第3話:生まれ故郷

バシィッ!—―――――……



「うわ~~~~んッ!痛いよおぉ!うぇ~~~~んッ!」


「このバカ!バカ弟!あれほど勝手に村を出たらダメだって言ったじゃない!みんなにどれだけ迷惑かけたと思ってるの!メリルだって心配で泣いてたのよ!」


「まぁまぁ……マリーナちゃん。無事で何よりじゃないか。レガリオも反省してるようだしもうその辺で――――――」


「甘やかさないでくださいファーカーさんっ!日暮れ前に見つかったのは運が良かっただけです!もし森に入ってたりなんかしてたら……!平原だって崩賊ほうぞくがいるかもしれないんですよ!」


「あ、相変わらず怖いなぁ……まだ子供なのにこの迫力とは……」



初めて出た村の外はとっても広くて、寂しくて、怖くて……お姉ちゃんのビンタはとっても痛かった。

でも、ほんとに痛かったのは心の方だった。



「まったくもう……なんで急にいなくなったりしたの!」


「だって……だってッ……!」



お父さんとお母さんはいない。顔も知らない。ただでさえ、小さな村の中で暮らしててお金の余裕なんか無いんだ。一年に一回の特別な日くらい、お姉ちゃんに喜んでほしかった。



「しおれちゃったけど……僕……これ……探してて……」



だから、頑張ってってきたボロボロの花を見せたんだ。



「あんたこれ……『アルチェの花』じゃないッ!?……なんで……」


「アルチェの花だと!?レガリオッ!お前まさかッ……!森に入ったのかッ!」



お姉ちゃんが言ってた。むかし王都の花屋さんに並んでた銀色の花を、もう一度見たいって。夜になると月明かりを反射して、優しく光るんだって。



「ファーカーさんの家で……花の図鑑を読んだんだ……。そしたら……近くの森にも咲いてるって書いてたから……。お姉ちゃんの誕生日に……渡したくて……」


「お前……それで本が見たいって家に……」



いつもそばにいて、僕を守ってくれるお姉ちゃんに恩返しがしたかった。



「僕ね、お姉ちゃんに――――――」


「だからって!もし魔物に襲われてッ……死んじゃったらどうするのよ!」



喜んでくれると思った。ほめてくれると思った。

でも、そこで僕を抱きしめたお姉ちゃんは……

すごく、悲しそうに泣いていた。



「……お姉ちゃん……?」


「もう絶対ッ!誰かのためだからって!危ないことしないって約束してッ!あんたまで……あんたまで居なくなったらッ……」



初めて見るお姉ちゃんの涙。

とっても強くて僕の憧れだったお姉ちゃんは……

ほんとは、いつも僕のために無理して頑張り続けてる、ふつうの女の子なんだってその時分かった。



「たった一人の弟のあんたまでッ……私を置いていなくならないでッ……!お願いだからッ……わたしを一人にしないでッ……」


「…………うん……。ごめんね……お姉ちゃん……—―――――あっ……」



疲れ切った僕はそこで倒れたらしい。

村に着くまでの記憶はあんまりないけど、一つだけはっきり覚えているのは……


夕日の色に光ってるお姉ちゃんの背中におんぶされて、心地よく揺れて見えた帰り道の景色。




………………

…………

……




「—―――――おねえ…………ちゃん……。ごめ…………んん?」


「お?やっと起きたか寝坊助ねぼすけが」


「……え?……あれ……?ねえさん……?」


「いつから俺がお前のねーちゃんになったんだよ。まだ寝てんのか?」



ぼんやりとした意識のままゆっくりと辺りを見回す。不可解なことに、僕は足を動かしていないのに体は前へ前へと移動している。そういえばやけにレッドの後頭部が近い。加えて全身に伝わる優しいぬくもり……。

そこまで認識してようやく意識が覚醒した。自分は今、夜の平原をレッドの背中におぶさって進んでいた。さらに彼女の首を挟む様に前に垂らした手の先には、サラシ越しでもやわらかさが分かる二つの膨らみがあった。



「うわっ!レッド!だ、ダメだよ!降ろして!」


「降ろしてもいいけどよー、お前歩けんのか?」


「え?……あ……」



言われてみれば、まだ体の反応が鈍い。動かせないことは無いが、自力での歩行は時間がかかるだろう。無理して歩いたとしても自分のペースに合わせてもらうというのはかえってレッドに迷惑をかけてしまうと思い、僕はそのまま担がれることを受け入れた。



「そっか……運ばせちゃってごめん……。僕はあの魔物に……—―――――ッ!そうだ!あいつはッ!?あの後どうなったの!?」


「ああ。バッチリ寝かしつけたから安心しろ!」


「寝かせたって……まさか倒したってこと?」


「死んじゃいねーぞ。いつ目が覚めるかは分かんねーけどな」



まるで殺さないように加減したかのような口ぶりだ。でもその表情は冗談を言っているようには見えない。……本気なのだろうか?

