②家族と好きな人のどちらを選ぶか悩んでいたら家族愛を思い知らされました

「よくわかんな~い」

「川澄さんって男の子みたいだね」


 私にとっては『普通の女の子』の方が良く分からなかった。


 小さい頃から機械まみれの環境で育った私は自然とそれらが好きになっていた。


 お人形よりもロボットが好きだった。

 漫画やアニメを見るよりも工場の機械が動いている方を見る方が好きだった。


 そしてある日、ふと機械がどんなパーツで構成されているのかが気になって、分解してみたくなった。


 ネジの丸みや螺旋の美しさ。

 基盤のごちゃごちゃとしているようで整然としているようにも見えるところ。


 それらに夢中だった。


 もちろん、そんな私でも可愛いものは素直に可愛いと思えるし、美しくなりたくないわけでも無いし、男の子だって気になる。

 でもそれはあくまでも最低限のこと。

 同年代の女の子達の会話はどれもハイレベルに感じて、私はどうしてもついていけなかった。


 自分の趣味を気持ち悪がられるのが嫌で、かといって普通の話には入っていけない。

 だから私は学校では寡黙になった。

 下手したらいじめの対象になってもおかしくない協調性の無さだったけれども、そうならなかったのは運が良かっただけなんだと思う。


 何もやることがなくて、ただひたすら窓の外を眺めるだけの私は、いつしか『深窓の令嬢』だなんて呼ばれるようになっていた。

 油の匂いを漂わせたまま学校に通ったら変に思われると思って、毎朝念入りに体を洗っているから綺麗に見えたのかもしれない。

 それともお母さんが美人だから、それが遺伝したのかな。

 私とは真逆の性格の妹も、どことなくそんな雰囲気があるし。




 休日は工場でお父さんの手伝いをしたり、何かを分解したり、機械を眺めたりしていた。

 尤も最近は手伝うことも無く、機械が錆びつかないようにメンテナンスする程度だったけれども。


 そんなある日、工場で暇をつぶしていたら通りで大きな音が鳴り響いた。

 慌てて外に出ると、自転車からこけてしまったらしい男の人が居た。


 音が大きかったから大怪我をしているかもしれないと心配で近寄った。


川澄かわすみさん?」

片岡かたおかくん?」


 その人は高校のクラスメイトの片岡けい君だった。

 話をしたことは無いけれど、名字が同じ『か行』で出席番号が近かったから何となく覚えている。


「ちょっと自転車でこけちゃって……って川澄さん、その格好は?」


 しまった!

 つなぎ姿のまま来ちゃった。


 どうしよう。

 恥ずかしい。

 変な娘だって笑われちゃう。


「あ、その、これは、ね?」


 片岡君は、私のつなぎ姿を驚いたようにじっと見つめている。

 

「やっぱり変だよね……」


 これまで頑張って隠してたのに。

 学校で変な噂になったらどうしよう。

 秘密にしてってお願いしなきゃ。


 小さい頃に友達に変な子扱いされた苦い記憶が蘇る。

 でも、片岡君は記憶の中の彼女達とは違っていた。


「似合って……新鮮な感じがして良いと思うよ」

「本当!?」


 今、似合ってるって言おうとしたよね。

 似合ってない、じゃないよね。

 新鮮な感じがして良いってことはポジティブに受け取って良いんだよね。


 嬉しい!

 他の人に自分の姿を認められたのって初めてかも。


 お母さんも妹も、私がこんな格好で機械いじりばかりするのを良い顔しないし、唯一の味方だったお父さんも、最近は『たまには普通に出かけたらどうだ』なんて言い出す始末。


 ああダメ、嬉しすぎて頬の緩みが戻らない。

 こんな顔、見せられないよ。


 幸いにも、片岡君は倒れた自転車に目をやっていて、私の様子を見てはいなかった。


 あれ、その自転車、チェーンが外れてるね。

 だからさっきこけたんだ。


 良く見ると錆も酷いし、なるほど、片岡君はメンテナンスちゃんとやらない人だね。

 工場娘としては黙っていられないです。


「直さないの?」

「俺、やり方分からないから」


 案の定、片岡君は外れたチェーンを直せなかった。


「じゃあ私が直してあげる」

「直せるの!?」


 あはは、驚いてる驚いてる。


「もちろん、町工場の娘ですから」


 どやぁと自慢して、私はささっと彼の自転車を直した。

 ついでだから錆取りもしてあげた。


「少し匂うから、そっちの方に居てね」


 この香りが良いんだけどね。


「はい、完成。ちゃんとこまめにメンテしないとダメだよ?」

「肝に銘じます」

「うん、よろしい」


 とは言ったものの、絶対にやらないよね。

 全くもう、機械好きとしては許されざる怠慢だよ。


「マジでありがとうな。めっちゃ手が汚れちゃったし、スプレーの匂いもついちゃっただろ」


 何言ってるの。

 機械を弄ってたら手が汚れるのも匂いがつくのも当たり前じゃない。


「こんなのいつものことだから平気平気。ほら、この服だってめっちゃ油くさいでしょ」


 あはは、凄い顔してる。


「私はもう慣れちゃったんだけどね。むしろこの匂いを嗅ぐと安心するなぁ」

「……」


 ああ!

 またやっちゃった!


 こんなのただの変態女だよ。

 うう、今度こそ幻滅されるー


「あ……やっぱり私、変だよね」

「変わっているとは思うけれど、別におかしくないと思うけどな」

「そう?」

「うん」


 変わっているけど、おかしくない。


 私が普通の女の子で無いことをちゃんと理解した上で、それは問題無いって言ってくれた。


 片岡君はこんな変態な私を受け入れてくれたんだ。


 あまりの嬉しさで、片岡君にもっと私を知ってもらいたくなっちゃった。


「それにしても、川澄さんがここに住んでいるなんて知らなかったよ」

「興味ある?」

「え?」

「良かったら見ていく?」

「でも仕事中でしょ。邪魔になるから悪いよ」

「あはは、仕事なんてしてないから大丈夫だよ。ちょっとお父さんに聞いてみるね」


 よし、チャンス到来!


「おとうさ~ん。外に学校の知り合いがいるんだけど、工場案内して良い?」

「……………………男か?」

「うん、そうだけど?」

「……………………分かった。だが絶対に触らせるなよ」

「りょーかい。ありがとう!」


 お父さんなんか変だったけどまぁいっか。


 私は片岡君に工場を案内した。


「それでこれはね!」

「凄いんだよ!」

「めっちゃ使いやすいんだから!」


 片岡君は私の話を嫌がらずに聞いてくれたどころか、ちゃんと相槌や質問もしてくれた。

 興味を抱いたって感じじゃなかったけれど、それでも十分すぎるよ。


 これは私が夢見た光景。

 自分が好きなことを友達が受け止めてくれる。


 それが嬉しくて、楽しくて、私のテンションはずっとあがりっぱなしだった。


「私ばかり話しちゃってごめんね」

「ううん、川澄さんがこの工場が凄い好きなんだなぁって伝わって来て、俺も何故か嬉しい気分になっちゃったよ」

「……もう、冗談上手いんだから」


 でももし本当だったら、どれだけ幸せだろうか。

 心臓が少しだけトクンと大きく鳴った気がする。


 それからも片岡君との会話は続いた。

 私が気にしている事とか、分解の趣味の話とか、中にはシリアスな雰囲気になりそうなテーマもあったのに、ずっと楽しく笑いっぱなし。

 片岡君、話が上手いなあ。


 彼と一緒に居ると楽しすぎて、会話が止まらない。

 失われた青春時代を取り戻すかのように。


 ううん、私の青春はこの日、はじまったのかもしれない。


 そんな楽しい時間も日が暮れて来ると終わりを迎える。

 でも片岡君は不要なゲーム機をプレゼントしてくれるとのことで、次の日曜にまた来てくれることになった。


 その日までドキドキが止まらなかったのは、知らないゲーム機を分解できるワクワクによるものか、それとも片岡君とまた話が出来ることが嬉しかったからなのか、この時の私はまだ分かっていなかった。




