第6話:世界の仕組み

四人中三人が表面上なごやかに振る舞う、いびつな雰囲気での夕食を済ませた頃、メリルが「そうでした」と口を開いた。


「ところでレッドさん。今夜はこのままうちにお泊りするという事でよろしかったですか?」

「それなんだけど……メリルさん。僕と同じように食べ物の調達とか、村の手伝いをする条件でここに置いてあげられないかな。レッドは魔法の事から何も知らないみたいだし、いろいろ教えてあげないと……」


平原で話し合った通り、この宿に身を置かせてもらえるよう、用意していた理由と共にレガリオが交渉する。


「そうなんだよメリル。記憶が戻るまでの間だけでいいんだ。お願いしま―――」

「もちろんいいですよ!私も同じことを言おうとしてましたから!」


しかしレッドが頭を下げきるよりも前に、拍子抜けするほどあっさりとその問題は解決してしまった。


「—――す…………え、いいのか!?」

「むしろ記憶も無くして何も分からない人から代金なんて頂けませんから、そんな条件なんて出さなくても無償で―――」

「い、いやッ!それはダメだ!手伝いだけはやらせてくれ!」

「そ、そうですか……?そこまでおっしゃるのでしたら……じゃあ、お願いしちゃいますね?」


流石に事情を誤魔化している上にそこまで甘えるわけにはいかず、レッドはメリルの申し出を断固として拒否した。


「部屋は……そうですね、シスリーさんの隣が空いてますから、そちらでどうですか?」

「いや、部屋はシスリーと同じで頼む。魔法の話とか聞きたいしな」

「…………はっ!?あんた何言ってんのッ!?」

「ええ?それは……もちろん私は、お二人がいいなら問題は無いんですが……シスリーさんは大丈夫なんですか?」

「えっ!?いや…………そ、そうね……あたしもそれで……別に……」


断りづらい展開に呑まれ、シスリーがそう口を滑らせてしまったことで、彼女はレッドとの相部屋が決定したのだった。


―――その後、「おやすみなさい」の挨拶を済ませると、メリルは明日の準備のために厨房に消え、三人は階段を上って部屋へ向かう。廊下を挟んで向かい合わせに扉が三つずつ、計六部屋の宿泊部屋がある。足早に右の奥の部屋へ入っていくレガリオを見届け、ドアが閉められたのを確認した途端、それまでの作り笑いを一切やめたシスリーが自室の扉を開けながらレッドを睨む。


「…………早く入って」

「おう、ありがとな」


レッドは軽く礼を言いながら入室した。

いたって普通のベッド、窓に向かった机と椅子、クローゼット、姿見、これと言って珍しい物のない質素な部屋。強いて言うなら備え付けの本棚が難しそうな本でぎっしり埋まっていて、机の上に細かい文字と図形が書き込まれた用紙が何枚も散らばっていることか。

そうして見渡すレッドがドアの閉まる音に振り返った時、仁王立ちするシスリーが額にくっきりと血管を浮かび上がらせているのが見えた。


「あんたねえ!なんであたしとあんたが相部屋なのよッ!!話はするって言ったけど、寝る場所まで同じ部屋なんておかしいわよねぇッ!?」

「しょーがねーだろ!こっちは泊めてもらってるんだし俺とお前で二部屋も使ってられるかよ」

「それはそうかもしれないけど……。いや違う違う!ハンドレッドと違ってあたしはちゃんとお金を払って住んで―――ってちょっと!勝手にそこ座らないで!あたしのベッドでしょうがッ!そっちの椅子に座りなさいよ!」

「今の俺はハンドレッドじゃねぇ!レッドだッ!この名前気に入ってんだから間違えんなよな!」


いがみ合う二人は、一応音量には気を付けつつも騒がしく言い争う。

レッドにとって、シスリーという存在は腐れ縁以外の何物でもなかった。波長が合わないのかルーツの中で何度も衝突しており、居合わせれば互いに顔をしかめるような間柄あいだがらだ。

