第2話:謎の少女
木々生い茂る森の中。
小動物の足音や小鳥の鳴き声に混じって、一定のリズムで奏でられる金属音がどこからともなく響いていた。
「ハァッ……ハァッ…………フッ!」
それは少し高さのある土の壁に
入口から僅かに入り込む外の光だけが頼りの、浅く薄暗い洞窟でその音を鳴らしていたのは、鉱石採取が生業の炭鉱夫—――ではなく、剣を握った少年だった。
「フゥッ!……ハァ、ハァ……」
ひたすらに剣を振り、石の台座に置かれた黒い球体を何度も切り付ける。しかし顔ほどの大きさのあるそれは微動だにしない。茶色の髪から汗が滴り、大きな青い瞳に入り込む。細身でも引き締まった筋肉が伺える腕でそれを拭って、この日何度目かも分からない祈りを込めた一振りを繰り出す。
「フッ!───……ッハァ……ハァ……フゥ……。もう日暮れか……。今日はここまでかな」
彼がここに通い始めてから十年。何の変哲もない小さな
「この剣もそろそろ限界だな……。刃こぼれしないように工夫しないと」
少年は替えの服、包帯など忘れ物の無いようにカバンに詰めて洞窟を後にした。腰のポーチに付けている、小さな花の形をしたガラスの髪飾りをきつく握りしめて、枝の間に見える橙色に染まった空を見上げる。
「もっと強くなって……必ず助け出すから」
それからふぅと息をつき、木々生い茂る森の中をスイスイと歩き始めた。普通なら村まで二時間以上かかる道も、今の彼にかかれば三十分だ。すっかり慣れた帰り道。何度も経験した夕方の森の雰囲気—――のはずだった。
「……気のせいかな」
この日は何かが違った。
少年は数分歩いたところで違和感に気付き、自然と足を止める。
「妙に静かだ……。いつもならもう少し森の音が聞こえるはずなのに」
言い知れない胸騒ぎにせっつかれるように剣を構え、周囲に集中して目を閉じる。
すっかり馴染んだこの森で、ここまでの警戒をするのは久しぶりだった。
「一体何が───ッ!」
刹那、真後ろに枝葉の不自然な揺らぎを感じ、素早く向きを変えて臨戦態勢をとった。植物の影から何がどのタイミングで来ようとも、迎え撃てるようにと意識するにつれ、
(魔物じゃない!人……?いや、それにしては気配が野性的すぎる!───……あれ?)
そこで初めて、彼は手足が震えていることに気が付いた。慌てて膝をバシバシと叩いたが、まるで自分の身体では無いかのように、言う事を聞かないのだ。
「なっ、なんだよ!……グッ!止まれ!止まれって!……くそっ!なんで……!」
生い茂る草木を押しのけ、踏みしめ、それは近づいてきている。
もう
(くっ……来る!もうダメだ!)
その正体も、姿の一部すら見たくないと思うほどの恐怖が、津波のように押し寄せる。気が付けば彼は襲い来る感情を抑えきれずに、ぎゅっと目をつむったまま、音のする方向へ子供のように切っ先を振り下ろし、全力で叫んでいた。
「うわあああああああああああッ!!」
「どわああ!うるせーな!急にでっけー声出すんじゃねえよ!」
「───……って、え?」
魔物など比にならない―――邪神か何かが飛び出して無残に殺されるのではないかと思っていた。しかし現実に聞こえてきたのは可愛らしい女の子の声。強ばる身体をなんとか落ち着かせ、少年は恐る恐る目を開けた。
「ったくよー。気が付いたらこんな格好でぶっ倒れてるし……動物は群がってくるわ花に突っ込んで粉まみれになるわ……洗っても取れねーし最悪だ!」
―――『有り得ない事なんて、見た事がないからそう思うだけ』
彼は物心いた頃村にやってきた、胡散臭い旅人がそう言っていたのを思い出していた。たった今その有り得ない事のひとつが、確かに自分の中から消え失せたからだ。それくらい信じられない光景だった。
深くないとはいえここは森の中。不用意に立ち入れば命を落とすというのはこの世界では常識だ。
「なぁ。ところでお前、ニンゲンだよな?いやあ俺はついさっき目が覚めたばっかりでよお……ここ、どこだ?お前の名前は?」
だというのに目の前には、村はもちろん王都でも見たことがないくらいの美人な女の子が───びしょ濡れの全裸で立っているのだから。
「あ……え……?」
「なあってば。聞こえてねーのか?」
上手く言葉が出てこない。
(なんて綺麗な子なんだ……—――ッは!?)
