第21話 魔法の発動
「──というわけでマリーが泣いてしまって」
エドは眩しそうに手をかざしながら第一演習場のカーテンを閉めた。途端に部屋が真っ暗になる。
「そりゃ、お前が悪い」
バッサリと言ってのけるエド。手を上げるとシャンデリアに火が灯った。
「こんな初級魔法も使えないのに、進級試験に臨もうとするお前の神経がわからないな。マリー様じゃなくて、それがたとえ俺だとしても自分の心配しろよって言ってると思うぜ」
「いや、僕もそれなりに努力は──」
「それなりにってところが問題なんじゃねえの? お前、進級試験落ちても大丈夫とか思ってないか? 執事の仕事もあるしって。カロリナ様はそれでいいかもしれない、だけどマリー様はお前と一緒に進級したいと思っているんじゃないか?」
「進級したい? 僕と?」
マリーはしゃべれるようになった。魔法も使えるように。僕が隣にいる必要性はないと思うのだが。
「だーもう。お前なんで自分事になるとそんなに鈍いんだ? ただでさえ、カロリナ様に時間をとられ、秘密の任務に時間をとられてんだ。だからマリー様は──」
「……マリーは?」
「いや、なんでもない。それより、弾いてみろよ。ピアノ。そういやお前の演奏あんまり聴いたことないからな」
急かされるままに部屋中央のグランドピアノの前に座らされる。
「何弾けばいい?」
後ろに立ったエドは腕を組んだ。服の上からでもわかる上腕二頭筋の盛り上がり。
「なんでもいい。好きな曲を弾いてみろ」
言われてすぐに浮かんだのは、マリーがよく弾いている『レグンドローブ』だった。僕が暗譜している数少ない曲の一つ。ポタポタと傘に落ちる雨音をそのまま五線譜に垂らしたような軽快でリズミカルな楽しい曲。
背筋を伸ばし、鍵盤に指を置く。肩の力は抜いて軽やかに指が腕が動くように。
第一音から弾けるスタッカティシモで始まり、レガートそしてまたスタッカティシモと繰り返し続いていく。次第に雨だれが鍵盤を覆い尽くし、雷も鳴り響き、最後にはグリッサンドで鍵盤を横に滑らせ一筋の光が射し込む。
が、やはり現象は現れなかった。マリーが弾けば本当に雨が降るのだが。
「やっぱりダメか」
「いや、演奏自体は上出来だ。音色も強弱も、ここが震えたからな」
エドは心臓に向けて親指を立てた。
「なのに、魔法が発動しない。……なあ、ハルト、お前ヴェルヴを使うときは何をイメージしてるんだ?」
水面から物体が浮かび上がるようにマリーの音が蘇った。
「ヴェルヴを使うときは、今まで聴いた演奏を思い出している」
いや、思い出しているというよりも改めて再現していると言った方が近いかもしれない。
「水球を創りたいときはマリーの演奏を。火の壁を発現させたければカロリナというように。エドの演奏も土の足場をつくるときに使わせてもらった」
「なんだよ。足場ごときに俺の演奏使ったのか?」
エドはわざとらしく肩をすくめた。
「けど、逆にすごいと思うぞ、それ。ちゃんと思い通りの現象が起こっているってことは、頭の中で鳴らした演奏の再現度がほぼ完璧だということだ。そんなことができるやつはこの学院でもほとんどいないんじゃ──そうか。もしかしたら……」
「もしかしたら、なんだよ?」
「今の曲、今度はマリー様の音をイメージしながら弾いてみろ」
マリーの音。変幻自在なまさに水のようなその豊かな演奏。
「イメージしたところで真似ることはできない。わかってるだろ? ヴェルヴはイメージが直接魔法を形作るが、音楽魔法はイメージと同時に正確な演奏技術が求められるんだ。僕が発する音は──」
マリーよりも格段に劣っている。僕の音では、現象は発動し得ない。
「いいからやってみろよ」
ふっとエドは軽く笑った。
「俺だって最初からきちんとした音が出たわけじゃないんだ。まっ、才能はもちろんあったが、これでも長年努力してきたんだぜ? 貴族連中を見返すためにな」
「あとは、女の子にモテるためだろ?」
「それは当たり前だ。男はモテるために生きてるんだからな」
エドの戯れ言を聞き流すと、鍵盤の上に改めて十指を置いた。随分と肩の力が抜けた気がする。
「エド、お前、いい教師になれるよ」
「イヤだね。俺がなりたいのは一流の魔法使いだ」
前に、マリーともそんな会話をしたことがある。まだ言葉が出せないときの。そう言えば、結局あの楽譜のイタズラ書きは誰がやったのかわかっていなかったな。……まあ、いい。
マリーの言葉が浮かび、マリーの顔が浮かび、そしてマリーの音がハッキリと浮かんだ。その音を大事に包み込むように最初の一音を弾く。途端に半透明の碧色が目の前に現れた。
音に促されるように、マリーの演奏に負けないように必死に鍵盤を弾く。気が付けば最後の一音を弾き終わっていた。感情に思考が追い付いてこない。
後ろから弾けるような拍手が起こった。口をポカンと開けたまま振り向くと、例によってドヤ顔のエドの顔があった。
「な? 魔法できたじゃねえか」
「ああ」
それは魔法と呼べるほどの現象ではなかった。指の動きに合わせて頭上から水が滴り落ちるだけの単純な。けれど、まだ濡れたままの髪の毛は確かにこの指で創り出したもの。
「どうした? 感動のあまりに言葉も出ないか?」
「いや、何か変な感じがして」
なんだろう。何かわからない。だが、頭の中で描いたマリーの姿を追っているときに、何か別の物が見えた気がした。これは……記憶……?
「しかし、これだと試験はパスできないよな。もう日にちはないし、時間があればうまくすればもしかしたらっていう可能性はあるかもしれないが」
エドは片手を高く掲げると小さな風を起こした。ドライヤーの要領で髪の毛が乾いていく。便利なもんだ。
「大丈夫だ。俺に秘策がある! 今からちょっと話つけてくるから、お前はマリー様と仲直りしとけよ! いいか、絶対だぞ!」
「あっ、ちょ……」
止める間もなく走り出したエドに驚く声が廊下から聞こえた。ここは宮殿だからあぶねーだろ。
などと突っ込んでいる場合じゃない。どうやってマリーに接すればいいんだ?
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