2-4 愛

「ありがとうね。昨日一日、ロッカーを貸してもらっちゃって。これ、お礼ね」

「わざわざお礼なんて良かったのに。でもありがとう」


 翌朝。想乃そのは私のロッカーに預けた荷物を取り出し、自分のロッカーへしまった。お礼として渡されたクッキーは、本物の桜の花があしらわれていて、見た目も可愛らしい。大した協力をしたわけでもないのにクッキーを焼いてきてくれることが、彼女の美徳だ。


 空色のリボンに包まれたラッピングをほどき、中のクッキーを一つつまむ。春のような暖かい甘味が口いっぱいに広がった。


「すっきりしてて美味しい。手作りなの?」

「そだよ。クッキーは私が焼いたんだけど、桜の塩漬けはおばあちゃんが作ったんだ」

「えっ、すごい。こういうのって職人の技術がいるものだと思ってた」

「世の中その気になれば、何でも食べれるんだね」

「花壇の花とかは食べないでよ」


 えへへ、と肯定も否定もせずに想乃は微笑んだ。呆れた目を向ける私の視線に気付くことなく、荷物を運び終えた彼女はロッカーを閉める。


「で、ロッカーの件はもう大丈夫なの?」

「新しい鍵を買ってきたから平気だよ。美守みもりさまに相談したら、学園の購買でも売ってるって教えてくれたの」


 ブレザーのポケットから取り出したのは、透明な袋に包まれた南京錠だ。袋のテープを剥がし、想乃は中に入っている錠前をロッカーに取り付けた。購買ではコンビニのようにちょっとした文具や日用品が置いているが、南京錠まで置いているのは知らなかった。鍵を使って施錠するタイプの南京錠のため、数字錠のように不正に開けられることがない。想乃のダイヤル錠を動かした犯人は見つかっていないが、ひとまずのところはこれで安心だ。


 授業に必用な教科書とノートを持って、教室へ戻る。今日の一時間目は英語だ。単語を覚えるのは大変だが、他の国の文化や民族を学ぶことは好きだった。家族が仕事で海外へ行くときなんかは、よく珍しいおもちゃや外貨をお土産にねだっていた。

 後ろを振り返ると、想乃は教科書を開き、授業の予習をしていた。手元ではラピスラズリの青が輝きを放っている。


「想乃は姉妹を作らないの?」

「なあに、藪から棒に?」

「昨日、美守さまが言ってたから。あんなに尊敬し合ってたのに、美守さまとは姉妹じゃないんだよね。だから、想乃は姉妹を作る気がないのかなって」


 想乃が姉妹を作らない理由を、美守さまはなんとなく把握しているようだった。私の知らない想乃を、彼女は知っているのかもしれない。


「じゃあ、志世しよが姉妹になってくれる?」


 え、と間抜けな声が漏れた。確かに源子もとこさまの話では、同級生でも姉妹の契りを結ぶことができる。でも、と否定の言葉が浮かんだのは、髪の長い彼女の顔を思い出したからだった。


「冗談だよ」


 ニタリといやらしく笑う想乃に、私は短く息を吐いた。開いていた教科書に、想乃は視線を落とす。


「まあ、志世が姉妹を作らない理由と一緒かな」

「えー、適当にはぐらかしてない?」

「そもそも作ろうとして作るものじゃないでしょ。こういうのは自然となってるものなの」

「うーん、まあそうかもだけど」


 源子さまと希生きなりさまを見ていると、良い姉妹だなと思う。元々幼なじみというのもあるが、二人は言葉も要らないくらい通じ合っていた。ああいうのは、自然に姉妹になったのだろう。たとえこの学園に姉妹の契りという文化がなくとも、あの二人は変わらない関係であることが想像できる。


 けれど、全ての姉妹が彼女たちのように結びつくわけではない。クラスメイトの中にはほとんど初対面の上級生から姉妹の申し出を受けたという話もあった。それで上手く関係性を深められるかどうかは、今後の彼女たち次第だ。同じ姉妹でも、その形は姉妹によって異なる。姉妹っていったい何なのだろう。


「なんでこの学園には姉妹の契りがあるかな?」


 独り言のように発した私の言葉に、想乃は興味もなさそうに教科書のページをめくった。


「演劇部の伝統的な公演から広まったって聞いたけど」

「それはそうなんだけど、広まったのにも理由があるはずじゃない?」


 演劇部の演目がきっかけというのはあるだろう。けれど、伝統と呼ばれるほど代々受け継がれきたのは、相応の理由があるはずだ。いったい何が生徒たちの心に響いたのだろう。


「やっぱり、愛されたいからじゃない?」


 教科書を閉じて、想乃は言った。


「先生や先輩はもちろん私たちのことを大切に想ってくれるけれど、それって全体への思いやりじゃん。特別な誰かに愛されたいって気持ちは誰にでもあるんだと思うな。この学園には自身の象徴とも言える指輪があるでしょう。それを交換することで、愛を確かめ合うことができるんだと思う。私はこの文化、割と好きだな」

「愛……」


 紡がれた言葉のスケールの大きさに、思わず呆けてしまう。抽象的な言葉は、何を意味しているの完璧には理解できない。けれど、それは不思議としっくりくる言葉だった。


「そして、これは私から志世への愛の忠告だけど――」


 想乃は教室の前の方を指さした。教卓の上には、一冊のノートが置かれている。


「今日は志世、日直じゃなかった? 日誌書かなくて平気?」

「あ、そうだった」


 月に一度回ってくる日直の日は、日直日誌を記入しなければならない。私は日直日誌に気をとられ、姉妹について考えるのを辞めてしまっていた。

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