 片岡君はそれから何回もうちの工場にやってきた。

 そしてその度に、日が暮れるまで私とお話して帰って行く。


「わぁ、このゲーム機分解してみたかったんだ!」

「今日も見てて良い?」

「もちろん!」


 愛用の工具を手に、私は早速工場の端で分解を始める。


「川澄さんは、こういう基盤とか自分で作ったりするの?」

「ううん、そういうのはさっぱり。うちはそっち系じゃないからね」


 昔ながらの工場だからデジタルじゃなくてアナログ的な機械が中心だ。


「でも私、はんだは出来るよ」

「そうなの?」


 中学生になったらお父さんが教えてくれたんだ。

 その年ならこのくらいは出来るようになっても良いだろうって。


「良くお父さんが許してくれたね。危ないから絶対ダメだ!なんて言いそうなのに」

「あはは、だって教わったのって中学生だよ。片岡君だって学校で習ったでしょ」

「あ~技術家庭か」

「そそ」


 女子は強制で家庭だったけどね。

 女子だって技術の方やりたい人がいるはずなのに!


「俺苦手だったなぁ。全面はんだまみれにしちゃって」

「嘘!」

「嘘」

「もう!」

「あはは、ごめんごめん。でも苦手なのは本当だったよ。つい沢山溶かしちゃって、隣にくっついちゃうんだよ」

「それは下手っぴだ」

「ほうほう、そういうことを仰るのですか。それではお聞きします。川澄さんの家庭科の成績は?」

「う゛っ……人には向き不向きがあるよね」

「そうそう」

「「あははは」」


 こんな感じでずっと盛り上がっていた。

 私が好きで好きでたまらなかったはずの機械の分解も中途半端で、片岡君との話の方に夢中になっていた。


 ずっとこんな日々が続けば良いのに。


 ってあれ、それってつまり片岡君とけっこ……


 ち、違う、そうじゃない!


 でも否定したら片岡君に失礼だよね。


 でも、そうだけどそうじゃなくてっ!


 あれ、私、どうしちゃったんだろう。


 突然の動揺も、片岡君との話があまりにも楽しくて、いつの間にか消えていた。


――――――――


 私の片岡君への不確かな想いが再度浮上したのは、妹のしおりが片岡君に初めて会った時の事だ。


 栞は私とは違って社交的で、休日は遅くまで遊びに出かけていたから会う機会が無かった。


 機械や工場が嫌いで、それらが好きな私もあまり好きでは無いのか生意気な態度で接して来るから、そんな私を見られたくなくて、片岡君には合わせたくはなかった。


「あれ、誰か来てんの……って男!?」

「こ、こんにちは」


 いやいやいや、栞、それは流石にダメだよ。

 男って、失礼にも程があるよ。

 それに、お姉ちゃんが男子と話をするのがそんなに変かな?


 ……うん、変だよね。

 男子どころか女子の友達もいないもんね。


「マジか。こんな油くさいので良いの?」

「コラ!栞!」

「いやだってマジで女としてありえないっしょ」


 片岡君になんてことを!

 女としてありえ……なくはないよね?


 あれ、なんで私そんなこと気にしてるんだろう。

 片岡君はそういうの気にしないで接してくれる人なのに。


「おう、良い香りだぜ」

「片岡君!?」

「うへ~物好きだねぇ」


 な、な、な、何言ってるのかな。

 私と良く話をしているから、油の香りに慣れたってことだよね。


 そうそう。

 きっとそう。


「まぁ、その、なんだ、お姉。これが最後のチャンスだから絶対に逃がさないことね」

「栞!」

「おっと怖い怖い。じゃね、お姉のこと、よろしくね」


 うう~栞ったら。

 片岡君に失礼な事ばかり言って!


 ……あれ、失礼なこと言われたのは私だけか。


 後でたっぷり叱らないと。


 だって『絶対に逃さないでね』って、まるで私が片岡君の好きみた……い……


 え、え、だからそうじゃないって。


 片岡君は仲の良い友達なの!


「ご、ごめんなさい。妹が失礼な事言って」

「あはは、気にしないで」

「……」

「……」


 うう~片岡君何か言ってよ。

 き、きまずい。


 ってあれ、片岡君も少し照れてる?

 まさか片岡君、私の事を?


 な、なーんてね。

 そんなことあるわけないでしょ。


 こんな機械オタクで油くさい女なんて誰も貰ってくれないよ。

 あぅ、妹と同じこと言ってる……


「妹さんは川澄さんとは雰囲気が違うんですね」


 ほら、やっぱり片岡君は何も気にしてなかった。


 ふぅ~私ったら何を勘違いしそうになってるんだか。


 ちょっと仲が良いからってすぐ勘違いするんだから。


 ……………………………………片岡君の馬鹿。


 あれ、私なんで?


 もし、片岡君が今告白して来たら、私はどう答えたんだろう。


 私にとって片岡君は……何なんだろう?


 その答えは、すぐに分かることになった。


――――――――


「それでお姉は彼氏とどこまで進んだの?」

「し、栞!?」


 家族で夕飯を食べている時、いきなり栞が爆弾発言をした。


「私も気になるわ」

「お母さん!?」


 お父さんも味噌汁飲みながらチラチラと私を見て気にしている。


「だから片岡君は彼氏じゃないって」


 栞は私の答えが全くお気に召さなかったようだ。


「はぁ……ホント、馬鹿なんだから。マジのマジで大マジで言うけど、マジで逃したら後は無いと思った方が良いよ。ぜっっっっっっっっっったいに、あんな人にはもう会えないから」

「そうよ菫、あなたは私と似てて見た目は良いんだから、もっとちゃんと着飾ってアピールしなさい。それこそ、色仕掛けしてでも強引にゲットするのよ!」


 酷い言われようだ。

 お父さんも何故か頷いてるし。


 それに、い、い、色仕掛けだなんて。

 私が片岡君とあんなことやこんなことを……!?


