1-4 ご挨拶が遅れました

「先ほどはお見苦しいところをお見せてしまい、申し訳ございませんでした」

「気にすることないよ。大切な指輪が壊されていたら、誰だって怒るもん」


 客席で考え込んでいた私に源子もとこさんが声をかけてきたのは、何度か映像を確認したあとだった。犯人を捕まえたい、と彼女は協力を申し出てくれたのだ。身だしなみを整えたのか、頭に付いていた花びらはなくなっている。頭を下げる源子さんの所作は一つ一つにしとやかさを感じ、先ほどまで憤慨ふんがいしていた人物と同じ人とは思えなかった。


「私、演技のことは分からないけど、さっきの演劇は素敵だった。本番も絶対観に行くね」

「ありがとうございます。学園に関わる特別な演目なので、志世さまにそう言ってもらえて嬉しいです」

「特にキスシーン! 演技だと思えないくらい、二人の表情が耽美たんびでドキドキしたなあ」

「ふふふ。雅陽みやびさまからもフリでいいと言われてるのですけれど、実はときどき本当にキスしていることもあるのですよ」

「え、あの……今日は本当にしてた、の?」

「さて、どうでしょう?」


 指に人差し指を当てて耽美に微笑む源子さんに、私の胸がドキリと弾んだ。舞台のスポットライトが当たっているわけでもないのに、彼女の存在に目が釘付けになる。儚くて、少し奔放で、おしとやかで、妖艶ようえんで。いろいろな顔を持つ彼女は、演劇にとても向いているのかもしれない。薬指には、希生きなりさまと契りを交わしたサファイアの指輪が輝いている。もし姉妹の契りを結んでいなければ、妹にしたいと考える上級生は多いことだろう。


 悶々とした情を振り払うように、私は咳払いをひとつした。


「あらためて源子さんの指輪の動向を教えてもらえないかな。稽古前に付け替えたんだよね」

「はい。前日に舞台用の指輪を雅陽さまから預かっていたんです。私と希生の分をふたつ」


 源子さんは自分のバッグから、リングケースを二つ差し出した。高級感のある四角い箱は、私たちに与えられている指輪のものと相違ない。ケースを開くと、中には黒い指輪と緑の指輪が収められていた。


「黒い方がオブシディアン、緑の方がエメラルドの指輪です」

「舞台用のダミーにしては、しっかりしているね。学園の生徒がはめている指輪と遜色そんしょくないみたい」

「いつかの代の演劇部員が、この公演用に残した指輪だそうです。卒業後も持っていていいはずの学園の指輪を、あえて部に託したとか」

「へえ。これもひとつの『指輪あるところに物語あり』だね」


 公演用の指輪は傷ひとつなく、代々受け継がれているものとは思えないほど綺麗に磨かれている。歴代の演劇部が大切に手入れをしていることが窺えた。


「稽古の直前、舞台袖で指輪を付け替えました。まずは私がエメラルドの指輪を。着替え終えて、あとから舞台袖にやってきた希生に、オブシディアンの指輪を付けてあげました。交換した指輪は両方とも舞台用の指輪が入っていたケースにしまって、私のバッグの中に入れました」

「源子さんと希生さまの指輪を両方自分のバッグにしまったの? どうして?」

「それは、その……言わせないでください」


 源子さんの頬がわずかに赤く染まるのを見て、私は納得した。指輪を付けてあげる行為は、それだけで特別な感じがする。相手が自分の好きな姉であればなおさらだ。稽古後も希生さまに指輪を付けてあげるために、源子さんはあえて自分のバッグに指輪をしまったのだ。


「その時、舞台袖には他に誰かいた?」

「舞台袖は私たちふたりだけでした。舞台の頭上には一名待機していたかと思います」


 私は客席から舞台の頭上を覗き込んだ。ステージの真上には、人がひとり通れるほどの細い通路がある。舞台のラストでは桜の花びらが舞う演出があった。上の通路にいた生徒が落としていたのだろう。


「それからすぐにバッグを所定の位置に置いて、稽古が始まりました」

「希生さまのバッグと、源子さんのバッグが並べて置いてあったよね。どっちが源子さんのだったの?」

「どうでしょう。桜の木の下と指定があっただけで、左右は決めていませんでしたから。私のバッグが右だったような、左だったような」


 しばらく考え込んだあと、源子さんは首を横に振った。スクールバッグを置いた位置を覚えていないようだった。仕方ないので、私は源子さんに続きを促した。


「通しで最後まで演じ終わったあと、舞台袖にいた希生と一緒に客席まで下りました。そこでバッグの中に入れていたルビーの指輪を希生に渡そうとしたら、あんなことに……」


 綺麗な金髪が源子さんの目を覆い、見えなくなった。

 詳しく話を聞いても、指輪の動きは映像で確認したときと大きな差はなかった。ルビーの指輪は稽古前に交換され、稽古後には壊れた状態で見つかっている。稽古中は源子さんのスクールバッグの中に入っていて、そのバッグはずっと舞台の上に置かれていた。誰も手を出すことができない状況だ。


