2-3 憂愁のアメジスト

 友人が奇怪な行動をしていたらどうするか。


 一つ、知らないふりをする。二つ、何してるのかと問う。私は三つ目に浮かんだスマートフォンで撮影するという選択肢をとった。カメラアプリを起動すると、二人の女子生徒が私のスマートフォンに映し出される。


 一人は知らない女子生徒だ。三年生と思われる赤いリボンを付けたその生徒は、廊下で仰向けになり、重厚感のあるカメラを真上に向けている。放課後で人通りがないからいいものの、床に頭を付けるほどローアングルな撮影は、盗撮の類いだと勘違いされても仕方ないだろう。


 もう一人は、友人の清水想乃しみずそのだ。彼女は地べたに這いつくばり、クロールを泳ぐような体勢でカメラを構えている。レンズの先にいるのは、先ほどの三年生だ。仰向けで撮影する三年生の横顔を捉えるように、想乃はカメラを握っていた。


 スマートフォンのボタンを押すと、床に転がる二人の姿は一枚の画像になった。仰向けでカメラを構える三年生、三年生を撮影する想乃、想乃を撮影する私。撮影対象が数珠つなぎになっている。私も誰かに撮影されていたらと思うと、少しおかしかった。


「あ、志世しよだ。ごきげんよう」


 シャッター音に気付いたのか、想乃はむくりと起き上がった。制服に付いた埃をはたきながら、なんてことのないように挨拶をする。


「えーっと、なにやってたの?」

「見ての通り、写真部絶賛活動中だよ」

「写真部はいつから寝っ転がって撮影する部活になったんだっけ?」

「さあ? 私は美守みもりさまを撮っていただけだから」


 美守さまと呼ばれた三年生は私たちの話し声も耳に入らない様子で、ファインダーを覗き続けていた。これが人形だと言われても信じてしまうほど、じっと止まって動かない。


「この方は、我が写真部部長の浅沼美守あさぬまみもりさま。先輩の写真が好きで、よく一緒に撮影させてもらっているの。とは言っても同じものを撮るんじゃなくて、私は美守さまを撮らせてもらってるんだけどね」


 ほら、と手渡されたので、私は想乃のデジカメを見せてもらった。ディスプレイに写る美守さまは、私の想像する一般的な写真家の姿とは異なっていた。廊下に仰向けになりながらカメラを構える美守さま。壁を使って逆立ちしながらカメラを構える美守さま。頭にバッタを乗せながらカメラを構える美守さま。写真の中の美守さまは、勝手気ままな猫のようだった。けれどどの写真も、良いものを撮ろうと懸命な美守さまの熱意が伝わってきた。


「撮りたいものがあるなら、何でもするって人なの。自分のことなんてお構いなし。これぞという構図が決まるまで、シャッターを切るのに何時間かかる時だってある。写真に対して、狂ってるくらい本気なの。だから美守さまの撮る写真って、素敵なんだよね」


 うっすら頬を赤く染めて、想乃は言った。詩を詠じるような優しい声からは、純粋な尊敬が感じ取れる。


「うん、素敵だね」

「でしょー。普段は変だけど、自慢の部長なんだから」

「想乃が、だよ。こんなに心情が伝わってくる写真が撮れるなんてすごい」

「へ? あ、ありがと」


 ぱちりと瞬きを一つすると、想乃はもじもじと自分の髪を撫でた。


 順々に想乃の撮った写真を見ていくと、一枚の写真が目に留まる。おそらくは、想乃の家族の写真だ。少し気の強そうなお母さんと優しそうなお父さん、八十歳くらいのおばあちゃんと小学生くらいの弟が、元気なピースサインを向けている。背景の散らかったリビングからは、生活感を感じた。窓の前には畳まれていない洗濯物が重なり、木目調の収納ラックの上にはラベンダーの鉢植えが並んでいる。壁に貼られている野球選手のポスターは弟の趣味だろうか。会ったことはない人たちなのに、それだけで温かい家族であることがうかがえた。


 文字も言葉もない写真から、感情が伝わる写真を撮るのは、なかなかできることではない。想乃は人物の表情を写すのが上手いのだ。彼女は美守さまを褒めたけど、私は想乃の写真も好きだった。