「こりゃダメだ」

「今の時代、ここまで奥手なのは天然記念物レベルよ。誰のせいでこんな風に育ってしまったんだか」


 お父さんは気まずげにお母さんから視線を逸らした。

 べ、別にお父さんは悪くないもん。

 私は機械が恋人で幸せだった・・・もん。


「まぁ何かあったら相談くらいは乗ってあげるよ」


 栞はそう言って立ち上がり、部屋に戻ろうとした。


「あぁ栞、ちょっと待って」

「何?」


「今日は大事な話があるのよ」


 空気が変わった。


 栞は椅子に座り、目を瞑った。

 私の顔も、少し緊張していると思う。


 そんな私達の様子を見ていたお父さんが、口を開いて言いかけて止めるのを何度か繰り返してから、一言だけ告げた。


「工場を畳むことにした」


 子供というのは、親の反応に敏感だ。

 私も栞も、そろそろこうなるのではと予想していた。


 小さい頃、お母さんは『うちはいつ潰れてもおかしくないから、ちゃんと勉強して良い学校に行って良い会社に勤めて稼いでくるんだよ』なんて冗談交じりで話していた。

 お父さんも『お前達が成人するまでは保たせて見せる』なんて経営が苦しい事を認めていた。


 でも最近は二人ともその手の話を一切口にしなくなった。

 その癖、仕事は殆ど無くて、工場の機械がメンテナンス以外で動く日は殆ど無い。


 成人まで工場が保たないことは確信していた。


 栞は工場も機械も嫌いだからあまり気にしないかもしれない。

 問題は私だ。

 工場が好きすぎる私がショックで立ち直れないのではと、お父さんもお母さんも不安だったのだろう。


 実際、二人は栞ではなくて私の方を気にしている。


「だと思ってた」


 だから私も端的に返した。


 気付いていて、心の準備は出来ていたから大丈夫だよと。

 涙も流さず、少しだけ寂しげな表情で苦笑することで、それを表現した。


「そうか」


 お父さんは私が本心でそう思っているのかどうか、訝しんでいるのかな。

 こちらを見透かそうとする目で見つめてくる。


 ふふふ、そんな目で見ても変わらないよ。

 本当にこれは本心だから。


 むしろ、辛いのはお父さんだよね。

 お祖父ちゃんから引き継いで、人生の全てをこの工場と共に過ごしてきて、それが途絶えてしまうのだから。

 私なんかよりもよっぽど辛い筈だ。


 工場が無くなる寂しさよりも、今後のお父さんへの心配の方が大きかった。




 実際、お父さんは目に見えて元気が無くなった。

 機械のメンテナンスもお金がかかるので止めてやることが無くなったお父さんは、何をすることも無くぼぅっと工場の中を眺めていた。

 その背中があまりにも小さくて、このまま工場と共に無くなってしまうのではと不安に駆られた。


 そしてある日、お父さんが居なくなった。


「お母さん!お父さんは!?」

「慌ててどうしたの?」

「お父さんが居ないから!」

「お父さんなら、出かけてるのよ。ほら、工場を畳むって言っても、処分するのにもお金がかかるじゃない。だから貰ってくれるところが無いか、知り合いの所に話に言ってるの」

「なんだ、そうだったんだ……」


 毎日同じ場所で工場の中を見ていたから、そこに居ないのを見て変なことを考えちゃった。

 そうか、工場が無くなるってことは、あの機械も無くなっちゃうってことなんだよね……

 小さい頃からずっと見て来たから、やっぱり少し寂しいな。


「お父さん、貰ってくれるとこは見つかった?」


 その日の夕食の時にお父さんに話を聞いてみた。


「ダメだ。何処もうちと同じだった」


 仕事が無い機械を引き取っても、メンテナンスの費用が嵩むだけだ。

 どこの町工場もうちと似たり寄ったりで経営が苦しく、そんな余裕は無いのだと断られたらしい。


「最近は鉄も高く売れるそうだから、最悪そっちだな」


 鉄くずになるのはなんか嫌だ。

 でもそうするしかないのかな。


 それに少しでもお金が入って来るなら、仕方のないことかもしれない。


 ってあれ……お金?


 工場が無くなって大丈夫なのかな。

 お母さんがパートで働いているけど、それだけじゃ絶対足りないよね。


「ねぇお父さん。仕事が無くなって、お金は大丈夫なの?」

「お前はそんなことは気にしなくて良い」


 聞いてみたけど、絶対に答えてくれ無さそうだ。


 私は高校生一年生で、妹は中学生三年生。

 これから先の二人分の進学費用を考えるとお金はかなりかかるはず。


 流石に妹の高校受験は大丈夫だろうけど、その後は厳しいかもしれない。


 でも、もしも私が大学に行かないで働けば、家計が楽になるんじゃないのかな。

 元々大学に行かないでうちの工場で働くことも考えていたから、そのことを切り出すには丁度良いタイミングかも知れない。


「お父さん、私、高校を卒業したら大学に行かないで働くよ」

「なに?」

「ほら、お父さんが色々と教えてくれたから、新人を雇う余裕があるちょっと大きめの工場なら雇ってくれるかもしれないし」

「……」

「それに、私が働けばうちも少しは楽になるでしょ。私は好きなことを仕事に出来て、うちも助かる。どう、いいでしょ」


 私はこれが最高のアイデアだと信じていた。

 誰も傷つかず、みんなが幸せになれると思って有頂天になり、家族の様子を全く見ずに話をしてしまっていた。


 後になって思った。

 私は学校で友達と話をしてこなかったから、場の空気を読む力が育ってなかったんだなって。


「この馬鹿野郎が!」

「っ!?」


 私が言い終えたタイミングで、お父さんは味噌汁のお椀を壁に思いっきりぶつけて激怒した。

 褒められはしても、怒られるとは思っていなかった私は、予想外のことに体が硬直する。


「技術も能力もねぇ何処の誰かも分からねぇ小娘なんかを雇うところがあるわけねーだろうが!お前程度がやっていけるほど甘い世界じゃねーんだ!くだらねぇこと言ってないで真面目に勉強しろ!」


 お父さんは私達にはとても甘くて、怒る事なんてほとんどない。

 本気で怒鳴られたのは、私が小さい頃に不用意に稼働している機械に近づいてしまった時くらいだ。


 そのお父さんが激昂している。

 たまらずお母さんを見ると、お母さんも厳しい目で私を見ていた。


 呆然とする私を放置して、お父さんは部屋を出て行った。

 お母さんは、無言でお父さんが投げてしまった味噌汁を片付けている。


「お姉は本当に大馬鹿だね。そんな風に恩を売られても、全く嬉しくない」


 そして栞は、低い声でそれだけを私に告げると、部屋に戻った。

 それ以来、栞は私に口を聞いてくれなくなった。


 その後、いつ部屋に戻ったのかもわからず、気付いたらベッドの上で横になっていた。

 自分の何が悪かったかが、分からない。


 私は自分が犠牲になろうなんて思っていなかった。

 ただ、自分も家族も幸せになる道があると、本気で思っていたし、今でも間違っているとは思えない。


 ただ、お父さんが言ってたように、考え方が甘かったのはそうなのかもしれない、とも思った。

 ただでさえ、男の世界だ。

 大学で技術や資格を身に着けて有用性をアピール出来なければダメかもしれないとは薄々思っていた。


 でも、それならそれで、普通にそう諭してくれれば良かったのに。

 なんであそこまで怒られたのだろうか。


「喉、乾いたな」


 私は部屋を出ると、足音を立てずにキッチンへと向かった。

 お父さんやお母さんに会うのが気まずかったからだ。


 居間が明るいから、二人はそっちにいるのかな。

 微かにだけれども、何かを話しているのが聞こえた。


 私のことについて話をしているのだろうか。

 ダメな娘だと、まだ怒っているのだろうか。


 聞きたくないけれど、でもやはり気になってしまう。


 私は扉の隙間から、そっと居間の中を覗いた。


 そして自分の愚かさを知った。




 お父さんは泣いていた。




 あのいつも仏頂面で、娘と一緒の時だけは僅かに顔を綻ばせるお父さんが。

 お母さんに肩を支えられ、崩れ落ちたような格好で、歯を食いしばって号泣していた。


「あいつにあんなことを言わせるなんて、俺はなんてダメな父親なんだ!」


 私は……なんてことを。

 なんて酷いことを言ってしまったんだろう。


 お父さんもお母さんも私達のためにこれまで必死になって働いて来た。

 私はそれを間近でずっと見ていたはずなのに。


 それなのに、私は信じてあげられなかった。

 娘をまともに大学に通わせてあげられないなんて貴方達は親として失格ですよ、って言ったようなものだった。

 それも、他ならぬ愛する娘から、親としてダメ出しされてしまったのだ。


 部屋に戻った私は、自分の愚かさを悔いて一晩中泣き続けた。




 翌日、家に居づらくて、少し外の空気でも吸おうとシャッターを開けたら、片岡君がいた。


「こんな朝早くにどうしたの?」

「ああ、ええと、その、気になって」


 私が家族とケンカしたから?

