第3話 VS走る絶対殺す概念

「え?」


 目を開けるとそこには背中があった。粒子となって消えていくエフェクトの光の柱の跡に立つ、筋骨隆々とした逞しい小麦色の背中。誰かがトロッコを押し止めていた。


「――誰?」


 そこに立っていたのは半裸の男だった。下半身に毛皮の腰巻だけという野性味溢れる格好をした、がっしりとした体つきの中背の男。軽トラサイズのトロッコを腕から背中に脚までパンパンに膨らんだ筋肉で押し止めているこの男が、俺の声に反応してぼさぼさ団子髪をした頭をこちらに向ける。土色の耳飾りが揺れて頬まで伸び散らかした髭とともに露わになったのは、深い彫りに太い眉をした精悍な顔だった。その顔は強く優しい光を宿したまなざしで俺の顔を見据え、俺を安心させるように厚い唇に笑みを作りながら言葉を発した。


「螟ァ荳亥、ォ縺具シ?」


 ごめん、ちょっとなに言ってるかわかんない。


「縺薙%縺ッ菫コ縺ォ莉サ縺帙m」


 未知の言語だった。英語とか中国語とかではない。前世はグローバル時代を生きた俺であったが、それにしても聞いた覚えのない言語だった。何の英霊だ? 外見はパッと見だとスタンダードな原始人概念ファッションのワイルドガイであるが、人を見た目だけで判断するのは早計だとその姿をよく観察する。そこで俺は彼の足元に転がっているものの存在に気づいた。


「土器」


 そう土器だ。しかも縄文だ。それも火焔型だ。「芸術は爆発だ」で有名な、かの岡本太郎をして絶賛せしめた火焔型縄文土器だ。縄文時代中期(前3700~前2600年頃)に流行した縄文時代を代表する大型縄文土器だ。


「まさか……縄文人?」


 英霊を召喚したとして、そこで招かれるのは俺が知っている人間だけとは限らないだろう。そして人間は文字が発明される前から存在していた。文字のない先史時代の縄文人が英霊として召喚されても不思議なことはなにもない。きっとそうだ、彼は縄文時代を代表するすごい男なのだ。きっと縄文時代のスーパーヒーローなんだ! 現に突っ込んできた暴走トロッコを生身の身体で押し止めるという超人的行為で俺を助けてくれたじゃないか! そこでシャイニングしてるだけのジャック・ニコルソンとは違う、縄文人さん、あなたこそ俺のヒーローだ! 


「た、助けて頂いて、ありがとうございます!」


 半泣きで発せられた俺の感謝の言葉に、しかし縄文人さんは答えられない。彼はトロッコを押し止めるのに意識を集中しているからだ。全身の筋肉を震わせて踏ん張る縄文人さんを押し潰すように、トロッコは排煙を噴き上げながらギリギリと圧力を掛けてくる。なんだこのトロッコ、見た目は茶色い箱の滑走式トロッコ概念をそのまま軽トラサイズに立体化しただけの造形なのに、排煙を上げるということは発動機を積んだ自走式なのか? そう思っている間にトロッコの両サイドが開き、そこから何かが地面に下りた。


「は?」


 それは無限軌道キャタピラだった。ゴリゴリと地面を削りだしたキャタピラは、重機よろしく縄文人さんにさらなる圧力を掛けてくる。なんなんだこのトロッコ! 殺意マシマシの走る絶対殺す概念じゃねぇか!! 糞神ファッキンゴッド!!!!


「縺薙�縺上i縺�〒……」


「――縄文人さん!」


 トロッコの圧倒的無慈悲な機械力にじりじりと押される縄文人さん。くそっ! こんな殺意と悪意の塊トロッコなんかに屈しないで縄文人さん! 負けるな縄文人さん! フレーフレー縄文人さん! 俺は少しでも彼の助けになるようその背中を押した。大した力にならないのはわかっている。しかしこれは意味があるかどうかの問題じゃない。尊厳の問題だ。俺はここでそこのジャック・ニコルソンのような傍観者ではなく、この背中を押す人間でなくちゃいけないんだっ!!


「負けるなぁぁぁぁぁぁ!!」


「菫コ縺ッ雋�縺代↑縺�!!」


 膨れ上がった縄文人さんの筋肉がさらに膨らむ。触れている背中が熱くなり、真っ赤に染まった縄文人さんの肌から汗が白い蒸気のように噴き上がる。火傷しそうなほどの熱さだが、俺は手を離さずにその背中を押し続ける。そして、ここでトロッコの車体が少し浮いた。


「いっけぇぇぇぇぇっ!!」


「繝輔ぃ繧、繝井ク逋コ!!」


 縄文人さんの渾身の力でトロッコが空高く持ち上げられる。足掻くようにキャタピラを空転させるトロッコを掲げ上げてヘラクレスの彫像のようにそびえ立った縄文人さんは、全身を躍動させて殺意と悪意の塊トロッコを線路の外へと投げ捨てる。


「おお……」


 地響きを上げて地面に倒れ伏すトロッコ。それを見届ける縄文人さんの真っ赤な背中と筋肉。俺は感動した。縄文人さんすごい。筋肉はすべてを解決する。筋肉はパワーだ。パワー縄文人さんだ。パワー縄文人さん万歳!


「蜷帙′閭御クュ繧呈款縺励※縺上l縺溘♀縺九£縺�繧�」


 爆発するトロッコを背に振り返るパワー縄文人さんが、そう言って俺にニッコリと人懐こい笑顔で微笑みかける。ズキュン。あかん、惚れてまうやん、こんなん。


「あなたのおかげで助かりました。ありがとうございます」


 差し出した俺の手を握ってくれたパワー縄文人さんは、その手を高々と一緒に空へと突き上げた。


「蜍昴▲縺溘◇!!!!」


「おおぉおぉっ!!!!」


 2人で勝利の雄叫びを上げる。俺たちは勝ったのだ。この悪意溢れるトロッコ問題の逆境から。隣の線路の5人も喜びの声を上げている。ジャック・ニコルソンも笑っている。勝った。俺たちはトロッコ問題の悪意に勝ったのだ。

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