どうやってやっつけたのか。

森の中で急ぎ足の自分の速さに裸足でついてこれたのはなぜなのか。

女の子が男の自分を背負って歩いてるのに息切れ一つしてないのはどうしてか。


正直レッドには聞きたいことが山ほどあった。でも僕には今、何よりも先に知りたいことがあった。



「……ねぇレッド。ひとつ聞いていいかな」


「あん?どうした?」


「—―――――これ、どこに向かって歩いてるの?」




………………

…………

……




『バダロン王国』は王都が高い石レンガの防壁に囲まれた堅牢な国だ。

周囲を『ロヴィ平原』に囲まれ、森から十分離れた場所に都市を築いたのが始まりとされている。

少しずつ国土を広げ、平原の大きさや森との距離を考え良きところで防壁を立てる。どこの国も大概はそうやって今の形になっているだろう。

そしてその防壁の外側に身を寄せるように小さな村がいくつも集まるというのも良く見る光景だった。



『トポロ村』



「はぁ……来ない……来ない……。ッやっぱり私、探しに行きます!」


「ダメだメリル!待ちなさい!……大丈夫だ。レガリオを信じてもう少し待て」


「でもっ……いつもよりもう一時間も遅いんです!さっきだって……あの空の爆発を見たでしょう!?何か良くないことが起きてるんです!」


「レガリオは強い!村の誰よりも!分かるだろう?……気持ちはみんな同じだ。それにあいつは約束したじゃないか。必ず帰ってくる」


「ファーカーさん……」



そわそわとレガリオの帰りを待つ宿屋の娘、メリル。腰まで伸びたよく手入れされているブロンドの髪をせわしなく揺らし、いつもおっとりとした顔が今は不安で埋め尽くされている。

彼女が村の外をうかがい始めてもう三十分になる。今にも飛び出しそうな彼女を抑えるため、若くして村長を務めるファーカーが隣に立っていた。彼は年相応に髭を生やし貫禄を醸し出す精悍せいかんな顔で、優しい笑顔を浮かべてメリルの頭をなでる。



「それにな、メリル。お前はあいつにとっての大切な……姉のような存在なんだ。そんなお前が自分のために危険を冒すなんて、あいつは望んでないはずだ。もう少し待っても帰らなかったら俺たちが行く。だから安心しなさい」


「…………はい……」



ファーカーが何とかメリルをなだめているとき、二人のすぐそばに建っている物見やぐらの見張り番が、砂埃すなぼこりを上げながら猛スピードで村に接近する何かの影を発見する。



「なんだありゃ……おい、『遠視レンズ』を」


「あ、ああ」



そう言われてもう一人の男が筒状の魔道具を手渡す。はぐれた魔物の暴走だろうかと、見張りの男たちの間に緊張感が走る。来たるべき緊急事態に備えつつ、恐る恐るレンズを覗いて確認する男の目に飛び込んできたのは……



――――――ドドドドドドドドドドドドッ!!



「うわあああああああああああああッ!速すぎ!飛ばされるッ!飛ばされるーッ!」


「うるせー!お前が急げっつったんたんだろうが!」


「もッ、もうちょっとゆっくり走ってえええええッ!」


「そんな細けえ加減まだできねーんだよ!」


「意味わかんないってばあああああああ!」



裸足のまま人知を超えた速さで走る少女と、両腕を掴まれて吹き飛びそうな体を押さえつけられているレガリオの姿が、そこにはあった。

見張り番は見たものを言語化することに時間を要したが、慌てて下にいるファーカーに報告した。



「フッ!ファーカーさん!レガリオだ!レガリオが半裸の女の子にしがみついてこっちに向かってるッ!」


「ほ、ほんとか!レガリオが――――――ってなんだと?よく分からないぞ!落ち着いて話せ!」


「俺だって分からないですよ!もうそこからでも見えるはずです!」



隣で何やら見張りと情報共有のできていないファーカーの様子にメリルは首をかしげるが、兎にも角にも断片的に耳に入った重要な部分だけを聞き返す。



「ファーカーさん……?レガリオが帰って来たんですか?」


「あ、ああ……そうらしいが……」


「はぁ……よかった……あの子に何かあったら私……」



メリルはほっと胸をなでおろす。彼女には絶対に守り切らねばならない親友との約束があるのだ。爆発しそうだった悩乱の思いが霧散し、少し村の外に進み出てレガリオが来たという方向に視線を向けた。

しかし……。



「—―――――……ふぇ?」



レガリオの姿がそこにあるとばかり彼女は考えていたが、実際に見えた光景はもはやハリケーンの襲来だった。



「止まってッ!もう着くから止まってレッド!」


「よっしゃ任せろお!」



ズザザザザザザザザザアアアァッ……!



地面をえぐりながら急激に速度を落とし、丁度メリルの目の前で停止した女の子。腕を掴まれぐったりと地面に伸びるレガリオ。それ以外の何物でもない状況だが、それをそのまま飲み込むには彼女には人生経験が足りていなかった。



「た……ただいま……メリルさん……」


「よう!俺はレッド!森でぶっ倒れてたところをレガリオに助けてもらったんだ!その前の記憶は無い!」



――――――簡潔に説明されたが、やはりメリルの理解は追い付かなかった。

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