1-5 やっぱり強いな
ホールの隅に座る
「あの……希生さま、大丈夫ですか?」
様子をうかがうように、ひとつ離して隣の席に座る。左手を見つめたまま、希生さまは呟くように言った。
「軽いな、と思って」
希生さまは左手の薬指を大事そうに撫でた。そこにあったはずのルビーの指輪が、今は無い。
「失ってはじめて気が付いたよ。あの指輪をいかに大事に思っていたのか」
「
「ああ。一緒に過ごした時間は家族よりも長いのかもしれない」
希生さまは虚ろな眼差しでステージを見つめていた。強い照明の光が差し込んでいる舞台に、今は誰もいない。
「僕の母から言われていたんだ。『源子ちゃんのことを守ってあげなさい』って。モトの母親は女優で、彼女自身も子役として活躍していたんだ。有名女優の娘として周囲の人からは期待や羨望や嫉妬なんかが、モトには常に纏っていた。幼少期のころからずっとね」
源子さまの演劇は見惚れるほどの存在を放っていた。幼いころから役者をやっていたのなら納得がいく。
「そのプレッシャーは僕なんかでは計り知れないものだったと思う。なのにモトはいつだって気丈で、大人相手だって物怖じしなかった。人と話すのだってそれほど得意でないのに、胸を張っていつも堂々と振る舞っていたんだ。だからせめて僕は、モトが辛いときにはそれを受け止められるような止まり木になりたかった」
なのに、と希生さまは語気を荒くした。
「肝心なときにいつも僕は役に立たないんだ。小学校のころは風邪で寝込むモトを一人にしてしまったし、中学校のころはスケートに誘ってモトに怪我させてしまったこともある。高校に入ってからだって、先輩たちの圧力にモトを守り切れないときがあった。今回もそうだ。彼女から託された指輪を、目を離した間に壊されてしまった。守りたかったはずなのに、僕がモトを苦しめているようなものだ」
「そんなことはないですよ。源子さまは希生さまのサファイアの指輪を大切にしていました。許せないのは犯人の方です。源子さまだって、犯人を探すために尽力してくれています」
私の言葉に、希生さまはピクリと肩を震わせた。サファイアの指輪を見つめていたときの、源子さまの優しい目。彼女が希生さまを大切に思っていることを、私は知っていた。
「自分の指輪が粉々にされたのに。やっぱり強いな、モトは……」
大きく息を吐き、希生さまは勢いよく両手で頬を叩いた。赤く染まった希生さまの頬は、燃えたぎる炎のように見えた。力を失っていた希生さまの瞳に、みるみると明かりが灯っていく。
「すまない。少し弱気になってしまった。モトには内緒にしておいて」
「こんなに想ってくれる人がいて、源子さまも幸せ者ですね」
「だといいけどね。事件のことを聞きにきたのだろう? 協力は惜しまない。何でも聞いてくれ」
胸に手を当て、希生さまは私に微笑みを浮かべた。暗鬱としていた表情が、日を差したように晴れ渡っている。彼女は源子さまのことを凄い人だと持ち上げているけれど、凄いのは源子さまだけでない。そばで支えてる希生さまも、私から見れば志を持った立派な人だ。
ぐっと手に力が入る。こんなにも立派な彼女たちを苦しめている犯人が許せなかった。
決められた制限時間は、もうそんなに残っていない。少しでも情報を集めようと、私はずっと持っていた疑問を希生さまに投げ掛けた。
「どうして希生さまはセーラー服なのでしょうか? その制服も
「ああ。こっちの制服は彼女が作ったものではないよ。昔の
その場に立ち上がり、希生さまはひらりと回って見せた。女子にしては高い背に、ひざ下まで伸ばしたスカートは、綺麗なストレートシルエットをしていた。
「スクールバッグの方はどうでしょう。遠目には希生さまのバッグと源子さまのバッグは同じデザインに見えましたが、何か違いはありますか?」
「いや、同じデザインだよ。二年前の制服新調では、スクールバッグに変更はなかったそうだ。だから、舞台でも僕の私物を使っているよ。どっちも学校で指定されたスクールバッグだ」
「今日の稽古で桜の木の下にバッグを置いたとき、希生さまは右に置きましたか、左に置きましたか」
「はっきりと覚えていないが……左だったと思う」
映像で確認したものと、希生さまの証言は一致していた。やはり源子さまのバッグは右側に置かれ、稽古の間ずっと映像に映されていたようだ。
「源子さまにも聞いたのですが、誰か希生さまか源子さまを恨んでいるような人はいませんか。去年は部内でトラブルもあったとか」
「そのことなら今はもう心配ないよ。モトが目立っていたから、去年は三年生からの当たりが強かったけど、二年生はむしろ味方してくれていたんだ。三年生対二年生・一年生みたいな構図だった。今のひとつ上の代とはむしろ仲が良いくらいだ」
「今年になって当時の三年生が卒業したから、部内も落ち着いたんですね」
コクリと頷き、希生さまは思い出すように言った。
「まあ、当時の三年生には同情する部分もあったけどね。あんなことがあって、最終学年なのに演劇部の公演数も減っていたから、八つ当たりしたくなったんだろう」
「あんなこと?」
「ああ。一年生は知らないか。去年のことだけど――」
「時間よ」
希生さまの言葉を遮るように、ホールに凜とした声がした。そばにはいつの間にか、棗子さまが立っている。
「真犯人は見つけられていないようね。指輪の件は私と雅陽さまに預けて、練習を再開しましょう」
事件はこれで終わりだと言わんばかりに、棗子さまは私に背を向けた。
ここで折れるわけにはいかない。心に傷を負った被害者がいる。この場を助けられるのは私しかいないのだ。
脳内で事件を振り返る。実際に指輪は破壊されていた。指輪に触れられる時間はどこかにあったはずだ。思考の糸が頭の中で絡み合い、私はひとつの答えを手繰り寄せた。
「犯人は見つけました」
私の言葉に、演劇部員からおどろきの声が上がる。棗子さまがゆっくりとこちらを振り返った。漆黒の瞳からは何の感情も読み取れない。彼女に向かって私は強く言い放った。
「私がこの事件の全貌を明らかにします」
周囲からざわめきが広がる中、棗子さまだけが表情を変えず私を見つめていた。
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