―――しかしそれと同時に、魔力に対するレッドの訴えを頭ごなしに否定しなかった数少ない存在でもある。なんだかんだと、無碍にはできない。


「はぁ……。それで?あんたはいつこの世界に来たの?」

「ついさっき。ありゃ今日の昼とかだな。お前は?」

「あたしも大差ないわ。ここでいう十六年前ね。まあ人間にとっては結構な時間みたいだけど」


ため息交じりに椅子に座ったシスリーは、思い出すように詳しい説明をつけ足していく。


「気が付いたらロヴィ平原……すぐそこの草原で倒れてたの。それからバダロン王都に入り込んで数年間過ごして、いろいろあって牢屋に入れられそうになったから逃げ出して……それ以来ここのお世話になってるのよ」

「なんだよいろいろって」

「いろいろよッ!この容姿は面倒ごとに巻き込まれやすいの!滅茶苦茶目立つのよどうやらねッ!十六年で全く変化もしないから村のおばちゃんにも激しく聞かれたわ。『若返りの魔法があるのかい!?』って」

「なんか知らねーけど大変だったみてーだな」

「他人事みたいに言うけどあんたもそのうち分かるわ。あたしよりその……胸もあるし」


何故か忌々し気な口調で死んだ目をしたシスリーがどんよりと自分の胸に視線を落とす。その心情は今のレッドには知る由も無いのであった。


「ところでよー。お前はあの時ヴィシアディアスで何があったか分かったりしねえのか?」

「……はぁ。やっぱりあんたも分からないのね。てっきりあんたが腹いせに大暴れして何もかも壊したのかと思ってたけど」

「あのなあ……いくら俺でもそんなことするはずねーだろ」

「はいはい冗談よ。あれだけ魔力に反対してたあんたがこんな世界を作り出すわけないもの……—――あ、そうだ」


途中で何かを思い出したシスリーは椅子からおもむろに立ち上がると、レッドに背を向けて本棚に向かった。何冊かの本を手に取って選びながら彼女はさらりと告げる。


「あたしたち以外のルーツのメンバー。ほとんど消滅したわよ」

「ほーん。……………—――って、は?」


脳が理解することを拒んだためか、レッドは実に間抜けな反応をしてしまった。


「ちょちょちょっと待て!消滅ってなんだ!?みんなもうどこにもいねーってことか!?」


ルーツが消滅というのはどう考えても起こりえない。誰か一人でも欠けるという事は、全ての根本であるヴィシアディアスが崩壊して、この世界も存在できないはずだからだ。


「ハン……レッドが怒っていなくなった後、何人かを除いてまだルーツのほぼ全員があの場所にいたの。そしてほどなくしてヴィシアディアスの崩壊……というより再編ね。に巻き込まれて粒子化が始まった。あんたもそうでしょ?」

「ああそうだ……俺もブワーッて消えかけたけどこの体でこうしてここにいるんだぜ?みんな同じじゃねーのか?」

「同じじゃない。存在が保てたのは魔力にルーツだけ」

「魔力に……喰われる?どういうことだよ。なんでそこで魔力が出てくんだ?」


唐突な展開にレッドの理解が及んでいない事を受けて、シスリーはさらに細かく話を噛み砕いていく。


「あたしたちルーツは確かに、一人一人がヴィシアディアスの均衡を維持するのに必要不可欠な存在だった。でも魔力っていう新しい概念が誕生したことで、ヴィシアディアスに必要なくなったルーツが出てきたのよ。魔力で替えが効いてしまうの。つまり……魔力で存在ごと塗りつぶされたって感じ?」

「俺やお前は塗りつぶされなかったからここにいるってことか?」

「…………一概いちがいにそうとも言い切れないわ」


シスリーは一冊の本を机に置いた。魔法学についての小難しいタイトルの下には、『ロキシー・ニーロエイト』と著者名がつづられている。


「あんたがレッドと名前を変えたようにあたしにもこの世界で生きる仮の名前がある。それがロキシー・ニーロエイト。魔法学者ロキシーって言えば結構な有名人なのよ。そのとき顔は仮面で隠してるからロキシーの正体があたしだって知ってる人はいないけどね」

