第5話

 麻生美咲から、加藤美和が中華大国諜報組織の工作員・李美娟であったことを聞いた橘は、美咲に尋ねた。

「それで、加藤美和が政治家たちのスキャンダルリークに関わっている目的って、まさか中華大国政府の意図で、、、」

「もうわかっちゃいましたね。そう、その通り。中華大国政府は、自分たちへの敵対や、経済・国際的地位に悪い影響がでるような動きをしている者、あるいは関連法案を通そうとしている者のスキャンダルをリークして、かれらを失脚させて動きを封じてきたようね。リークされた政治家とその政治家の動きと中華大国政府の動向を比較するとそのことが明確にわかるのよ。」

「スキャンダルの情報自体はどうやって入手していたんだろう?」橘が疑問を呈した。

「それなんだけど、加藤美和こと李美娟は、新宿歌舞伎町を根城とする在日中華大国マフィアとコンタクトがあり、政治家や経済人のスキャンダル情報はそこから入手している形跡があったわ。」


 美咲の話に橘は茫然として言葉を失っていたが、自分を奮い立たせるように首をブルブルと左右に振り、さらなる疑問を美咲に呈した。

「政治家たちのスキャンダル情報は、在日中華大国マフィアが入手しているということかい?」

「勿論かれらも情報網は持っているけれど、それだけでなく、恐らく配下に凄腕のハッカー集団がいて、そいつらにハッキングさせて得ている可能性が高いわね。」

「なぜそう思うんだい?」橘は尋ねた。美咲はそれに関する自身のハッキングによる調査について詳しく説明した。


 美咲は、スキャンダルをリークされた政治家や経済人のメールやメッセージアプリのデータベースに侵入して電子通信を解析した。また、彼らの所属する組織や団体のデータベースにも侵入し、マルウェアや不正アクセスの痕跡を追跡した。そして、スキャンダル情報が盗み出された痕跡があることを突き止めた。しかも、足跡が追えないように高度な技術が使われていることもわかった。美咲はそれをあえてそれを打ち破り、極めて凄腕のハッカー集団の存在を認知したのだった。


「他国に日本政府が操られているということは由々しき事態だぞ。何とかしなくちゃならないが、歌舞伎町の中華大国マフィアか、、、ちょっと厄介だな。特務班のしごとじゃないな。公安刑事としてまとまった人数で乗り込むしかないか?」

橘は少し考えた後で美咲に言った。

「麻生さん、中華大国マフィアと言っても複数いるし、その存在も不法入国者が多いこともあって実態が把握しきれていないと聞いている。あなたの力で根城を特定できないだろうか?」

「いいわよ。任せて!やってみる。」と美咲は自信ありげに頷いた。そして、

「それと、麻生さんなんて言わなくていいわよ。美咲って呼んで。」

「あ、うん。美咲さん頼む。」

「美咲、でいいよ。」

「う。美咲、頼む、、、、これでいいか?」橘は顔を赤くした。美咲はそれを見て、「かわいい!」といってケラケラ笑った。橘は、「おじさんをからかうもんじゃない!」と言って、むくれてソッポを向いた。


🔶 🔶 🔶 🔶 🔶


 公安警察事務所の会議室で、橘大輔は、上司である岡田管理官に、美咲の調査結果の報告と、歌舞伎町を根城とする中華大国マフィアのうち、今回の政治家や財界人のスキャンダルを加藤美和に渡していたグループの根城をがさ入れする為の捜査要員の捻出を相談していた。


「そうかそうか、やはり美咲はすごいな!1週間でよくそこまで調べ上げたな。」

と岡田が言うと、橘もそれに頷いて言った。

「正直言って私もここまで調べられるのか!と驚いてしまいました。さすがに管理官が認めた女性ですね。レベルが違いました。」

「そうか、美咲とはうまくやれているようだな。新宿歌舞伎町の中華大国マフィアの件はわかった。精鋭を用意しておこう。美咲が場所を特定して指示がくるのを待つとしようか。」

