第4話

 ネット配信が終了し、加藤美和は、自宅マンションの配信部屋と呼んでいる部屋で、放送機材が配置されているデスクのチェアで大きく伸びをしていた。今日は、レギュラーの配信番組で保守政党の政務次官のスキャンダルが扱われた。愛人女性への不誠実な対応と暴力を取り上げていた。司会のインフルエンサーが怒りをあらわにし、顔出し無しの匿名で被害女性も登場させていた。美和は、いつも通り自宅からリモート参加していた。視聴者はなんと500万人を超えていた。


「(今日も盛り上がったわね。すごい反響だったわ。今回もうまくいきそうね。)」と美和は心のなかでほくそ笑むと、

「そうだね。」という声と共に、消えていたはずのモニターに、いつもの霞がかった画面にKENTAROの無表情の顔が浮かび上がってきた。

「どうして?繋いだつもりないんだけど?」美和は激しく動揺した。

「こちらから繋ぐことは技術的にできるんだ。不思議なことじゃないよ。完全に切れていなかったようだね。」

「そ、そう。それでどうしたの?」

「いや、ずいぶん嬉しそうだなって思って。」KENTAROは無表情のまま言った。

「うれしい訳ないじゃない。スキャンダルなんて。でも悪事は許せないでしょう。糾弾するのを止める気はないわよ。」

「ずいぶん配信の内容も変わったもんだね。」


「成り行きよ。環境保護活動だってちゃんとやっているんだから、問題無いと思うけど。」

「ずいぶんスキャンダルの証拠集めがうまいんだね。」KENTAROは無表情のまま言った。「熱烈フォロワーからの情報提供よ。これだけの規模の視聴者を抱えたら国民全部が協力者よ。集めなくても証拠のほうからやってくるのよ。」

「そうか。そういうことにしておくよ。疲れてるようだから僕は行くね。」

「ええ、お疲れ様」と美和が返すと、KENTAROは鋭い目をしたまま、画面ごとフェイドアウトして言った。

その様子を美和は背筋を凍らせながら見ていた。「ほんとにいつもながら薄気味悪いわね。」そう言って美和は嫌悪の表情を浮かべて部屋を出て行った。


🔶 🔶 🔶 🔶 🔶


 パソコンと複数のモニターに囲まれた狭い部屋で麻生美咲は、恐ろしいスピードでキーボードを操作している。スクリーンには複雑な文字や記号情報が流れるように表示されては消えて行く。分厚い瓶底眼鏡をかけ、ジャージ姿で金髪の髪もぼうぼうになって、当然スッピンであった。灰皿にはたばこの吸い殻が山盛りになっている。しばらくして、美咲はふと手を止めた。

「あった!やっとわかった。」にやりと笑った。美咲のキーボードを操作する手がさらに加速した。


 こう見えても美咲はまだ22歳だった。生後まもなく母親を失い、父子家庭で育った。優れたプログラマーで、最新のテクノロジーを追い求めていた父の影響で、幼少期からコンピュータを触ることが好きで、プログラミングやテクノロジーに興味を持って育った。父の後を追って腕を磨くのが楽しくてしょうがなかった。父も美咲の才能に驚き、溺愛して英才教育を施した。しかし、美咲が中学生の頃、父親は突然の病によって亡くなってしまった。叔母夫婦が自分たちのもとに来るよう勧めたが、美咲はそれを断って、一人暮らしを続けた。父の死は美咲に大きな影響を与えた、一人になってしまった彼女は孤立感や喪失感に苦しむようになった。父親の死後、彼女はテクノロジーとハッキングを通じて、父親との繋がりを保とうとし、その世界にのめり込んでいった。


 美咲の父は優秀な技術者だったが、お金を稼ぐことに興味がなかったので、預金はそう多くは残っていなかった。高校生の頃、美咲は将来の学費を稼ぐために、そのスキルを使ってオンラインで違法な活動にも関わるようになっていた。そして、そんな彼女の行動が公安警察の目に留まり、サイバー犯罪対策部隊の刑事であった岡田拓海が彼女に接触してきた。岡田は、「コンピュータースキルは、犯罪や脅威から社会を守るための正義のツールだ」という信念をもっており、それは美咲の父親が常々美咲に話していたことと同じだった。


 岡田は美咲の類まれなるハッキングスキルに驚愕すると共に、彼女を誤った道から救おうと考えた。父親の死を乗り越え、自身のスキルを正しく使うことで、美咲は父親との繋がりを保ちながら新たな目標を見つけることができるのではないかと岡田は考えた。