「お前が……魔法学者……?」

「魔法の中には禁忌や伝説なんて評される『超越魔法オーバー・マジック』っていうのがあって、ロキシーが有名なのはその超越魔法オーバー・マジックのいくつかを習得してるからなのよ。—――つまり何が言いたいかって……今のあたしは魔力を持ってるってこと。さっきも見たでしょ?あなたを調べる時に魔法を使ってたのを」


そう言ってシスリーは指先に小さな魔法陣を展開し、弱々しく揺らめく炎を出して見せた。フッと笑ってそれを消し去り肩を竦めるシスリーは、どこか寂しそうだった。


「消えたルーツみたいに存在ごと消滅することが無かっただけで、あたしだって魔力の影響は受けてる。塗りつぶされたんじゃなくて……浸食されたってとこかしら?アッハハハハ」

「あはははじゃねえよ!平気なのかよお前!」

「なに?心配してくれるの?あんたがあたしを?」

「そういうんじゃねえけどよ……ほんとに大丈夫なのか?」

生憎あいにくなんの問題もないわよ。安心しなさい。少なくともこの世界がどんな仕組みで成り立っているのか、あんたに教えてあげられるくらいは元気だから。ほら、こっち来て」

「仕組み……?」


再び椅子に腰かけたシスリーは雑な手招きでレッドを呼びつけ、紙とペンを使って図示を始めた。


「いい?この世界には数多くの国があってそれぞれに国王がいる。王様は全員が対等な立場にいて、『峰王議会』っていう話し合いの場を数年に一度設けるの。より良い世界を作るためってでね」

「名目っていうと?」

「実際は対等かどうかも怪しいし、話し合いという名の腹の探り合いってことよ。よくあることだわ。で、さらにはその議会が世界のトップ集団って訳でもない」

「国王の集まりより偉い奴らがいるってのか」

「そう。『零峰園れいほうえん』という機関が実質、この世界の最高権力」

「れい……ほうえん」

「零峰園は人類史が始まった当初から存在して、人の進化を導いてきたらしいの。これはどうやら一般常識っぽくて……基本的に民衆は零峰園を神様のような存在として崇拝してる。そして彼らが作った『峰騎士団ほうきしだん』と呼ばれる組織が各地に支部を作って治安維持にあたってる。といっても峰騎士は別に神聖なものでは無くて、試験を通れば誰でも所属できる普通の軍隊よ。バダロン王都にも小さな支部があるわ」

「ほーん……そんな奴らがいるのか。零峰園がご立派にこの世界の秩序を保ってくれてんだな」


正しく解釈したつもりだったが、シスリーはかぶりを振って否定した。


「多分そんな単純な組織じゃないわ。それどころかあたしは零峰園こそが全ての元凶だとまで思ってる」

「なんで?全ての元凶って……何の全てだよ」

「学者としての伝手つてで詳しそうな人に聞き込みしてみたんだけど……誰ひとり正確に零峰園がある場所も、主要メンバーの顔も知らないのよ。王都の図書館で探しても一般公開の範囲では、零峰園がいかに素晴らしい存在かを書いてる物だけ。禁制区に侵入しても資料の一つも無かった。零峰園の使いと名乗る末端まったんが世界的な祭事なんかで姿を見せるくらいで、王様は彼ら下っ端にすら頭が上がらない。一国の王がそこまでする相手?」

「まあ確かに……そんなにすげー奴らなら元締めの顔くらい出してくれてもいい気はするな」

「つまり零峰園の高潔さは常識とか風潮とか何となくって理由で根付いてるだけで、調べれば調べるほど闇の深さが見えてくる。だから各国の王は峰騎士がいるのに自国内で騎士を持って自衛することがほとんど。きっと零峰園を手放しで信用してるわけじゃないんだわ」