 何で知ってるの?


 ……って違うか、工場のことか。

 そりゃあそうだよね。

 私ってホント馬鹿だなぁ。


「ねぇ川澄さん、ちょっと話さない?」

「うん、いいよ。中に入って」

「あ~うん、それもいいけどさ。せっかくだから河原に行こうよ」

「河原?何で?」

「青春っぽいじゃん」

「何よそれ。変なの~」

「変じゃないよ。そういうものなんだ」

「そうなの?」


 私が知らないだけで、世間一般の学生はそういうものなのだろうか。


 釈然としないまま、私は片岡君と河原に向かい、土手の上で一緒に川を眺めた。


「知られちゃったんだ」


 いずれ知られるとは思っていたけど、結構早かったな。

 地域に根差した工場だからこそ、ご近所さんとの付き合いは深く、こういう話がすぐに広まるのは知っている。


 もしかして、この話を聞いて心配して飛んできてくれたのかな。

 だとすると嬉しい。


「そっか、無くなっちゃうんだ……」

「え~なんで片岡君が寂しそうに言うのさ~」

「そりゃあ短い間だったけど、川澄さんと楽しくお話出来た想い出の場所だもん」

「そ、そっか……」


 私にとってもそうだよ。

 と、いつものように軽く返せば良かったのに、どうしてか照れくさくて言えなかった。


「それより川澄さんが心配かな」


 片岡君が私を心配する気持ちが伝わってくるたびに、体の奥がジンと熱くなる。

 とても心地良い火照りが、体を巡り出す。


 ずっとその感覚に身を委ねていたいけれども、このまま心配させ続けるのは申し訳ない。

 工場のことは大丈夫だって伝えて安心させないと。


「ありがとう。ちょっと寂しいけど大丈夫だよ。小さい頃から潰れるかもしれないってずっと言われてたから」


 私が強がっている可能性を考えているのかもしれない。

 片岡君の表情からは、まだ心配の色が残っている。


「ごめんね、心配かけちゃって」

「あ~うん、大丈夫ならそれで良いんだ」


 片岡君と一緒に居るだけなのに元気が出てくる。

 彼が私の事を心配してくれると、落ち込んだ心が癒されていく。


 来てくれてありがとう。


 このまま落ち込んでちゃダメだよね。


 ちゃんと家族と向き合おう。


 片岡君から元気をもらった私は、家に戻って早速お父さんとお母さんとお話をした。


「昨日はごめんなさい」

「ああ」


 二人はすでにいつも通りだった。

 傷ついたのは自分達なのに、私が怒られたことを気に病まないようにと、自然に接してくれている。


 もちろんこれでわだかまりが解消されたわけではない。

 私はそれだけのことを言ってしまったのだ。


 お父さんとお母さんとは、時間をかけて仲直りしようと思う。


 問題は、栞だ。


 あれからずっと口を聞いてくれないけれども、どうすれば許してもらえるだろうか。


 友達とケンカすらしたことが無いから分からない。


「片岡君に聞けば教えてくれるかな」


 それともこれは自分で考えなければならないことなのだろうか。

 それすらも分からない。


 そういえば、片岡君は私が家族とケンカしたことを聞いた時、反応が変だったよね。

 いつもは私が欲しい言葉をすぐにかけてくれたのに、無言に近かった。


 もしかして、私のあまりの酷さに幻滅しちゃったのかな。

 私、嫌われちゃったかな。


 そんなの嫌。

 片岡君に嫌われたくない。


 片岡君。

 片岡君。

 片岡君。


 ああ、そうか。


 私は今になって気付いたのだった。


 彼の事がこんなにも好きだったのだと。


――――――――


 片岡君への想いを自覚したけど、次に会った時にどんな顔をすれば良いのだろうか。

 栞はどうすれば許してくれるだろうか。

 お父さんとお母さんに何をしてあげられるだろうか。


 いくつもの悩みが重なって混乱状態だった私は、その混乱が更に深まる事態に陥った。

 登校したら机の中に奇妙な手紙が入っていたのだ。


『大事なお話がありますので、後日川澄さんのクラスに伺います』


 差出人は 真田さなだ優臣まさおみ


「(何で王子様が?)」


 成績優秀、容姿端麗、スポーツ万能、性格良しでお金持ちの息子と、世間知らずな私からみてもやりすぎなのが分かる程の同級生。

 当然、女子からの人気は絶大で、彼が校庭でサッカーなどをやっているところを女子達がきゃぁきゃぁ騒ぎながら見ているのを私は知っている。

 深窓の令嬢だから、窓から見えるのです。


 王子様と呼ばれる彼は、私とは何も面識が無い筈だ。

 こんな手紙を受け取る理由が思いつかない。


 その理由を知ったのは、その日、家に帰ってからだった。


「あれ、シャッターが開いてる?」


 閉鎖が決まってから閉まりっぱなしだったシャッターが開いていたのだ。

 しかも機械が動く音がする。


「お父さん?」

「菫か。おかえり」

「ただいま。どうしたの?メンテなんかして」


 お父さんは機械をメンテナンスしていた。

 その表情は、仕事が無い時に仕方なくやっていた時の寂し気な感じとは違い、英気溢れるものだった。


「仕事だ」

「え?」


 お父さんはそれしか言わなかった。

 でもそれだけで分かった。

 最後の最後で仕事が一個入って来たんだね。


 工場を閉める前にもう一仕事出来るから、喜んでるんだろう。


 と、軽く思っていたが、全然違っていた。

 家に入ると、お母さんが詳しく説明してくれたんだ。


「大型出資があった?」

「そうなのよ。それもお金だけじゃないのよ。仕事も沢山くれることになったの」

「それじゃあ!」

「うちの工場はこの先十数年は安泰ね」

「良かったぁ」


 本当に良かった。

 この工場がまだまだ続くなんて、最高の出来事だよ。

 お父さんに元気が出たのはそういうことだったんだね。


「これで安心して菫を大学に行かせてやることができるわ」

「お母さん、ごめんって」

「ダメよ、数年は弄るからね」


 いじわる。

 そりゃあ私が悪いんだけどさぁ。


 でも意地悪なのはお母さんだけじゃなかった。


「これで安心して菫を大学に行かせてやれるな」

「お父さんまで!」


 夕飯時、普段は冗談を言わないお父さんまで、陽気にそんなことを言ってきたのだ。

 栞は相変わらず私と話をせずに黙々とご飯を食べているけれども、少しばかり嬉しそうだ。


 工場や機械が嫌いだとかって言ってたけど、やっぱり無くなる方が嫌だったんだね。


「本当に、良かった」


 お父さんは普段はほとんど飲まないお酒を口にして、しみじみと呟いた。

 うん、本当に良かったよ。


 ふと、妹が質問した。


「そういえば、うちなんかに出資する酔狂な会社って何処?」

「もう、栞ったら、恩人になんてことを言うの」

「はっはっはっ、酔狂に違いねぇさ」

「お父さんまで」


 私も気になる。

 聞いても分からないけど、どこの誰だろう。


 まさか騙されてないよね?


