2-7 正しいと証明します
「あら、
激しい音を鳴らすミシンを止め、
「棗子さま、その服は?」
部屋に入った瞬間、目に留まったのは棗子さまの服装だ。今日の彼女は制服を着ていない。形の良い鎖骨が見えるVネックのブラウスと、足のラインがハッキリ分かるタイトなロングパンツはモノトーンでまとまっている。滑らかな長い髪も相まって、今の彼女からは都心で働く仕事のできる女性のような印象を受けた。童顔な彼女は意外にも大人っぽい服が似合っている。
「作ったの。私は可愛いお洋服を作るのも好きだけど、作ったお洋服を着るのも大好きなのよ。良かったらあなたも着てみない? 志世さんはそうね……ミルクホワイトが似合いそうだわ。そちらのティアードワンピースなんてどうかしら」
「薦めていただけるのは嬉しいんですけど、今日はお願いがあって来たんです」
「お願い?」
「棗子さまに解いて欲しい事件があるんです。友達が苦しんでいて……助けたいんです」
私の言葉に、棗子さまは目を細くした。うんざりとした表情で私から目を逸らし、手元の布を触る。
「その手のお話は受け付けていないの。申し訳ないのだけど、他をあたっていただけるかしら」
「昨日、
棗子さまの肩が僅かに揺れる。冷たい眼差しがゆっくりとこちらを向いた。
「あの二人、ちゃんと仲直りしていました。本音を語ることで、前よりも絆が深まったみたいです。棗子さまの推理が、二人を救ったんですよ」
「たったの一度、たまたま良い方に事が運んだだけでしょう。この先も上手くいくとは限らないわ」
「そんなことありません。棗子さまの推理が二人を正しい方向に導いた。棗子さまは、正しいことをしたんです」
「真実を暴くということは、誰かが隠している秘密を表に出すということ。その秘密はあなたを傷けるかもしれない。あなたの友達がもっと苦しむかもしれない。私はそれを正しいとは思えないわ」
互いの主張はどこまでも平行線で、交わることがない。
私の言葉では、棗子さまには届かないのかもしれない。けれど、ここで引くわけにはいかなかった。
考える前に、体が動く。私は口を大きく開けると、自分の親指を思い切り噛んだ。
「ちょっと、何を!」
「……私は今、指を怪我しました」
親指の腹からツウと血が流れる。絵の具を捻り出したように、鮮明な赤だった。擦り傷や鼻血ばかり出していた子供のころと違って、高校生にもなると血を見るのなんて久しぶりだ。
「患部は指の腹。指を洗って、傷口を保護すれば、傷は次第に塞がります。けれど、傷を傷だと認識しないうちは手の施しようがありません。傷を見つければ処置の方法がわかります。時間をかけてでも治すことができます。真実は人を傷つけるのかもしれない。でもそれは、もっと重症になる前の傷を見つけてあげたんです」
出血している指の腹が、ずきずきと痛む。口の中からは鉄の味がした。でも、こんな小さな怪我なんてすぐに治る。事件で被害を受ける人や理由があって事件を起こす人の心の傷はもっと深い。その傷を、棗子さまは見つけることができるのだ。
「今なら答えられます。あの事件は解決して良かったんです。この先の事件だってそうです。棗子さまの推理は正しかった。いや、私が正しいと証明します。それで棗子さまや他の誰かが傷つくのなら、私は――」
「もう、いいわ」
言葉を噛み締めたように話す棗子さまの声からは、棘が抜けていた。冷たい眼差しは消え、穏やかな微笑みを浮かべている。
「前の事件で犯人を探すと名乗り出たときもそう。あなたは少し頑固というか、思い立つと無茶するタイプなのね。ほら、手当するからこっち来て」
棗子さまに背中を押され、水道の前へ移動する。彼女が蛇口を捻ると、水が勢いよく流れ始めた。初めて会ったときと立場が逆だななんて、つまらないことを思う。あの時は棗子さまの両腕が染料まみれで、私が蛇口を捻った。
流水で洗い流すと、傷口に沁みてジクジクと痛んだ。
「痛っ!」
「自業自得よ。全く、あなたが血を流す必用なんてどこにもないじゃない」
「すみません。棗子さまに何か伝えなきゃと、必死で」
「伝わったわ、ちゃんとね」
ポケットからハンカチを取り出し、棗子さまは私の指を拭う。柔らかな布に包まれ、不思議と心地よかった。止血していることを確認し、棗子さまは絆創膏を貼った。絆創膏に描かれているぐうたらと寝そべる犬が可愛らしい。ダイヤモンドの指輪を付けた薬指の三つ隣に、絆創膏は巻かれている。形状としてみれば、指輪も絆創膏も違いはない。
「力になれるか分からないけれど、事件の概要を教えてもらえるかしら」
「……はい!」
私の言葉が、どれほど棗子さまに響いたのかは分からない。けれど少なくともこの一回は、事件に協力してくれる。棗子さまにも想乃にも辛い顔をさせなくて済む。その事実に、私の目の奥が熱くなった。
私は昨日から起こったことを全て棗子さまに伝えた。教室での会話。ロッカーの鍵のこと。写真部の活動をしていたこと。届いた占いメール。想乃が倒れて、今は保健室にいること。
話を聞き終えると、棗子さまは言った。
「大丈夫よ。この事件は解決する」
その一言で、私は安堵の息を漏らした。
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