と、彼はそこで正気を取り戻した。
「───っ!と、とにかくまず服着てよ!」
「見りゃ分かんだろ?持ってねえよ」
「はぁ!?……ッああもう!じゃあ僕のを貸してあげるからさっさと着て!目のやり場に困るんだよ!」
「なに怒ってんだ?ってうおい!投げてよこすな!」
少年は何かを振り払うように乱暴な手つきでカバンをあさり、予備の着替えを投げつけるしかなかった。
………………
…………
……
「おっしゃあ!これでオッケーだな!」
「あんまりオッケーじゃないけど……。まぁさっきよりマシかな……」
少女は上半身に巻いた包帯を脇腹あたりでぎゅっと結んだ。彼に渡されたシャツの着心地がどうにも良くなかったので、いろいろ試行錯誤した結果、サラシを巻くことになったのだ。下は男物の短パンで、靴は履いていない。およそ森を歩く格好ではないが、彼女は「動きやすいからこれでいい」と満足していた。
「もうすぐ森が荒れてくるから一緒に村に向かおう。……ほんとに裸足で大丈夫?やっぱり僕のを履いた方がいいよ。僕は慣れてるから」
「優しいなーお前。でも気持ちだけで十分だ。ここまで素っ裸で来たわけだし!」
「素っぱッ……!わ、分かったよ!じゃあ、着いてきてッ。遅くなる前に帰らないとみんな心配するからね」
少年は慣れた様子で歩いていく。時々後ろを振り返っては少女の様子を伺って、足元を踏み固め、
「…………なあ、お前の名前はー?」
「えっ?ああ……。レガリオだよ。レガリオ・アストーノ。君は?」
「俺はまぁ……ハンドレッドって呼ばれてんだけど……。これは名前っつうかなんつーか……」
「ハンドレッド……?なんか面白い名前だね」
「え!?変なのか!?」
「そんなにショック受けなくても……。ご、ごめんね!僕が悪かったよ。生まれた場所にもよるし、人それぞれだよね」
「いや、うーん……。そうか…………俺の名前……」
少女は歩きながらうんうんと頭を悩ませ始め、しばらく呻いていた。ようやく何かを思いついたように表情をパッと明るくしたかと思うと、レガリオに言った。
「よし!レガリオ。俺の名前、お前が決めてくれ」
「えぇ!?なんで!?ていうか変えちゃっていいの!?」
「いいよいいよ。この呼び名に愛着もねえんだ。記号みたいなもんだったしな」
「えぇ……そんな滅茶苦茶な……」
「こう……直感でバシッと決めちゃってくれ!何でもいいから!」
そこまで言うならと呟きつつ、レガリオは考える。誰かに名前を付けるなど、将来結婚して子供が出来た時とか、漠然とした未来の出来事と思っていた。まさかこんな突然にその機会がやってくるとは。
「うーん……そうだなあ…………」
やがて二人の足音の他には鳥のさえずりと、そよ風が木々の葉を撫でるだけとなった頃、レガリオは遠慮がちに口を開いた。
「じゃあ…………—――『レッド』っていうのはどう?」
「…………レッド?」
「その、ハンドレッドっていうのも誰かに呼ばれてたものなら、ちょっとぐらい親しみはあるでしょ?そこから取ったのもあるし……ほら、君の目が赤色だから」
「赤い目のニンゲンは珍しいのか?」
「いるにはいるけど……ここまで綺麗な色は見たことも聞いたことも無いよ。とっても印象的なんだ。そんな君がレッドって名前なら絶対忘れない。……どうかな?」
レガリオはチラリと、彼女の顔を見た。別に何を失うわけでもないが、それなりに考えた名前がもし気に入られなかったらと思うと、当たり前に傷つきそうな気がしたからだ。
しかしそんな心配をよそに、彼が振り返った時少女はその整った顔をにやりと緩ませ、笑っていた。
「良いじゃねーか。レッドにしよう!」
「…………提案しといてなんだけどさ。そんなにあっさり決めていいの?」
さっき会ったばかりでお互いのことを何も知らない者同士だ。そんな自分が考えた名前で本当にいいのか―――レガリオの顔はそう言いたげだった。だが当の本人は、彼の疑問を吹き飛ばすような明るい笑顔で答える。
「もちろんいいぞ!レガリオがいい奴だってのは分かったし、お前が決めてくれた名前なら大歓迎だ」
「っ!……そ、そっか!君が喜んでくれるなら、それでいいよ!」
前に向き直ったレガリオの頬は、夕日に照らされただけでは説明がつかないくらいに紅潮していた。不自然な顔色の変化をレッドに悟られないように、彼は無意識に歩くペースを上げたのだった。
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