「聞いて驚くな。あのSSRなんだよ」

「SSR?」

「おいおい、勉強不足だぞ」


 今日のお父さんは饒舌だ。

 色々と教えてくれた。


 サスティナブルソーシャルレボリューション。

 その頭文字をとってSSR。


 十年ほど前に起業したIT企業で、革新的な新事業を次々と打ち出して瞬く間に大企業に肩を並べる程に成長したモンスター企業。

 その会社の社長が今日の昼にうちにやってきて、お父さんのことを大絶賛した上で出資を約束してくれたそうだ。

 あまりの好条件で胡散臭かったため、お母さんが念のため本社に連絡して、それが本当だと判明した。


「いやぁ~真田さんは見る目があるな」

「真田?」

「社長さんのことよ」


 ふ~ん、王子様と同じ名字なんだ。

 奇遇だね。


「そういえば、真田さんのお子さんが菫と同じ高校に通ってるらしいんだけど知ってる?」

「え!?」


 そんな偶然ある!?


 って普通に考えたら偶然じゃないよね。


 あの手紙の『大事な話』ってのはこのことだったんだ!


 ちゃんとお礼を言わないと。


 夕飯が終わりお風呂に入った後、お父さんが優しい目で工場内を見つめているのを目撃した。


 あの喪失感に苛まれていた背中をもう見なくて良いんだ。


 あの騒がしくて活気のある日々が戻って来る。


 良かった。

 これで何も心配事が無くなったね。




 ううん、一つだけ気になることがあった。




 部屋に戻った私は、真田君から貰った手紙を眺めていた。


 なんで真田君のお父さんは、うちの工場に出資して仕事までくれたんだろうか。


 そもそも、そんなすごい会社の社長さんが、どうやってうちのことを知ったんだろうか。


 繋がりがあるとすれば……


「私?」


 社長の息子が私と同じ高校に通っている。

 関係があるとすればそれくらいだ。


 じゃあもしかして、真田君がお父さんに何か言ったのかな?

 なんでそんなことを?

 私は真田君と会ったことすら無いよ?


 可能性があるとすれば。


「深窓の令嬢……」


 私は自分がどのように呼ばれているのかを知っている。

 単に窓の外を眺めているだけではそうは呼ばれない。

 つまり私は『令嬢』と呼ばれるにふさわしい見た目なのだろう。


 それは母や妹の容姿を見れば納得出来るものであったし、自分でも理解していた。

 普段はつなぎ姿だから台無しだけれども、制服姿や着飾った姿であればモテるかもしれないとも思ったことはある。


 真田君がそんな私のことを気に入ったとしたら。

 そして私がその想いに答えなかったとしたら。


「出資が取りやめに……なる?」


 大喜びしていたお父さん。

 そんなお父さんを見て泣きそうになる程嬉しそうだったお母さん。

 そんな二人を見てまんざらでもなさそうだった栞。


 家族のあの眩しい程の笑顔が、失われてしまう?


 そんなのは嫌だ!

 絶対に嫌だ!


 もう家族が苦しむ姿なんて、見たくない。


 王子様に嫌われるわけには行かない。

 王子様を繋ぎ止めなければならない。


 それがどういう意味か、分からない程私は馬鹿ではない。 


 片岡君……


 私は人知れず、涙で枕を濡らした。


――――――――


 翌日、真田君が私のクラスにやってきた。


「川澄さん、少し話をしても良いかな」


 きた。


 第一印象は重要だ。


 真田君が私の事を気になっているのなら、私も真田君の事を気になっている風に演じた方が喜んでくれるはずだ。


「う、うん……」


 こ、こんな感じで良いのかな。

 露骨だったりしないかな。

 好きな人のことを話している女子がこんな態度だったと思うから真似してみたんだけど。


「ここだと人の目が多いから移動しようか」

「は、はい!」


 う~ん、良く分からないや。

 流石王子様、露骨に狼狽えたり訝しんだりはしないんだね。


 とりあえず喜んでいる風の演技をしてついていくことにする。


 片岡君の方は見れなかった。


「家の方は大丈夫?」


 二人っきりになると真田君は早速家のことについて聞いて来た。


「真田君のおかげで助かりました」

「勝手なことをしてごめんね」

「そんなことないです!嬉しかったです!」


 これは本当のことだから、本心で言えた。


「でも、どうして助けてくれたんですか?」

「君の助けになりたかったからさ」


 あ、う、え、ええと。

 て、照れる演技しなくちゃ。


 卑怯だよ、こんなこと言われて落ちない女の子いないでしょ!

 私を除いて、だけど。


「これからも仲良くしてくれると嬉しいな」


 この日の話はそれで終わりだった。


 それからというものの、真田君は毎日のように私に会いにやってきた。


 私は毎回演技するのが大変だったけれども、相手が真田君では無くて片岡君だと思ったら自然にふるまえることが出来た。


 片岡君と真田君の二人を裏切っている行為だ。

 でも、私はそうでもしなければ、今の状況が耐えられなかった。


 少し不思議なのは、真田君は決して私に直接的なアプローチをしてこなかったこと。

 話の内容は恋愛とは関係ない当たり障りのない事ばかりで、強いて言えば私の家の話を良く聞きたがるくらい。

 進展しないことが嬉しくはあるけれど違和感があった。


 もちろん、手を出されたら出されたで困るけれども。


 そんなある日、真田君から休みの日にデートに誘われた。


 休日は毎週片岡君が来てくれていたけれども、私が真田君と話をするようになってから来なくなった。

 当然だよね、彼氏がいる女の子の家になんて行けるはずがないもん。


 胸が痛い。

 でも、こうしないと工場が……


 デートにあたって、一つ困ったことがあった。

 私はデート用の服なんて持ってなかったし、知識も無かった。


 頼れるのは栞だけ。


 全力でお願いした。

 必死で謝り倒した。


 そうしたら、相談に乗ってくれて、一緒にデート用の服を買いに行ってくれた。


 妹はデートの相手が片岡君だと思い込んでいるだろう。

 もし真田君が相手だなんて知れたら、それこそ一生口を聞いてもらえないだろう。


 でも、やるしかないんだ。


 好きな人も、家族も裏切って、私は、それでも……




 デートはつつがなく進行した。

 気合を入れたコーデを真田君は褒めてくれたが、それだけだった。

 少し露出が多めだけど全く動揺しなかったのはやはり彼が紳士だからなんだろう。


 栞に『これなら絶対押し倒されるから』なんて言われて不安だったけど何も無くて助かった。

 これだけのことをしておいて、まだ真田君に捧げる踏ん切りがついてないからだ。


 おしゃれなカフェで食事をして、そのまま雑談して、最後に散歩をするだけの簡単なデート。


「最後に少し河原を歩こうよ」

「河原?」


 河原への妙な拘りに、片岡君を思い出して少し笑ってしまった。


「ようやく笑ってくれたね」

「え?」


 おかしいなぁ。

 私、結構楽しそうにしてたんだと思うけど。


 そんな事を考えていたら、大ピンチが訪れた。


 真田君と河原を歩いていると、向こうから片岡君がやってきちゃった。


 嫌、片岡君にこんな姿見られたくない!