「承知しました。よろしくお願い致します。」と言って橘は背筋を伸ばして敬礼をした。


🔶 🔶 🔶 🔶 🔶


 一方の美咲は、在日中華大国マフィアや凄腕中華大国人ハッカー集団のメンバーが使用すると思われるソーシャルメディアプロファイルを分析し、写真や投稿から、彼らの活動の手がかりを見つけ出そうとしていた。それと並行して、ハッカー集団の通信から得られるIPアドレスも追跡していた。活動のホットスポットや一般的な地理的な領域を特定しようと試みた。また、当初より、歌舞伎町の近くに位置するWi-Fiネットワークの通信トラフィックを監視し、不審な通信パターンやデータの送受信がないかもをチェックして、潜伏場所を特定する手がかりを見つけようとした。それらの活動から手に入れた情報を元に、オンライン地図や建物の配置情報と照らし合わせ、ある雑居ビルを特定することが出来た。


「(ここで良さそうね。ただ、このビルだけ他のビルの情報と何か違和感があるわね。理由がわからないけど、、、とにかく橘さんには連絡しよう。)」

美咲は橘の携帯に連絡を入れた、時間は夜10時をすでに回っていた。

「ありがとう、美咲。早かったな。さすがた!」

「それで、すぐに踏み込むの?」

「ああ、これから岡田管理官が用意してくれた精鋭たちを召喚して、明日未明にがさ入れするつもりだ。夜が明ける前に動きたいな。朝になったら逃げられる可能性もある。」

「今から準備するのに間に合うの?」

「管理官が用意できたということは、24時間対応。俺の武器も含めて準備が整ったという意味だ。公安特捜を舐めたらいかんよ。」

「そう。すごいわね。じゃあ、ビル周辺の監視カメラやセキュリティシステムを無効化しておくわね。でも橘さん、さっきもいったけど、この場所には違和感があるわ、何か仕掛けがあるかもしれないから、くれぐれも気をつけてね。」

「おれは不死身だから大丈夫だよ。」と言って橘は笑った。

「バカ。あなたに何かあったら、奥さんとお子さんがかわいそうでしょ。」

「何を言ってるんだ。おれには家族はいない。」

「えっ、そうだったの。その年で。」

「悪かったな。」橘は吐き捨てるように言った後、「ちゃんと気を付けるから大丈夫だ。それじゃ俺は準備に入るから。またな。」そう言って橘は電話を切った。

橘との会話を終えた美咲は、何故か嫌な予感がしてしょうがなかった。

「(私の考えすぎだったら良いのだけど。橘さん無茶しないといいけどな)」橘のことが心配になっている美咲であった。


 不夜城と言われる新宿歌舞伎町の一角にも人通りのない路地があった。そこに静かにくるまが2台止まった。中には、橘大輔を筆頭に、公安警察で専門的な戦術訓練を受けたエージェントたちが8名乗っている。彼らは黒いタクティカルギアを身に着け、特殊部隊用のヘルメットやボディアーマーを装備している。各エージェントはSIG Sauer P226というスイス製のセミオートマチック拳銃にサイレンサーを取り付けたものを装備していた。

この突入部隊でもチーフを任されている橘は、自分の携帯電話を見つめ、美咲から周辺の監視カメラを無効化した旨の連絡メールを確認してから、小さく「行くぞ!」とエージェントたちに声をかけた。何故かガスマスクも装備しているので、大きな声は出ない。大げさだと一度は断ったが、岡田管理官から命令に従えと言って押し切られた。


 橘たちエージェント8名は、特定された雑居ビルの入り口から中に入り、目当てのマフィアの根城になっている2階へと歩を進めた。2階に上がると「友愛交流会」という看板がある、表の顔である在日中華大国人支援組織のものだ。エージェントの一人が特殊な道具を使って手早く音を立てずにすみやかに開錠してみせた。