「犯人に思い当たるふしがないかな? 希生さまや源子さんが誰かに恨まれていたとか」

「少なくとも、希生には思い当たることはありません。アレは誰にでも優しいですし、気配りのできる人間です。誰かの恨みを買うことなどないでしょう」


 アレ、と上級生を粗末な扱いで呼ぶのは、無礼というよりむしろ信頼の表れのように見えた。身内を呼ぶときような、どこか親しみが感じられる。


「希生さまとは付き合いが長いの?」

「ええ。母親同士が親友で、生まれたときからの腐れ縁です。学校はもちろん、家族旅行も習い事も希生と一緒でした」

「いつも姉妹一緒にいられて、楽しそう」

「そんなに良いものでもないですよ。希生はがさつなんです。いつもくせっ毛を作っているので、私がいてあげてるのですよ」

「聞けば聞くほど、仲が良いエピソードが出てくるね」

「あ、そんなつもりは無かったのですが、ごめんなさい」


 少し恥ずかしそうに、源子さんは頬を掻いた。否定する言葉とは裏腹に、口元には微かな笑みが浮かんでいる。二人の関係がなんだかうらやましかった。

 小さく咳払いをして、彼女は話を続けた。


「もし恨まれるとしたら、私の方だと思います」

「心当たりがあるの?」

「いえ。心当たりと言っても去年のことなので、今となっては関係ございません。少し演技をかじっていたもので、去年は一年生で主演を務めることもありました。そのことに反感を持った当時の三年生とトラブルが無かったと言えば嘘になります。希生や雅陽さまが上手く立ち回っていただいたおかげで、今ではすっかり落ち着いていますが」

「ちょ、ちょっと待って。去年って?」


 聞き捨てならない言葉に、私は本題から逸れて口を挟んでいた。床に何かあるわけでもないのに、思わずこけそうになる。

 去年、彼女は一年生だった。であれば、今年は二年生だ。私はとんでもない勘違いをしていたのかもしれない。


「ご挨拶が遅れました。二年二組、黒岩源子と申します。以後、お見知りおきを」


 スカートの裾をつまんで、彼女は優雅なお辞儀をした。間違いなく「二年」と言ったことに、私の背筋が凍り付く。慌てて私は、頭を深く下げた。


「源子さん……いや、源子さま。二年生だったんですね。無礼な態度を取ってしまい、本当に申し訳ありませんでした!」

「いえいえ。志世さまの狼狽が大変面白いので許しましょう。今後の演技の参考にさせていただきますね」


 ふふふ、と悪い魔女のように源子さまは笑った。一年生扱いされていたことを怒っているのではなく、勘違いしていた私を見て楽しんでいるようだ。


「リボンの色で思い違いをさせてしまったかもしれませんね。これは一年生からお借りしたものです。本当は黄色のリボンを新しく注文しようと思ったのですけれど、リボン含めて制服は自分に与えられたものしか注文できないとのことで、却下されてしまいました」


 源子さまの小さな手が、借り物の黄色いリボンに触れる。これを見て、私は源子さまが一年生だと思い込んでしまった。けれど考えてみれば、入学して一ヶ月も経たない公演で、一年生が主演を務めるというのもおかしな話である。


「ちなみに希生も二年生ですよ。私の方が三ヶ月ほど先に生まれているので、姉を名乗らせていただいています」

「え、お二人は同級生なんですよね。それで姉妹になれるんですか?」

「姉妹の契りを結べるのは先輩と後輩の間だけに限りません。同級生や生徒と教師などといったケースもございます。この演劇だって、過去の生徒と現在の生徒というイレギュラーな組み合わせでしょう。心を通わせ合ったふたりであれば、誰だって姉妹になれるのです」


 愛おしげな目で、源子さまはサファイアの指輪を見つめた。指輪あるところに物語あり。去年は主演の件で揉めていたとき、希生さまが力になったと言っていた。この指輪は希生さまとの思い出をたくさん知っているのだろう。


「源子さま、絶対に犯人を見つけましょう」


 力強い私の言葉に、源子さまは驚きながらも首肯した。棗子さまに反発するように、勢いで始めてしまった犯人探し。源子さまと知り合った今、もうそれは勢いだけじゃない。


 彼女のためにも、犯人を見つけなければならない。

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