 でも狭い土手の上。

 気付かずにすれ違うなんて無理な事。


 目が合ってしまった。


「こ、こんにちは」

「う、うん、こんにちは」


 うう、なんでよりによってこんな姿を見られるの。

 真田君に媚を売っているような露出の多いコーデでデートしている姿なんて、片岡君にだけは見られたくなかったのに!


 これが、みんなを裏切った私への罰なのかな。


「川澄さんのお知り合いですか?」

「うん、クラスメイトの片岡君」


 真田君が食いついて来た。

 やっぱり好きな人が別の男子と挨拶してたら気になるものなのかな。


 片岡君は私から目を逸らし、真田君に向き合った。


「せっかくのデートの邪魔をしてしまいごめんなさい」


 胸が痛い。

 片岡君から、これがデートだと見られている。

 私が真田君と付き合っているのだと思われている。

 私が真田君を好きなんだとも思われているかもしれない。


 真田君に嫌われないためにも、ここは片岡君の言葉を否定してはいけない。

 それなのに、反射的に出てしまった。


「え、違」

「いやいや、俺はクラスメイトと話をするのを咎める程、小さな男じゃないよ。少しばかり妬けちゃうけどね」


 その言葉は、偶然にも真田君の言葉でかき消されてくれた。

 もし真田君に聞かれていたら、まるで私が真田君とのデートを嫌がっていると受け取られてもおかしくない。


 私は痛い程思い知らされた。


 もう、片岡君と話をすることすら出来ないのだと。


 あの楽しくて幸せな日々は、もう戻ってこないのだと。


 それは自分が選択肢したことなのだと分かっていたのに、とても寂しくて辛かった。


 片岡君はそれから、私と目を会わせることも無く立ち去った。


 私と真田君は、それを少しばかり見送ってから、歩くのを再開した。


 真田君は無言だった。


 何か怒らせることをやってしまったのかな。

 私が何かを言いかけたの、聞こえてたのかな。


 これまで我慢してきたことが無駄になってしまったらどうしよう。

 色々な人を裏切ってまで真田君の気を引こうと頑張って来たのに、失敗してしまったらどうしよう。


 もしそうなれば、全てが失われる。

 家族は仕事を失い、私は皆から責められる、絶望の未来が待っている。


 デートの最後、そんな不安に駆られていた私に、真田君は予想外の言葉を投げかけた。


「俺は思うんだ。きっと川澄さんは、ううん、君達・・は素直になった方が良いって」

「え?」

「ふふふ、青春だね」


 どういうこと?


 素直になった方が良いって、もしかして私の気持ちが偽りだって気付いていたってこと?

 でもそうだとして、何で怒らないの?

 青春ってどういうこと?


 それに、君達って?


 分からないことだらけだ。

 結局私は、何をどうしたらよいの?


 誰か教えて!


 片岡君を好きな気持ちを裏切って、真田君に思いを寄せる振りをした。

 それは家族を守るため。

 それなのに、真田君は私の心が別にあると知っても怒らなかった。


 どうして?

 真田君は、私の事が好きだから、家族を助けてくれたんじゃないの?

 もし違うなら、私はどうすれば良いの?


 私にその答えを教えてくれたのは。


 他ならぬ、私が守ろうとしていた『家族』だった。


――――――――


「最近あの子が来てないが、どうしたんだ」


 ある晩、お父さんが私にそんなことを聞いて来た。

 毎週のように片岡君が来てたのに、パタリと来なくなったから気になっていたのかな。


「うちが色々とあったから、気を使ってくれてたみたい」


 私はとっさに嘘をついた。

 むしろ彼は私を心配していの一番に来てくれた。


「でも仲良くやってるんでしょ。この前もデートしたみたいだし。そういえば、どうなったか教えてもらってないなぁ」


 栞はもう機嫌が良くなったのか、にやけて私を揶揄ってくる。


「べ、別に何も無いから」

「え~本当かなぁ」


 これは本当だ。

 片岡君だけじゃなくて、真田君とも何も進展は無かった。


 むしろゼロになったとも言えるかもしれない。


「そうか、向こうが良ければまた連れて来なさい」

「う、うん」


 向こうが良くなることは、もう二度と無いのだろう。

 私が彼に会う資格など、もう無いのだから。


 これで話は終わりかな。

 そう思ったけれども、お父さんが突然真面目な顔になって箸をおいた。


「菫、何があった」


 低い声だった。

 ここしばらくは、工場の継続が決まって浮かれていたような声だったから、特にギャップがあった。


 その豹変っぷりに、お母さんと栞も息を呑んだ。


「別に何も無いよ?」


 我ながらうまく言えたと思う。

 特に返事に詰まることも無く、突然何を言い出しているの?っていう雰囲気を出せたと思う。


 だけど、お父さんは誤魔化せなかった。


「お前は都合が悪いことを隠そうとするとき、いつもまばたきをしなくなる」

「え?」


 そんな癖があったの?

 ううん、もしかしたらカマをかけられているのかもしれない。

 騙されちゃダメ。


「そんなことないよ。考えすぎだって」


 そう、これで良い。

 あくまでも何でもない風を装うんだ。


「そして、どうしても言えない事であればある程、そうやって適当にあしらおうとする」

「……」

「親はな、お前達が思っている以上に、子供の事を良く見ているんだよ」

「……」


 何も言えなかった。

 何もかも見透かされているようで、誤魔化せる気がしなかった。


 でも、それでも、言えない。

 言えるわけが無いよ。


「菫、何があった」


 黙って俯いてしまう。

 これでは、何かがあったと言っているようなものだ。


「俺達に知られたら困ることか?」


 私はどうすれば良いか分からず、歯を食いしばって俯くだけ。

 疑われた時点で、もう絶望的に詰んでいた。


「なぁ菫。お前は、俺達の事が嫌いなのか?」

「そんなことない!大好きだよ!」


 それだけは間違いない。

 お父さんもお母さんも栞も大好きな家族だ。


 だから絶対に悲しませたくなかった。

 あの笑顔を守りたかった。


 ただ、それだけだったんだよ。


「俺達も菫の事が好きだ。愛している」

「……」

「だから、菫が苦しんでいるのを放っておけないんだよ」


 止めて!

 そんな風に優しい言葉をかけないで。

 普段の寡黙なお父さんでいてよ。


 そんなこと言われたって困る。

 もう少しだけ待っててくれれば良かったのに。

 私が本当に真田君を好きになれば、何も問題は無くなるから。


 だから、放っておいて!


