2-6 知らないメールが届いたの

 ゴウゴウ、と扉の向こうからうなり声がする。放課後に聞こえるこの不快な音の正体が幽霊ではないことを、私はもう知っていた。棗子なつめこさまはきっと、第二美術室でミシンを踏んでいる。

 拳をぎゅっと力強く握りしめた。扉の前で思うのは、やはり棗子さまのことだ。人を傷つけてまで真実を追い求める必要があるのか。その答えを私は棗子さまに伝えなければならない。


志世しよ……」


 第二美術室の扉を叩こうとした瞬間、弱々しい声で名前を呼ばれる。声のした方を向くと、衰弱した様子の想乃そのが立っていた。


 彼女の様子は明らかに普通でなかった。いつも朗らかな彼女から笑顔が失われ、青ざめた表情が浮かぶ。体は小刻みに震え、今にも倒れてしまいそうだ。私は昨日のロッカーの鍵のダイヤルが動かされていたことを思い出した。その犯人が想乃に危害を加えたのだろうか。


「大丈夫? まさか、何かされたとか盗られたとかしたの?」


 想乃は首を横に振る。震える手で、彼女はスマートフォンを私に差し出した。


「知らないメールが、届いたの」


 ディスプレイに映し出されたのは、一通のメールだ。どこかの占い師による、開運診断のメールだろうか。ダイレクトメールのような文字装飾や画像はなく、あなたの運勢や運気を上げる方法なんかが文章でつらつらと書かれている。差出人のメールアドレスはフリーメールのもので、ランダムな英数字が並んでいた。どのような人物あるいは団体から送られてきたのか推定できそうにない。


「これがどうかしたの?」


 不審なメールが送られてくるのは、確かにいい気がしない。けれど、メールを消去すればそれで済むだけの話だ。何かここまで怯える理由があるのだろうか。


「アンラッキーアイテムのところ」


 画面を操作すると、身近に置いてはいけないアンラッキーアイテムの記載があった。


 アンラッキーアイテム:茶色のカーペット・ラベンダー・羽根のない扇風機・赤いスリッパ


「これ全部、うちにあるものなの……」


 私は昨日見た、想乃の家族写真を思い出した。リビングのラックにはラベンダーが飾られていた。


「特に赤いスリッパは、昨日おばあちゃんにプレゼントしたばかりなの。もしかして、誰かが家を覗いてるんじゃないかと思うと――」

「想乃!」


 瞬間、想乃の全身から力が抜けた。床に倒れそうになる彼女の体の内側に入り込み、なんとか支える。距離が狭まったことで、彼女の心臓の鼓動が激しくなっているのが分かった。


「大丈夫。少しフラッとしただけ」

「全然大丈夫に見えないよ。保健室行こう」


 分かった、と想乃は小さく頷いた。意識がハッキリしていることに、ひとまずは安堵する。想乃に肩を貸しながら、私は保健室に向かった。


 彼女は占いの結果に恐怖しているというわけではない。占いの結果が悪くても、少し残念に思う程度で済むだろう。問題なのはそれら全てが自分とピッタリ一致していることだ。一つならともかく、色や植物の種類まで含めて四つも一致しているのは、運が悪いを越えて気味が悪い。まして、ロッカーのダイヤルが動いていた件もある。誰かが、想乃の家を覗いている。想乃の周りにストーカーがつきまとっている、と考えざるを得ない。


 想乃を抱えて保健室のある一階まで下りると、通りかかった部屋の扉が開いた。ちょうど職員室から出てきた雅陽みやびさまが、ぐったりとしている想乃を見て目を丸くする。


「想乃さん! 一体どうしたの!」

「どうも体調が悪いみたいで、保健室に連れて行くところです」


 任せて、と雅陽さまはその場にしゃがみ込み、こちらに背中を向けた。想乃を背負うつもりだ。私は想乃の手を雅陽さまの首に回し、彼女を託した。立ち上がる雅陽さまの手に、ぐっと力が入る。


「後は私が連れて行くから、志世さんは心配しないで」

「はい、よろしくお願いします」


 こういう時、雅陽さまは大人だ。演劇部の事件の時も、言い争う私と棗子さまに対し、効果的な提案をしていたのは雅陽さまだった。保健室へと向かう雅陽さまの背中は大きく見えた。


――担任教師の雅陽さまなら、想乃の住所も知っているかもしれない。


 ふと浮かんだ思考を、私は首をブンブン振り回して払拭ふっしょくした。こんなにも生徒に献身的な雅陽さまが、想乃を困らせるストーカーであるはずかない。最悪な考えをしてしまった自分が恥ずかしくなった。


 心配しないで、と雅陽さまは言ったけれど、やはり問題を解決しなければ想乃は救われない。ロッカーの数字錠のダイヤルが動かされていた。家の中を覗かれたようなメールが届いた。まだ事態は、想乃に直接害をなすほど深刻なものではない。でも、このままストーカー行為がエスカレートしていけば、彼女自身に被害が及ぶことになるだろう。その前になんとかストーカーを突き止め、想乃に付きまとうのを辞めされる必用がある。


 私では、力不足だ。事件を解決させるだけの推理力を持っていない。けれど、適任がいることを知っていた。私の足は自然と、彼女の元へと向かう。


 息を深く吐くと、私は第二美術室のドアをノックした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る