1-3 私立貴石学園

 舞台『姉妹の誓い』


 演劇部が毎年五月末に公演しているこの演目は、昭和初期から受け継がれているそうだ。

 桜の木の下で祈りを捧げると、願いが叶う。そんな噂を耳にしたある女生徒は、桜の元で「友達が欲しい」と願う。彼女が目を開いたとき、目の前にはセーラー服を着た女生徒が現れた。なんとこの女生徒も「友達が欲しい」と三十年前の同じ場所で願い、過去からタイムスリップして現代にやってきたのだ。現在を生きる少女と過去を生きる少女。同じ学園でも生きる時間軸が違う二人が、出会い、交友を深め、別れるまでを描いた心温まる話だそうだ。


「指輪ってそのころからあったんですね」

「うん。この学園の創設からだから、明治時代からかな。そのころから代々ずっと、理事長の家系が生徒一人一人に指輪を作っていたらしいよ。あ、これ要る?」

「え? はい、いただきます」


 雅陽みやびさまは深緑のポーチから、飴を一粒寄越した。イチゴの優しい甘さが、口いっぱいに広がる。犯人を捜そうとどこか焦っていた心が、少し落ち着きを取り戻した。


 私立貴石学園しりつきせきがくえん聡明叡知そうめいえいちな子女を育てるための伝統ある女子高等学校だ。古くから独自の文化を発展させていった学園には、変わった特色がいくつかある。その最も特徴的なものが、生徒本人のイニシャルが刻まれた指輪だ。


 指定のブレザー、指定のローファー、指定のリボン、指定のスクールバッグと同じ立ち位置に、指輪が設定されている。ジュエリーデザイナーでもある理事長が、生徒一人一人と面談し、個人に合った指輪のデザインと一種類の宝石を決定する。生徒の個性をそのまま反映した指輪は、創設以来ひとつとして同じデザインがないらしい。

 さすがに宝石の種類までは創設から全員別々とまではいかないが、学年で同じ宝石は被らないようになっていた。二年の棗子さまがダイヤモンドの指輪をしていたら、他の二年生は全員ダイヤモンド以外の宝石があしらわれている。世界にひとつしかない唯一無二の指輪は、自身の分身といえるほど大切なものだ。


 私は左手の薬指にはめている指輪を見た。軽いウェーブを描いたような指輪の上で、ダイヤモンドの宝石が光っている。棗子なつめこさまと同じ宝石なんだなと、ぼーっと思った。


「『指輪あるところに物語あり』って、この学園の人は良く言うんだけど、まさにその通り。物語の中で、現在の女生徒と過去の女生徒は姉妹の契りを結ぶの。時を超えて結ばれる二人。憧れるなあ」

「三十年前からタイムスリップしてきたんですよね。三十歳差かあ」

「もう。年の差は関係ないの」


 この学園のもうひとつの特色が姉妹の契りである。


 自身の象徴といえる大切な指輪を、特別な相手と交換する。指輪を交換した二人は姉妹となり、お互いに支え合って学園生活を送る。姉は妹を教え導き、妹は姉を慕い支える。それが、姉妹の契りだ。

 演目の中で、過去の女生徒は最後に元の時代に帰ってしまう。離れ離れになってもなお、交換した指輪を通じてお互いに想い合う姿は、観客の心を打った。一説によると、姉妹の契りは元々あった伝統じゃなくて、この演目がきっかけで広まったそうだ。


「学園の特色を織り込んだ話だから、今年の主演はあの二人にお願いしたんだ。二人は役だけじゃなくて、本当に契りを交わした姉妹なの」

「二人の舞台は息ぴったりでした。姉妹だったんですね」

「お芝居みたいな儚い姉妹でもないけどね。源子もとこさんがその……打ち解けた相手には奔放な人だから。希生きなりさんをいつも振り回しているの」

「それはそれで、仲の良い姉妹だと思います」

「私もそう思う。源子さんはわがままを言うことも多いけど、なんだかんだ希生さんは付き合ってあげてるの。だから今の状況はとても心配だな」


 言い争った後でばつが悪いのか、少女と麗人は距離を離して客席に座っている。他の演劇部員たちもどこか遠慮して、彼女たちに近寄りはしなかった。二人の間に会話はなく、とても仲の良い姉妹には見えない。ブレザーを着ている少女のリボンは、私と同じ黄色を付けている。彼女が一年生で、妹なのだろう。


