまであれば、想乃が買う前に細工をすることができる。南京錠のパッケージは、テープで留められているだけのものだ。合鍵を作り、再びテープで留めるだけなので、そう難しいことではない。


「そうまでして想乃さんのロッカーを開けたかった理由は何でしょう。盗られたものはなかったようだから、ロッカーの中のものを盗むことが目的ではないわ。ところであなた、想乃さんの撮る写真を高く評価していたそうね。一方で想乃さんは、撮った写真を全部は見せたがらない。そこであなたは、想乃さんに黙って彼女の撮った写真を盗み見ようとした。朝や放課後は常にカメラを身につけているから、写真を盗み見るとしたらロッカーにしまっている授業中しかないわ。まだ確認はできてないのだけれど、もし今日の授業中にあなたが離席したという証言があったら、相応の理由を話してもらう必要があるわね」


 美守さまが合鍵を使って想乃のロッカーを開けたのは、想乃の撮った写真を見るためだったのだ。常にカメラを身につけている想乃に黙って写真を見るには、カメラをロッカーに預けている授業中しかタイミングがない。その時間に美守さまに不審な動きがあったという証言があれば、彼女の犯行はより確かなものになるだろう。

 また、想乃が愛用しているデジタル一眼は、無線通信で写真を送ることができるタイプだ。カメラを操作することさえできれば、写真を見るだけでなく、自分のスマートフォンに転送することもできる。


「悪質な開運メールを送ったのは、想乃さんへ精神的ダメージを与えるためかしら。良い写真を撮る想乃さんへの嫉妬か、それとも傷ついた想乃さんを救うことで自分に依存させたのかは私には測れないわ。写真を撮るのが好きな想乃さんのことだから、お祖母さまへスリッパをプレゼントしたところも写真に収めていたのね。家を覗かなくても、想乃さんの写真から身の回りの情報を取得することができた。それが可能だったのは、合鍵を作った南京錠を薦めることでロッカーを解錠できた、あなただけよ」


 無表情を貫いていた美守さまに、反応があった。


 彼女の細い目が、焦点が合わないかのようにせわしなく動く。親指の爪を強く噛みながら、聞き取れないほどの小声で誰かの名前をブツブツと呼んでいた。犯行が明るみに出たことに動揺しているのではない。別の事実に愕然としているようだった。


「想乃ちゃんが、想乃ちゃんが、傷ついた? 想乃ちゃんを、私が、想乃ちゃんを、……傷つけた?」


 何かに取り憑かれたかのように、美守さまは窓枠に手をかけた。


 まずい、と直感で理解する。脳裏に浮かんだのは、源子さまが舞台から落ちる光景。もう誰も棗子さまの推理で怪我をさせたくなかった。


 上半身が窓の外に出かかっている美守さまの腰を掴み、思い切り引っ張る。左腕が窓枠にすれ、ブレザーの袖に着いていたカフスボタンがちぎれた。私と美守さまはもつれ合うようにして内側に倒れ、廊下の固い床に尻を打つ。カタン、と綺麗な音を立てたのは、外れたカフスボタンがちょうど真下のバケツの中に入ったのだろう。少し遅れて音が鳴ったことが、二階とはいえ建物の高さを感じさせた。この高さで命に影響する可能性は少ないかもしれないが、打ちどころが悪ければどうなっていたかは分からない。


「しっかりしてください! 想乃はこんなこと望んでいませんよ!」

「離して! 想乃ちゃんに、嫌われたら、生きていけない!」


 なおも暴れ続ける美守さまを抱きかかえ、必死で抑える。けれど、体格差で私は美守さまにかなわなかった。普段は猫背でその印象は薄いが、彼女の背丈は私よりもずっと大きい。私の腕を振りほどき、美守さまは再び窓へ向かう。


 その道を塞いだのは、柔らかな髪の女生徒だった。


「嫌うわけないじゃないですか。あなたは私にとって、ずっと尊敬している先輩です」

「そ、想乃ちゃん……」


 想乃は美守さまを優しく抱きしめた。美守さまの両目から、涙がこぼれ落ちる。


「ごめんね、ごめんね、勝手に写真覗いて、たくさん不安にさせて」

「もういいですよ。私も隠すような真似して悪かったです。これからは撮った写真、いっぱい見せちゃいますからね」


 お互いに想い合う二人の様子に、私はホッと息を吐いた。もともと、二人の間に悪意などなかったのだ。


 想乃を傷つけたと知って飛び降りを考えるほどだ。美守さまが想乃を困らせたいなんて思うはずがない。では、あのストーカーじみた開運メールは何のために送ったのか。

 メールにあったアンラッキーアイテムの内容は茶色のカーペット・ラベンダー・羽根のない扇風機・赤いスリッパ。どれも。カーペットやスリッパは滑って転ぶ可能性があり、扇風機のコードは引っかかって転倒する原因となる。ラベンダーの鉢植えはラックの上に置かれているため、ラックにぶつかって落ちる危険性があった。


 想乃の家には八十歳くらいのおばあちゃんが住んでいた。想乃の写真を盗み見た美守さまは、彼女の家に事故の危険性があることを知った。しかし、盗み見たことを明かさずに、想乃に危険を伝えることはできない。直接言うことができないので、美守さまはアンラッキーアイテムとしてメールを送った。運勢的に良くないと指摘することで、危険性のあるアイテムを捨ててくれることを期待したのだ。想乃の家族を思った優しい行動だったのである。


 それをあえて私が語る必用はないだろう。私の考えが、真実だとも限らない。二人には起こった事件の真相よりも、これからどう歩み寄るかの方が大切だ。彼女たちはもう、ストーカーとその被害者ではない。尊敬できる先輩と、それを慕う後輩だった。


 尻餅をつきながら二人を見上げる私に、スッと真っ白な手が差し出された。


「もう心配はないでしょう。ここは二人にしてあげましょう」


 差し出された棗子さまの手をつかみ、立ち上がる。華奢な彼女が引っ張る力は、意外にも強かった。真っ直ぐ私を見つめる漆黒の瞳に、思わず見とれてしまう。


 事件は解決した。けれど、私はこの先輩に言わなくてはならないことがある。

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