「そこまで頑なに言わないという事は余程のことだな。菫がそれだけ悩むのは………………工場のことか」


 本当に、親って凄いんだね。

 私の事なんて何でもお見通しだ。


「菫。俺達はお前に笑っていて欲しいんだ。そのためなら、例えばこの工場が無くなろうが、どうってことない」

「え?」

「家族以上に大切なものなんて、ない」

「……………………あ」


 私はなんて大馬鹿なんだろう。


 家族以上に大切なものなんて、ない。


 そんなことは分かっていたはずなのに。


 みんなを悲しませたくないって強く思っていたのに。




 自分が家族からどう思われているのかを、考えてなかった。




 ううん、考える事から逃げてたのかもしれない。


 片岡君を選んで工場への出資が取りやめになったら、家族の幸せを壊しておいて、自分だけが幸せを求める卑怯者になるって思い込んでいたから。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさいっ!!」


 私は止まらない涙を流し、全てを告白した。




「まったく、どうしてこんな馬鹿娘に育ってしまったんだか」

「あなたの教育が悪かったんじゃないの?」

「おいおい、俺のせいにするなよ」


 全ての話を聞き終えたお父さんは、怒らなかった。


 一度だけ大きくて深いため息を吐いただけ。


 前みたいに激怒されるかと思っていたので、拍子抜けだった。


「あの゛……怒ら゛ないの?」


 まだ少し涙声なのは許して欲しいな。


「怒らないさ。だって菫は、後悔して反省しているじゃないか」


 後悔も反省もどれだけしてもし足りない。

 今だって土下座したい気持ちで一杯なくらいだ。


「だから俺が言いたいことは事は一つだけだ」


 お父さんって、こんなに優しい笑みを浮かべられる人だったんだ。

 知ってたはずなのに、知らなかったよ。




「幸せになれ、菫」




 それが私の涙腺に、止めを刺した。




 とまぁ、それで終わってハッピーエンド、とはいかなかったのだけれども。


 お父さんとお母さんは許してくれたけれども、最大の難関が待ち受けていたのだ。


「そうそう、怒らなかったのはもう一つ理由があるぞ」


 長い間泣き続けて、ようやく泣き止んだ私に、お父さんはにやりと笑って言った。


「誰よりも怒りたいやつがいるからな。そいつに任せることにするさ」

「え?」


 お父さんの視線の先には……栞がいた。


「話は終わった?」


 あの、笑顔が超怖いんだけど。


「歯を食いしばってね、お姉」


 え、まさか。


 パーン!


 私は吹き飛んだ。


 比喩じゃない。


 椅子から転げ落ちる程の威力だったのだ。


 痛いなんてもんじゃないんだけど!


 左頬が超痛い。


 別の意味で涙が出て来た。


 でもどうやらお怒りはそれでは収まらなかったようで、栞は私の胸元を思いっきり掴んで睨んだのだ。


「私が何のためにお姉の相談に乗ったと思ってるの!」


 うん、そりゃ怒るよね。


 私はそれから長時間ずっと栞に詰られ続けられたのである。




 家族へ全てゲロって、たっぷりと愛の鞭を受けた後、私は河原にやってきた。

 流石に色々とありすぎて、心を休ませたかったからだ。


 でも、神様はよっぽど私に罰を与えたいようだった。


 そんな休み時間などくれなかったのだ。


 もう日が暮れて遅い時間。


 流石に会うことは無いと思っていた人が、傍に来てしまったのだ。


「こんなところで何をしてるんだ?」

「……青春、かな」


 片岡君の好みに合わせた冗談だったんだけど、あながち間違っていないと思う。

 工場のいざこざはともかく、片岡君や真田君との関係は青春と言えるはず。


「それなら昼の方がお勧めだぞ。一番は夕方」

「色々あるんだね」

「おうよ、青春は奥が深いからな」


 それならまた今度、教えて欲しいな。

 そう言えたら良かったのに。


「聞いたよ。工場、続けられるんだってな」

「……うん、真田君が助けてくれた」

「そっか、あいつに感謝しないとな」

「……うん」


 片岡君の口から、真田君の名前が出てくる。

 それがとても苦しい。


 片岡君は、間違いなく私と真田君が付き合っていると思っているはずだ。

 好きな人に他の人と付き合っていると思われるなんて、自業自得と言っても酷い罰だ。


「……」

「……」


 沈黙が気持ち悪い。

 いつもは片岡君と一緒に居るだけで楽しくて幸せな気持ちになったのに、今はそれが心苦しい。


 でも、ここで何もしなかったら、また家族に怒られちゃう。


「もう、うちには来てくれないの?」


 勇気を振り絞って、聞いてみた。


「それは…………マズイだろ」

「……そっか……うん、そうだよね」


 少しくらいは真田君との仲を疑ってくれたら良いのに。

 彼氏がいるのに別の男の子を家に誘うなんて、ありえないんだよ。


 このまま何もかもを片岡君に告白したら、元の関係に戻れるだろうか。

 真っ暗な川辺を眺めがら、そんなことを考えていたら。


 ふと、気が付いた。


 私は家族の私に対する気持ちを蔑ろにして考えていた。

 それはもしかして、片岡君に対しても同じなのでは……と。


 もし、もしも、片岡君が私とのあの日々を、私と同じように幸せに感じてくれていて、私と同じ想いを抱いていたのなら……




 私の行いは、彼に対する盛大な裏切りとなるのではないか。




 私はようやくそのことに思い至った。


「それじゃあ私、帰るね」

「送っていくよ」

「ううん、大丈夫。じゃあね」


 片岡君に合わせる顔が無くて、私は慌てて家に帰った。


 なお、消沈した顔で家に帰った私を心配した家族に全てを話したのだけれども。


「そんなの当然でしょ」


 むしろ気付いて無かったのか。

 ダメだこの娘は。


 などと罵倒されて更に凹んだのであった。


――――――――


 家族からは自分の蒔いた種なんだから自分でどうにかしなさいと言われた。

 どうすれば良いか分からず困っていたら、真田君に呼び出された。


 突然演技を止めると周りが訝しむと思って、とりあえず今回だけは演技をした。

 嫌われても良いので、本音を全てぶちまけて、もう会わないようにお願いしようとしたのだけれど。


「あの、私本当は真田君のことが」

「知ってるよ」

「え?」


 私が全てを言いきる前に、真田君は答えた。


「川澄さんが本当は誰が好きなのかも知ってる」

「な、なんで?」


 私の演技は完璧だと思ってたのに。

 実際、周りの人は誰も疑ってなかった。


 それなのになんで分かったの?

 しかも私が片岡君を好きなことまで!


「なんでって言うのは、俺のことを好きな演技をしてたことかな。それはまぁなんとなくかな。自分で言うのもなんだけど、俺は告白されることが多くて、その時の彼女達の雰囲気と川澄さんの雰囲気は少し違ったんだ。俺の事を見てないように感じたんだよね」


 それは確かにそうだけど。

 そんなの分かるものなの?


