2-5 いろんな形がある

 昨日と違い、今日は昼休みに悪い思考に陥ることはなくなっていた。源子もとこさまや希生きなりさまときちんとお話できたことが大きいのかもしれない。彼女たちが心身共に無事でいたことで、少しは安心することができた。けれど、安心している自分が必ずしも良いことなのかは分からない。肝心の棗子なつめこさまとは、まだ話をできていないのだ。


志世しよ、今日はお弁当?」

「そうだよ。一緒に食べよ」


 今日の昼食は、久しぶりにお弁当を作ってきた。後ろの席の想乃そのと机を突き合わせて、昼食を共にする。想乃が持ってきた紙袋を開くとふわりと甘い香りが広がった。


「昨日、クッキーと一緒にカップケーキを作ってきたんだ」

「え、ケーキってクッキーのついでにできるものだっけ?」

「生地を用意して、オーブンで焼くだけだから大体一緒でしょ。材料もほぼ一緒だし」

「絶対そんなことないでしょ」


 私は自分の弁当箱を開けた。筑前煮とホウレンソウのごま和えは、昨日の夕飯に母が作ったものの余りで、私の作ったものは卵焼きくらいだった。私も料理が特別に不得意というわけではないが、想乃にはとてもかなわない。けれど想乃にしても、ここまで手の込んだお菓子を用意してくることは珍しい。甘いものを食べているせいなのか、想乃はいつも以上にニコニコとしていた。


「志世さん、ちょっといいかな?」


 お弁当を食べ終えたころ、教室の外から私の名前を呼ぶ声があった。声のした方を見遣ると、雅陽みやびさまがこちらへ手招きしている。


「志世さん、確か今日、日直だったよね。少しお願いしてもいい?」

「はい、何でしょうか?」

「ちょっと探し物があるの。付いてきて」


 雅陽さまに連れられたのは、ネームプレートに何も書かれていない部屋だった。前に私も気になって調べたことがあったが、鍵が掛けられていて何の部屋だか分からなかった場所だ。少しさび付いた鍵をポケットから取り出し、雅陽さまは部屋の鍵を開ける。


 そこは、倉庫のような部屋だった。六畳ほどの狭い空間に、天井まで届くほどの高い棚がいくつも並んでいる。棚には段ボールや書類の束が置かれていて、そのいずれも埃がうず高く積もっていた。


「いつも授業で使っているCDプレーヤーが壊れてしまって。学年主任が言うには、ここに別のものがあるそうなの」

「すっごい埃ですね……」

「もう五年くらいはまともに使っていない部屋らしいよ。悪いんだけど昼休みの間だけで良いから、プレーヤーを探すの手伝ってくれない?」


 はい、と返事をして私は手近な段ボールを開いた。中を調べようと手を動かすたびに、目にはっきりと見えるほど埃が舞う。この分だとプレーヤーを見つけるのは骨が折れそうだ。開かずの部屋に興味はあったものの、期待していたものとの相違に、小さくため息をついた。


「そういえば昨日、源子さん希生さん姉妹に会ったんだって?」


 隣で棚の荷物を動かしながら、雅陽さまが問いかけた。


「はい。源子さまの怪我が大したことなくて良かったです。舞台も車椅子という形で続けるそうですね」

「あの二人……ううん、演劇部全体が事件以降、ますますやる気になってるの。志世さんと棗子さんのおかげよ。ありがとう」


 何の悪意もなく、雅陽さまは感謝を口にした。真っ直ぐな言葉に耐えきれず、私は短い髪を撫でる。源子さまも希生さまもそうだ。私が出過ぎた真似をして犯した失敗を、彼女たちは肯定している。浮かんだのは棗子さまの孤独な瞳だった。


「良かったんですかね、事件を解いてしまって」

「え?」

「私が余計なことをしなければ、源子さまは怪我をしませんでした。もっと良い解決策があったんじゃないかなって思うんです」


 段ボールを一箱調べ終えても、目的のプレーヤーは出てこなかった。あったのは埃にまみれた不要な資料ばかりだ。


「あの日事件が解決してなかったら、別の形で二人は衝突していたはずだよ。源子さんは希生さんを思い遣るあまり、遠ざけようとしていたから。次はもっと過激な手段に出ていたかもしれない」


 そう言うと、雅陽さまは首に付けているネックレスを取り出した。先端に取り付けてある指輪を掌に載せ、優しく転がす。私や棗子さまと同じダイヤモンドの宝石があしらわれた、この学園の指輪だ。前に雅陽さまはこの学園の出身だと聞いていた。この指輪は、先生が学生の頃に付けていた指輪なのだろう。学園を卒業してもなお、肌身離さず所持するほど大切に扱っている。プレーヤー探しの作業で彼女の眼鏡に埃が被っていても、ダイヤモンドの指輪は光り輝いていた。


「私にも分かるの。姉妹にはいろんな形があるって。支え合うだけが姉妹じゃない。傷つくと分かっていて本音をぶつけるのも、また姉妹。志世さんは、そのきっかけをくれたの」


 湖に投げ入れた小石が波紋が起こすように、私の心の中で何かがざわめく。

 傷つくと分かっていて本音をぶつけるのも、また姉妹。

 私たちは姉妹ではないけれど。でも、そうだ。私が目指したかったものは――。


「ねえ、志世さんは棗子さんとは姉妹なの?」


 ネックレスを服の内側にしまい、雅陽さまは私に尋ねた。挙げられた名に、体が思わずどきりと跳ねる。彼女の問いかけに私は首を左右に振った。


「いえいえ、違いますよ」

「別に隠さなくたって良いのに」

「知り合ったのだって、あの日が初めてです」

「そうなの。棗子さんが誰かを連れて演劇部に来ることなんてなかったから、てっきり」


 雅陽さまが棚の上の段ボールを床に下ろすと、ドンと大きな音が鳴った。彼女が調べている段ボールは私よりずっと大きかった。


「でも何かはあったんでしょ? 叱られでもした?」

「別に叱られてはいないんですけど……」


 ばつの悪い言い方をしてしまい、ハッとする。この答え方は、何かあったと示しているようなものだった。


「自分で気付いてない? 棗子さまの名前を出すと、あなた辛そうな顔をしているよ」


 え、と声が漏れる。思わず自分の顔に触れたが、手探りで自分の表情など分かるはずもない。


「一度彼女としっかり話してみたら?」


 はいこれ、と雅陽さまはいつもの緑のポーチから飴玉を一つ手渡した。ミント味の飴は頭の中をスッキリと冴えさせる。視界さえもはっきりと鮮明になり、今まで見ていなかったものが目に入るようになった。


「あ」


 奥の棚の下から二段目。積み重なったプリントの陰。

 探していたCDプレーヤーが、そこにはあった。

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