第7話

 美咲が、逃亡した中華大国人ハッカー集団の新たな潜伏先を追っていたある日、ちょうど美咲が彼女の作業部屋で橘に調査の経過報告をしていた時のことだった。

「すみません。あまり成果があがらなくて。」

「いや、美咲が悪い訳じゃない。取り逃がした訳だし、先方も無防備だった時と比べればそりゃなかなか尻尾を出さないのは当然だと思うよ。」

「でも、、、」美咲は納得が行っていないようだった。

そこに、特務班のメンバーの一人が入って来た。

「失礼します。橘チーフ、緊急の連絡です。」

「どうした、中村。何があった?」

中村と呼ばれた女性メンバーは答えた。

「はい、公安警察のデータベースがサイバーアタックを受けているそうです。」

「なんだと?どこのどいつだ? そんなことをして来たのは。」橘は思わず立ち上がって叫んだ。信じられない事態だった。

「それが、例の逃亡した中華大国人ハッカー集団らしいということです。」

「なんだと、がさ入れの報復ということか?」

橘はさらにそう叫ぶと、美咲と顔を見合わせた。

「詳しい状況を知りたいわね。橘さん、セキュリティ対策室に私も行ってよいかしら。」

美咲は、橘に頼んだ。

「勿論だ。中村、すぐ行くと言っておいてくれ。」橘はそう中村に指示すると、美咲を促して作業場をすぐ後にして、セキュリティ対策室へ向かった。


 セキュリティ対策室は、人でごった返していた。怒号が飛び交い。悲鳴のように次々と襲ってくるサイバー攻撃の状況を報告する声が響き渡っていた。

橘と美咲は部屋に入るなり、セキュリティ対策室長の真鍋に声をかけた。

「真鍋先輩、状況をお聞かせいただけますか?」

「おう!橘か。それに美咲君も。どうもこうもない、公安警察のデータベースが狙われるなんて前代未聞だ。とんでもないことが起きているよ。まるで戦争だ。」

「例の中華大国人ハッカー集団というのは間違いないのか?」

「ああ、それはどうやら間違いないようだ。公安のデータベースは最高レベルのセキュリティ対策が施されているんだが、やつらの攻撃は通常のものとは大部違う。相当高度な技術を持っているに違いない。こちらの予測を常に超えてくる。」

美咲はすぐに、対応しているスタッフに声をかけて、状況を手早く確認した。

そして、唇を噛んで、真鍋と橘に告げた。

「甘く見ていたかもしれません。私と同等あるいはそれ以上のハッカーが向こうには複数人いるようです。」

「なんだと、お前と同等以上が複数人だと。勘弁してくれ、持ちこたえられるのか?」

真鍋は頭を抱えた。

「くそ、やつら、逃げるどころか、こんどは公安の情報をどうどうと取りに来たというわけか。公安のデータサーバーの情報が漏洩したらそれこそ国家存亡の危機だぞ。」橘が深刻な顔をして呟いた。


 橘が言うように、公安警察のサーバーには、国内外の諜報活動に関する機密情報や、政府要人の個人情報、重要施設のセキュリティプロトコル、暗号化技術の開発データなどが格納されている。これらの情報が漏洩すれば、日本の国家安全保障が極めて脆弱な状態になり、国内外の敵対勢力による様々な攻撃の対象となる危険性があった。


 中華大国人ハッカー集団は、公安警察のサーバーからこれらの機密情報を抽出し、リークすることを企てているようだが、この情報のリークは、政治家や経済人のスキャンダルなどのレベルをはるかに超えた国家の屋台骨を揺るがす事態を引き起こす可能性が高かった。もし国内外の諜報活動の詳細やセキュリティ上の弱点が明るみに出てしまうと、日本の国際的な信頼の崩壊や内外に大きな混乱を発生させる恐れがあった。


 美咲は、対応している何人かのスタッフに聞いて回って、中華大国人ハッカーのサイバー攻撃の内容を整理して、真鍋と橘に報告した。

「二人とも聞いてください。恐るべき攻撃がしかけられています。」

美咲が確認したところによると、中華大国人ハッカー集団は、極めて高度なハッキング技術で、公安警察のサーバーへ機密情報取得の為のサイバー攻撃を仕掛けてきていた。


 彼らは、まず公安警察のウェブサイト、職員のSNSアカウント、部署の構成などを徹底的に分析し、標的を特定した。そして、従来のセキュリティ対策を回避し、サーバーに侵入するためのバックドアやキーロガーなどを含んだ、独自開発の「アドバンスド・マルウェア」を仕掛けて来たのだ。公にまだ知られていないゼロデイ脆弱性を利用した、通常のセキュリティ対策が防げられない攻撃を展開して来ていた。さらにかれらは、カスタムエクスプロイトも開発して、サーバーに潜り込み、その制御を握ろうとしていた。そして、留目として、エレベーション・オブ・プリビレージ攻撃により、公安警察データベースで管理者レベルのアクセス権を獲得し、全てのデータにアクセスできるようにすることを目論んでいた。