「後、川澄さんって俺の目をあまり見てくれないよね。それも気になってた」


 それは多分、私が片岡君が相手だって意識して恋する女の子っぽく振舞ってたからかな。

 顔を見たら別人なんだって思っちゃうから、無意識に顔をあまり見ないようにしていたんだと思う。


 真田君良く見てたなぁ。


「後、川澄さんが好きな人は、河原を一緒に歩いてた時に出会った彼でしょ。確か片岡君、だったかな」

「な、な、な」

「何で分かったのかって?いやぁ、あれは分からない方がおかしいよ。川澄さん、明らかに動揺してたもん」

「あううう」


 そ、そんなに分かりやすかったかな。

 あの時、片岡君とはほとんど話をしてなかったのに。


 きっと真田君が鋭すぎるんだよ。

 うんうん、そうに違いない。


 ってそうじゃないでしょ。


「ごめんなさい」


 あなたを騙してしまって。

 でもうちへの融資は止めないで、とは流石に恥知らずだったので言えない。

 それは真田君の判断に任せるべきだ。


 両親からもそうすべきだと言われていた。


「気にしないでって言いたいところだけど、それじゃあ一つだけお願いを聞いてもらっても良いかな」

「私に出来る事なら」

「簡単なことだよ。今日の放課後、俺と一緒にある場所に行って欲しいんだ」

「ある場所?」


 そこは河原だった。


 男の子って本当に河原が好きなんだね。


 河原の橋の足の裏。


 彼はそこに私を連れて来た。


「僕が声をかけるまで、しばらくの間ここに隠れて欲しいんだ」

「どうして?」

「それは秘密。後、川澄さんが凄い驚くことが起きるけど、絶対に出てきたり声をあげたらダメだからね」

「え?え?」

「おっと、そろそろ時間かな。それじゃあまた後でね」


 何が何だか良く分からないけれど、それで真田君が納得出来るというのなら、言われた通りにしよう。


 そうして数分その場に立っていたら、確かに驚くことが起きた。


「(片岡君!?)」


 彼がここにやってきたのだった。


 橋の足を挟んで反対側。


 どうやらそこで片岡君と真田君が会話をしている。


『こんなところに呼び出して、何の用だい?』


 片岡君が真田君を呼び出したってことなのかな。


 一体何の用なんだろう。


 話を聞いているうちに、私は逃げ出したくなった。


 だってこの話の目的って、私なんだもん!


『でもな、川澄さんにとって機械を弄ることは決して他には代えられない幸せなんだ。なくしてはならない大切なものなんだ。それを変えろというのは、絶対に間違っている!』


 わああああ!

 片岡君にそんなこと言って貰えるなんて!


『彼女を幸せに出来ないなら、彼女に近づくな!』


 わああああ!

 格好良い!


『お前は彼女の家を救えるが、彼女を真に分かってやることは出来ない』

『……』

『俺は彼女の家を救えないが、彼女を真に分かってやることが出来る』

『お互いにどちらかしか出来ないのなら、条件は同じだ。だったらお前にはやらねぇ!』


 こんなにも想われていたなんて、知らなかった。

 こんなにも想わていたなら、酷い裏切りだと思われてもおかしく無いのに、それでも片岡君は私の幸せを想って行動してくれている。


 どうしよう、嬉しすぎて卒倒しそう。

 今すぐに飛び出して、全てを捧げてしまいたい。


『なら、こういうのはどうかな』


 ってなんで戦おうとしてるのー!?


『なるほど、そういうのは嫌いじゃないよ』


 なんで真田君も受けようとしてるの!?


 ダメだよ。

 ケンカは絶対ダメ。


 私はそんなことされても嬉しくないよ。

 止めなきゃ。


 真田君、流石にこれは見過ごせないからね!


『なんちゃって』

「(え?)」


 飛び出そうと思った瞬間、真田君が戦闘態勢を解いた。

 そしてこっちに向かって来た。


「さぁ、川澄さん」


 もしかしたら、これも真田君の作戦だったのかな。


 もしも私が片岡君の想いを知って動揺したままだったら、あまりにも照れくさくて出られなかったかもしれない。

 でもこうして少し予想外のことをして驚かせたことで、私が片岡君の前に出る心の余裕を作ってくれたのかもしれない。


 結局私は感情を抑えきれずに暴走して、片岡君の胸に飛び込んで全ての想いをぶちまけちゃったんだけれど。


――――――――


 それからの日々は、『幸せ』以外には言い表せないものだった。


 片岡……圭君は、また休みの日にうちに来るようになった。

 工場に沢山の仕事が来て、人を雇わなければ回らない程になっていた。


 お父さんは、今までとは違って饒舌になった。

 というか、ちょっと恥ずかしいくらいに私と話をしたがるようになった。


 例えば少し前に、私はこんなことを言われた。


 俺にとって一番大切なものはお前達だ。


 確かに工場は俺にとって人生そのものだったかもしれない。

 閉鎖すると決めた時は、身を引き裂かれるような思いをしたのは事実だ。


 だが、そんなことはお前達の幸せに比べたら些細な事なんだ。


 それを信じて欲しい。


 お前たちが幸せになるのなら、俺は喜んで泥水だって啜ってやる。


 うん、その、嬉しいけど、流石に恥ずかしいよ。


 お父さんってこんなキャラだったのって不思議に思ったけど。


 「お母さんとしては見慣れてるんだけどね」


 なんて言ってたから、私達の前では猫を被っていたのかもしれない。


 栞とはまだ仲直りしてないというか、仲直りのための約束を果たしている最中というか……


「でね、菫さん。今度優臣と一緒に遊ぼうと思うんだ」

「え、あ、何?」

「どうしたの?」

「ごめんね。ちょっと考え事しちゃって」


 危ない危ない。

 あの事を考えているなんて知られたら、恥ずかしくて死んじゃう。


 せっかくの片岡君とのデートなのに、はしたないなんて思われたくない。

 まぁ、思われても仕方ない程に露出がアレな服になってるんだけど……


 ううう、栞めー


「大丈夫?」

「本当に何でもないから。ええと、それより、その、真田君のことだっけ?びっくりしたよ、まさか栞が好きだなんてね」

「だよな。俺も最初聞いたときはマジでびっくりしたぜ」

「でもそれでやっと納得したよ。もっと早く言ってくれれば良かったのにね」

「同じ男として、とりあえずフォローしておく。そう言ってやるなって」

「むぅ、彼女よりも友情を取るの?」

「あいつとは河原で殴り合った仲だからな」

「殴ってないでしょ」

「いいんだって、フリだけでも」

「「青春だから」」

「「あははは」」


 こうしてまた圭君と笑い合える日が来るなんて思わなかった。

 それに工場もつぶれることが無くなった。


 私の馬鹿な行為で、どっちも失うかもしれなかったのに、まさかこんなにも最高のハッピーエンドになるなんて。


 もう私は間違えないからね。


 自分の気持ちだけじゃなくて、相手の気持ちも考えて行動出来るようになる。

 言葉で言うのは簡単だけど、これまで人付き合いを軽視してきた私にはきっと難しい事。

 だから恋人だけじゃなくて、友達も沢山作って一杯勉強するんだ。


「ところで、その、菫さん」

「なぁに?」


 河原の土手を歩いていると、ふと、圭君が歩みを止めた。

 何か言い辛そうにしているけど何だろう。


「その、今日は何時ごろまで大丈夫?」

「!!」


 あ、ああ、ついにその質問が来ちゃった。

 あううう、ど、どうしよう。

 や、やっぱり、ここで引き下がっちゃダメだよね、栞。


『はいこれ』

『え?これって!』

『お姉を許す条件は、これを使ってくること』

『そんな!無理だよ!』

『もし襲われずに返ってきたら、一生許さないから』


 お父さんとお母さんも、今日帰ってきたら家に入れてやらない、なんて言ってくるし。

 うわああああん。


「そ、その、いつまでも、大丈夫、かな」

「あ……お、おう」


 これも河原で定番の青春、なのかな?

 絶対違うよね!?


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