「ブレザーを着ているのが黒岩源子くろいわもとこさん、セーラー服を着ているのが塚本希生つかもときなりさん。破壊されたルビーの指輪は源子さんに与えられたもので、姉妹になってから希生さんが常用しているの」


 今の言葉に私は違和感を覚えた。けれど、どこが引っかかったのか分からない。


 巡らせていた思考は、雅陽さまが差し出したタブレット端末に遮られた。


「じゃ、演目の概要はここまでにして、まずは事件発生時刻の映像を確認しよっか」


 源子さんは別れのシーンの稽古の直前、自分の指輪と舞台用の指輪と交換している。そのときまでは指輪は無事だった。また、稽古後すぐに指輪が壊れていることを確認している。指輪が破壊されたのは、別れのシーンの稽古中だ。

 稽古の様子は、タブレットで撮影されていた。これを見れば、事件のことが何か分かるかもしれない。雅陽さまは映像の再生ボタンを押した。


 映像は、二人の女生徒が桜の木の下で向き合うシーンから始まった。定点カメラとして、ステージの全体を写している。舞台の上では、現在の時間を生きる女生徒役の源子さんと、過去からタイムスリップした女生徒役の希生さまが、別れを惜しみながら最後の会話を交わしていた。宝石までは見えないが、二人の左手薬指には指輪が鈍く光っている。おそらくは、舞台用の指輪だ。

 ステージに向かって左側には、書き割りに描かれた桜がある。桜の木の根元には、スクールバッグが二つ並んでいた。ひとつが源子さんのもので、ひとつが希生さまのものだろう。二人が話している位置からは三歩ほど離れていて、彼女たちの会話中に近寄る様子はなかった。


「壊された指輪は源子さんのスクールバッグにしまっていたっておっしゃってましたよね。こちらがそうなんですか?」

「そうだよ。スクールバッグは備品ではなく、普段のものを使ってもらっているの」

「バッグが二つ並んでいますけど、どっちが源子さんのものなんですか?」

「右だったかな。特に台本には指定がないけど、この後のシーンで希生さんが左のバッグを持っていったと思う」


 映像の二人は、抱き合いながら口づけをした。希生さまの後頭部で隠れて口元までは見えていないが、映像でもう一度見ても、しているフリの芝居だとは見えなかった。

『ありがとう。いつまでも、君のことを想っているよ』

 希生さまはそう伝え、木の下に置いたスクールバッグを持ってステージ左側に捌けていった。雅陽さまの言うとおり、持って行ったバッグは左側に置かれていたものだ。ひとりきりになった源子さんは、過去へ帰った彼女を想って目を潤ませた。このシーンで一番、目を引く場面だ。台詞もBGMもなく、源子さんの仕草と表情だけで少女の感傷を表現する。源子さんの演技は指先の末端まで深い感情が伴っていて、見ている人の心を捉えていた。

 観客の感情を最大まで揺さぶると、物語の幕が下りたことを告げるように舞台の照明が落とされた。映像はただ真っ黒で、ステージの様子は分からない。五秒ほどして雅陽さまの「カット!」の声が入ると、再び舞台に明かりが灯った。照明が消える前後で、映像に差はない。誰か不審人物が紛れているわけでも、バッグが消えているわけでもなかった。

 演技を終えた源子さんはスクールバッグを持ち、そのまま希生さまと同じステージ左側へと消えていく。ちょうどそこで、映像は終了した。


「うーん。何か写ってるかと思ったけど、無駄骨だったね」

「壊された指輪はスクールバッグの中。なのに、スクールバッグを手に取る人物は映っていませんでした」


 ラストシーンの間、源子さんのスクールバッグは誰の手にも触れられていなかった。稽古の間はずっと舞台の上に置かれていて、最後は源子さんが回収している。バッグに入れている指輪は壊すどころか、誰も手にするタイミングすらなかったように見える。


 遠くの席から、棗子さまが冷たい眼差しをこちらに向けた。調べても無駄だと言わんばかりに、視線が語りかけてくる。

 映像が終わって真っ黒になったタブレットに反射する私の額には、汗が浮かんでいた。大丈夫だ。時間はまだある。注がれる視線を無視して、私はもう一度映像を再生した。

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