 中に入った途端、目の前は大きな壁で塞がっていた、そして橘らエージェットたちが入った途端壁は倒れて来た。8名でそれを支えたが、重くて押し返せない。粉塵で視界が悪くなった向こうで、騒がしく人の声が聞こえる。どうやら、侵入を感知して壁が倒れ、中にいる者たちもそれに気づいて騒いでいるのだろう。装備のおかげで倒れた壁に当たって負傷したものはいなかった。橘たちは、全力で壁を押し返して反対側に倒すことに成功した。橘はすかさず、「先に進むぞ!」と声をかけてみずから先頭に立って進もうとすると、今度は床のカバーの一部が外れて、数名のエージェットが穴に落ちかけたが、1階まで落ちることなく、かろうじて床にしがみついてぶら下がり、すぐに這い上がった。


「ずいぶん手の込んだ罠がしかけてあるな。忍者屋敷かここは!」すぐに目の前にまた扉が現れ、それを銃を使って鍵を破壊して進むと、奥から複数の人間がすごい勢いで、エージェントたちに襲いかかって来た。

かれらは、短刀、青龍刀(チンロンダオ)、ヌンチャクを手にしており、拳法を使い、壁を駆使したアクロバティックな攻撃や、武器を使った繊細な技巧でエージェントたちを攻撃してきた。伝統的な中華大国の武術に長けた者たちであることがすぐわかった。しかも並みの強さではない。達人レベルだ。「(本当にマフィアなのか、熟練の戦闘員じゃないか!)」エージェントたちは皆そう感じていた。


 銃声と武器の打撃音が響き渡っていた。エージェントたちも機敏に動き、射撃と格闘を組み合わせて戦いに対応するが、近接戦闘と相手の動きの速さもあって、銃撃が封じられてしまっていた。相手も、拳銃は小型持っていて発砲していた為、エージェントたちの武装が役に立った。相手の何名かは負傷を追っていたが、エージェントたち側は青龍刀でヘルメットの上から叩かれて倒れている者が一人いたが、幸いにもそれ以外の負傷者は出ていなかった。

徐々にエージェントたちが追い詰める展開になり、マフィア側は最後と思われる扉の奥に逃げ込んだ。そして、それを追って突入しようとしたエージェントを寸でのところで橘が止めた。


 その部屋から白煙がこちらに向かって吹き出して来ていたのだ。匂いですぐわかった。

「これは毒ガスだ!」橘は叫んで、ひとつ前の部屋に全員が引っ込んだことを確認して扉を閉めた。

「チーフ!これは!」エージェントたちが叫んだ。

「しょうがない。マスクをしていても安全かどうかわからない。無理に突っ込んでも拳銃で狙いうちされるだけだ。落ち着くんだ。時を待て。」橘は、混乱するエージェントたちの動揺を鎮めようとして声を張り上げた。

「(ここまでやるか?これじゃ戦場だ。)」橘は今更ながら相手の恐ろしさを知った。そして、「(岡田管理官に謝らなきゃな。まさかこの事態を予測していたわけじゃ!)」橘は、ガスマスク装着をガントして譲らなかった上司の岡田の厳しい表情を思い出していた。


 窓をあけてガスを外に逃がして、少し靄が収まった後で先に進んだが、その時には奥の事務所はもぬけの殻だった。しかし、たくさんのIT機器が取り残されており、ここがハッカー集団の拠点であったことは明白だった。大きなロッカーの扉が開いたままとなっており、その下には脱出用の出口穴が開いていた。梯子が設置されており、脱出用にあらかじめ設計されていたものであることはすぐにわかった。

相手も何名かは銃撃を受けて負傷していたはずだが、負傷者も含めてどこかに消えてしまっていた。

「(逃げ切れたと思うなよ。かならず捕まえてやる。)」橘は、その場に立ち尽くし、強く拳を握り、自分自身に誓ったのだった。

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