シスリーは続けてペンを走らせ相関図を細分化していく。


「峰騎士団を結成したことだってそう。世界の治安維持のためなんて言ってるけど……もっと具体的に言うと零峰園を脅かすに対抗するために作られたのよ」

「ある存在?」

「魔法や武器を利用して零峰園の意向に反逆し暴虐の限りを尽くす犯罪者たち―――『崩賊ほうぞく』と呼ばれてるわ」

「崩賊……。街で暴れるチンピラみたいなもんか?」

「世間的には似たような印象かもしれないけれど少し違うわね。彼らには明確な目的がある。そしてレッド……あたしたちにとってはある意味ここからが本題よ」


ペンを置き、立ち上がって窓辺に手を掛けるシスリーは星空を見やる。しかしその視線の先は景色ではなく、もっと遠くにある見えない何かだ。


「崩賊たちの目的は零峰園を探し出す事。そして零峰園のどこかに眠っていると言われる、ある魔法がしるされた一冊の本を奪う事。超越魔法オーバー・マジックのさらに上……使えば全てを思いのままにできるというその魔法の名前が……」


一呼吸して振り返った彼女とレッドの目が合う。


「—――根源魔法ルーツ・マジック、【プラス・ワン】」

「なッ!?……に……?」


とても一度では受け入れられなかった。

レッドは何かの冗談かと思ったが、月明かりに照らされたシスリーの静かな眼差しは、それが真実であると強く物語っていた。


「はぁ!?プラス・ワン!?ってお前……それはあいつらが固執してた……ッ!!」

「ルーツの宿望だった架空領域の名称と同じ。……これが偶然に思える?」

「じゃあ、もしかして……零峰園を創ったやつらってのは……」

「あたしたちの何千年と前にこの世界に来たルーツの誰か……じゃないかしら」

「そいつが……零峰園のボスが……ヴィシアディアスをぶち壊した張本人かもしれねーってことだな!」


にやりと笑ってレッドは拳と掌を合わせた。


「崩賊だの峰騎士団だの……難しいことはよく分かんねーけど、要はそいつらなんか関係なしに、俺は零峰園に隠れてるルーツをぶっとばしゃいいんだ!あの時ヴィシアディアスに何をして、なんでこの世界を作って俺たちを呼びこんだのかはそのあと全部吐かせる!」

「そうね。こんな不便な体にしてくれたお礼も言わなきゃならないし。でも―――」

「よおし!そうと決まれば今すぐ零峰園に殴り込みだぁッ!!」


何か言いたげなシスリーに被せるように、気合を入れたレッドは勢いよく立ち上がり、部屋のドアに一歩目を踏み出した―――が。


「……………………あれ?どうやって零峰園を探せばいいんだ?」

「あ、気づいた?問題はそこよ。探そうにも手がかりが無いし動きようもないわ」

「んぐぅ……ッ」


当然の話だった。それが分かっていたら、知的好奇心旺盛なシスリーがこんなところで立ち止まっているわけがないのだ。


「……くぁ~ダメだ……いろいろ考えすぎて眠くなってきた……。今日はもう寝よ……」

「寝るならメリルさんから毛布でも借りてゆかに―――ってぇッ!あたしのベッドに寝るなって言ってんでしょうが!コラッ!」

「おやすみー」

「無視してんじゃないわよッ!起きなさいッ!起きなさいってばッ!」


そう言っている間にモゾモゾと布団にくるまっていくレッド。ついにシスリーの声は届くことなく、彼女は深い眠りに落ちて行った。


「もう寝ちゃった。相変わらず単純というかなんというか……」


ルーツの時からそうだった。

裏表がなくて、誰に対しても、自分の気持ちにも正直で、存在感があって。

本当にうらやましいと思っていた。


「スー……。スー……—――」


今なら大丈夫。

何を言っても聞こえないし、覚えてない。


「……レッド。お願いだから寝たままで……ね」


彼女の体に触れるか触れないか。

そんな位置に手を置いて、シスリーは眠るレッドに身を寄せた。

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