「はい終了。想乃ちゃんのプライベートが気になるのは分かるけど、ここからは別料金ね。恥ずかしいから」


 慌てた様子で想乃は、ひょいとカメラを取り上げた。ときどき想乃にはこういうところがある。写真を撮るのが好きなのに、撮った写真の全ては見せたがらない。


「私、そろそろ行くね。バスケ部と練習風景を撮影する約束だったんだ」

「写真部ってそんなこともやってるんだ」

「志世も撮りたい写真があったら何でも言ってね。お見合い写真でも、就活写真でも、七五三でも、何でも撮るから」

「うーん、考えとくよ」


 とりあえずしばらくは、お世話になる予定はなさそうだ。


「そうだ。悪いんだけど美守さまが起きたら、体育館に行ったって伝えといてもらえるかな。あの方、カメラを構えると周りの声とか聞こえなくなるから」

「あ、ちょっと」


 一方的に私に告げ、私が言葉を返す間もなく想乃は去って行った。廊下が一気に静まり返った気がする。相変わらず美守さまは、仰向けでカメラを構えていた。


「あのー、美守さま?」


 様子をうかがうように、私は美守さまへ声をかけた。伝言を頼まれてしまった手前、このまま放置するわけにもいかない。一枚撮るのに何時間もかかる時あると想乃は言っていたが、まさか完全下校の時間までこのままなのだろうか。


 しばらく見ていると、カシャリという音が聞こえた。美守さまがシャッターを切ったのだ。のそのそと起き上がり、彼女は大きな仕事を終えたかのように額の汗を拭った。ゆっくりと辺りを見回すと、不健康なほど青白い顔がさらに青ざめていく。


「あれ、想乃ちゃん、いない、どこ……?」


 美守さまは単語をぶつ切りにしたような話し方をしていた。声を発したころには、もう美守さまの灰色の瞳は涙で滲んでいる。せわしなく首を動かし、想乃のことを探していた。背の丈は希生さまよりも高く、一八〇センチほどあるのではないだろうか。それでも大きい印象を与えないのは、重たい荷物を背負ったような猫背と、見た目でも分かるおどおどとした気質のせいだろう。目の縁を拭う彼女の左手の薬指には、濃紫のアメジストの指輪がはめられていた。


「想乃なら、体育館に行きました。バスケ部と約束してたとかで」

「ヒャッ!」


 言われた通り想乃からの言伝ことづてを述べると、美守さまの体は飛び上がった。震える手でカメラを構え、私の方へ近づける。よく分からないが、私を撮ろうとしているのだろうか。私は写りの良い斜めからの角度を向け、指でハートを作った。


「あの、ごめ、写真撮る気は、ない。ファインダー越しの方が、落ち着いて話せる。慣れない人とは、特に」

「あー、そうなんですね」


 行き場のなくなったハートを引っ込める。棗子さまのことを変な人だと思っていたが、美守さまも大概変わった人だ。


「あなた、想乃ちゃんの写真に良く写る人、だよね?」

「佐久間志世と言います。あの、何を撮っていたんですか?」

「巨人のロッカー」

「巨人?」


 私が首を傾げると、美守さまはデジカメのディスプレイを見せた。

 アオリの構図で撮られたロッカーは、まさしく巨人のロッカーだった。いつも使っているロッカーが、下から見上げただけで、高層ビルのようなを迫力を醸し出している。ここに人がいれば、巨人がロッカーを使っているように見えるだろう。


「見慣れた風景なのに、少し視点を変えただけで世界が変わって見えます。写真って、私は撮っても友達と撮るぐらいですけど、こういうのも面白いですね」

「私は、こういうのしか撮れないから」


 カメラを引っ込めると、美守さま再び私にカメラを向ける。消え入りそうな声で、彼女は続けた。


「のろまな私には、過ぎ去る時間が早すぎて、人や動く物を捉えることができない。だから限られた中で、面白い物を見出そうと、掻いている。想乃ちゃんの写真は、思い出を残すもの。人生の大切な瞬間を、記録している。私には、できない」


 想乃はいつもカメラをたずさえ、一瞬しかないシャッターチャンスを狙っている。私と棗子さまを撮影したときもそうだ。ホールへと急ぐ私たちを偶然見かけ、瞬時に二人が写る角度でシャッターを切ったのだ。熟考の末に撮影する美守さまの写真の撮り方とは真逆のようだ。


 想乃も美守さまもお互いに理解し合い、無いものを求めていた。私には、二人がぴったりの組み合わせに思えた。


「美守さまは、想乃のお姉さまなんですか?」


 私の問い掛けに、美守さまが体を強張らせる。カメラを下ろすと、彼女は眉をハの字にして笑った。


「私は、想乃ちゃんの姉には、なれないよ」


 私たち以外誰もいない廊下に、冷たい風が流れる。憂いを帯びた表情でカメラを握る美守さまの手は、強い力が入っていた。

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