 さらに、中華大国人ハッカー集団は、自身の存在を偽装し、トラフィックを暗号化して検出されないようにした。さらに、サーバー内での活動を公安警察の監視から隠すため、異なる通信プロトコルを利用したり、極めて巧妙な手口で、公安警察側のセキュリティ対策班を煙に巻いた。そして、盗んだ情報をサーバーから外部へステルス転送しようとしていたのだ。


 その後、中華大国人ハッカーたちは、感染した端末を制御し、サーバーへのアクセスを試みてきた。様々な侵入ポイントを試し、防御を突破しようとしてきた。元々公安警察のサーバーには高度なセキュリティ対策が施されていたこともあり、美咲と公安警察のサイバーセキュリティの専門家たちが協力して対抗を続けていた。


「(だんだん打つ手が無くなってきたわね。諦めてはいけないんだけど、、、)」

美咲もキーボードを叩いて、応戦に直接参加していた。

美咲たち公安警察側は、中華大国人ハッカー集団のハッキング技術の熟練度や戦略的なサイバー攻撃に対抗するため、絶え間ない分析と対応を余儀なくされた。美咲たちは、虚偽の情報の拡散や、偽の軌跡を残すなどの仕掛けで混乱させられ、徐々に追い詰められていった。もう、セキュリティ対策室のスタッフの疲労の色が濃くなってきた。

 そして、とうとう一部機微度の低い情報が漏洩し始めた。それを知って、セキュリティ対策室は緊張に包まれた。

「まずい。もう持ちこたえられないかもしれない。」美咲が苦し気につぶやいた。

橘は、美咲の肩をやさしく撫でて励ました。


 すると次に意外な展開があった。

「ハッカー側から通信回線を使って接触して来ています。」スタッフの女性が大声で告げたのだ。そして、その後すぐに、複数あるモニターの画像に人が写しだされた。そして、それは加藤美和だった。

「橘警部と麻生美咲さんはそこにいるんでしょう。」橘と美咲はWEBカメラの前に出ていった。それを見て美和は不敵に笑った。

「初めまして、公安警察のエース橘大輔さん、元天才高校生ハッカー麻生美咲さん。わたしのことは知ってますよね。」それに対して、美咲がマイクに向かって言った。

「勿論よ。中華大国政府諜報機関工作員、李美娟(Li Meijuan)。英語名のジャスミン・リーと言った方がいいのかしら。」それを聞いて、美和は顔を歪めた。

「そう。そこまで調べがついてるのね。なら話は早いわ。間もなく公安警察のデータベースにあるすべての情報はわれわれのものになるわ。日本政府にはもう打つ手はないわ。いままでのちまちました工作はもう不要になるのよ。」

「何故ここまでやったんだ。いままでそこまではして来なかっただろう。」橘が問い返した。

「そう、いままでは遠回しな裏工作をして来ただけ。こんな強硬手段に出たのは、私たちを追い詰めたからよ。美咲さん、あなたの存在のせいと言ってもよいわ。」

「そんな、私なんかのせいだって言うの?」美咲は嘆くように言った。

「そうよ。自分を卑下してはいけないわ。私たちのハッカー集団にもあなたほどの人材はいないわ。違うのは人数が揃っているってことね。総力戦で上回っただけ。」

そこで、セキュリティ対策室のスタッフの一人が叫んだ。

「もう駄目です。どんどん情報が引き出されて行く。もう止められません!」

美和は高笑いをして言った。

「中華大国政府はこの情報を持って日本政府に強硬策を取るでしょう。私やわが組織への捜査・介入をいますぐ中止しなさい。日本政府もいずれそうあなた方に命令するはずよ。」

橘と美咲は茫然と立ち竦むしかなかった。真鍋が横から二人に声をかけた。

「橘、美咲さん、俺たちの負けのようだ。残念だがかれらに従うしかない。」

「そんな!」美咲は涙目になって悔しがった。


 その時一部のモニターの画面に乱れが起きた。画面が大きく歪み、大きな雑音と共に、渦をまくような画像が登場した。それが収まると画面には2つの画像が映っていた。ひとつは美和が、そうしてもう一つは霞がかった画像の中にKENTAROの無表情の顔が浮かび上がっていた。そう、浮かび上がるという表現がぴったりするような奇妙な画像だった。

「こんにちは、皆さん。KENTAROです。」と言って、KENTAROは薄笑いを浮かべた。

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