 岡田の提案により、美咲は自身のハッキングスキルを公安警察のために活かす道を選んだ。父親と同じ信念を持つ岡田との出会いにより、彼女は父親への尊敬と愛情を大切にしながら、正義を追求するためにハッキングを行うことが出来るようになったのだった。


🔶 🔶 🔶 🔶 🔶


 麻生美咲との約束の1週間後の夜、橘大輔は、前に美咲とあったのと同じカウンターバーの奥の個室で美咲が来るのを、今か今かと待っていた。この1週間、特捜班の「KENTARO対策」の為の情報収集には何の進展もなかった為、橘はこの日を心待ちにしていた。上司の岡田が信頼を置く美咲の技術に縋る思いだった。


「お待たせしました。」と言って美咲が個室に入ってくると、橘は満面の笑顔で迎え入れた。

「本当に待ち遠しかったですよ。麻生さん。」

「橘さん、それって誤解を招く言い方ですよ。」と言って、すぐに「冗談です!」と言って笑って見せた。

「すみません。結構切羽詰まっていて。ここまで活動が難航した経験がなかたので。」

「そうでしょうね。KENTAROと加藤美和の情報は、何十にもガードがかかっていて、簡単にはアクセスできません。」

「そうでしょうね。」橘は頷いた。

「残念ながら、KENTAROに関しては、いまだ情報がつかめていません。あれだけ有名なインフルエンサーだと比較的簡単に調査できるんですが、なぜかどこに侵入しても、私が知り得る高等技術を駆使しても、その上を行くブロックをされて先にゆけないんです。まるで、先回りされて“通せんぼ”されているような。謎だらけなんですが、どうしようもなくて。」

話を聞いて眉間に皺を寄せて渋い顔になった橘を見て、美咲は続けた。

「でも、加藤美和の方の情報は掴みましたよ。私はどちらかというと、橘さんたちが警戒するべきなのはKENTAROよりもこの人のような気がします。」

「そうなんですか。詳しく話を聞かせてください。」そう言って、橘は身を乗り出した。


「まず加藤美和ですが、彼女は日本人じゃないですよ。」

「えっ、どういうことです?彼女は日本人でしょう、日本語もネイティブだし。」橘は首を傾げた。

「母語以外の言語をネイティブ並みに話す人はたくさんいるわ。」美咲はそういうと、そう思うにいたった彼女のハッキング活動について語り始めた。


 美咲は、加藤美和の音声の言語解析により、彼女のしゃべりが、極めて微妙に日本人のアクセントや表現と違うことに気付き、加藤美和が外国人ではないかと考えた。そして、普通では気付かない微細な発音やアクセントの癖から中華大国の西京語を母語とした人間である可能性を発見した。

美咲はさらに、加藤美和が利用しているオンラインアカウントやウェブサイトにおけるサイバーセキュリティの脆弱性を突き、巧妙なフィッシング攻撃やゼロデイ脆弱性の利用など、高度なハッキング技術を用いて、美和の個人情報や通信を入手。さらに美和のオンライン上のアクティビティを追跡し、彼女のデジタルフットプリントを辿った。


 又、美和が利用しているクラウドストレージやオンラインドキュメントの共有プラットフォームも解析し、美和が共有したファイルやドキュメントを入手し、その中に潜む情報を洗い出した。その結果、それらの中に、隣国の中華大国や中華大国政府に関する異常な興味や動きが検知されたのだ。そして、その結果、「李美娟」という中国名にたどり着いた。


「そして、李美娟が加藤美和だということがわったの。しかも彼女、中華大国政府諜報機関の工作員だったのよ。」

「本当かい?そんなことがあるのか?じゃ加藤美和が政治家のスキャンダルリークの後ろで糸を引いていたということになるのか?」橘は頭を抱えた。いちいち大げさだ。

「さすが凄腕公安刑事ね。察しがよいわね。」美咲は、橘の勘の良さを素直に誉めて、そこに至った調査の経緯を補足説明した。


 美咲は、中華大国の各種データベースに侵入し、「李美娟」という名前の情報を探ったところ、数年前から足跡が途絶えていることを突き止めた。美咲は過去の動揺の調査の経験から、この情報の途絶え方は諜報員のものだと勘が働いた。そして、彼女の足跡を追う為に、さらに数々のデータベースをはしごして、彼女が使用しているコードネームやニックネームに込められた意味を解読し、彼女の出自や背景に関する手がかりをつかんだ。最後に、異なるソースから得た情報を美咲自身がクロスチェックをし、李美娟が中華大国の諜報員であり、加藤美和と同一人物であるという結論にたどり着いたのだった。

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