第20話 学院ナンバー1の美女

 何が悪かったのだろうか。ピアノを弾く気になれなくて、図書室で楽譜を眺めていてもそのことばかりが頭に浮かんで消えなかった。確かに、自分のレッスンをおろそかにしてしまったというのは問題かもしれないが。


「そんなこと言っても気になってしまうんだからなぁ」


「気になるよなぁ。誰が学院ナンバー1の美女なのか……」


 椅子を回転させて後ろを向くと、予想通りやつ・・がなぜか不適な笑みを浮かべて僕を見下ろしていた。何か言葉が発せられる前にすぐにまた椅子を戻して楽譜に向き直った。


「っておい! 無視すんな!」


「ここは図書室です。お静かに」


 図書室担当のブロニスラフ先生の厳かなお言葉が遠くから発せられた。どこの世界でも図書室は静かにしないといけないというのは常識のようだ。


 エドは僕の横の席に座ると、耳打ちするくらいの近距離で小声で話しかけてきた。


「もうすぐ3回生は卒業だろ? 卒業を前にして学院ナンバー1美女は果たして誰なのか、今話題になっていてだな。ブランカ・カシュナー、ディオーナ・グランフォルト、マリア・スンドクヴィストの3人が今まったく同列なんだ。それでダメ元でハルトにも聞いてみようと思って」


 ページをめくる。音符が込み合いすぎてて手が届かなそうだった。


「そもそも、その3人は誰だ? それにお前も試験だろ、そんなことしてる場合じゃ──」


「いや、俺はこの前の選抜試験でトップになったから進級試験はパス。そのまま打楽器専攻だぜ」


 あの試験にはそんな条件もあったのか。まあ、エドの実力は確かだし、試験するまでもないのは明らか、か。


「それより本当に知らねぇの? 普通に校舎内歩いてたって目立つじゃねぇか。お前、9割くらい人生損してるぞ。いいか、ちょっと待ってろ」


 9割って、じゃあ残り1割はなんなんだ。エドは背負っていた袋を開くと、なかから3枚の紙を取り出し円形テーブルの上に並べた。


 それは3人の女性の走り書きしたようなラフ画だった。


「いいか。この左の可愛らしい笑顔がヴァイオリン専攻のブランカ・カシュナーだ。燃えるような緋色の女神」


 なるほど。松明にも似た赤毛ショートに輝く明るい赤色の瞳。同じヴァイオリンのルイスに負けじと強気な感じがする女性だ。


「続いて真ん中が澄みきった瑠璃色の女神。ディオーナ・グランフォルト。オーボエ専攻だ」


 なんとなくクールな印象の青色ロングに切れ長の目。


「最後にマリア・スンドクヴィスト。楽器はチューバ。鮮やかな黄玉の女神」


 あー確かにヒマワリみたいな黄色が波打っている。……3人そろって赤に青に黄色。信号機みたいだな。


「この3人の女神が今、学院中を席巻している3大美女だぜ」


 自分のことじゃないのにキメ顔をするエド。「残念なイケメン」の異名を持つだけのことはある。


「ふ~ん。それで?」


「いや、『それで?』じゃねえよ。お前にもあるだろう、胸の底から盛り上がってくるような熱く煮えたぎる塊が。ブランカは可愛いけど、ディオーナにも冷たくあしらわれてみたい。いやいやセクシーなマリアに見つめられたい、みたいな」


「いや、逆にお前の荒い鼻息を聞いて心が冷えていく一方だ。悪いが今はそれどころじゃなくて──うん?」


 右の絵はどこかで見たことがある。


「お! お前意外にエロいな。マリアがタイプか? マリーとは真逆な感じだけど」


「いや、そうじゃない。どこかで見た覚えがあるだけだ」


 エドはパチン、と指を鳴らした。


「中庭によくいるぜ! 雪が降ってないときは。だいたい何人かこれまた美女グループとともに行動してるな」


 そうか。マリーと中庭で食事をするときとかによく見かけた顔だった。腕輪やネックレス、ピアスなどきらびやかな装飾で着飾っていた気がする。


「んで、どうすんだよ。誰か1人選んでくれ」


「いや、選べないって」


「なるほど。3人ともそれぞれ魅力的だからな! わかるぜ! その気持ち! だが、ここは心を鬼にしてだな」


「お・し・ず・かに願います」


 少し苛立ちを含んだ声が背中に刺さる。だが、おかげでこの何の生産性もない話から逃れることができた。


 僕が楽譜をまとめて席を立とうとすると、慌てたような声を出してエドも立ち上がった。


「いや、ちょっと待てよ」


「悪いな。そろそろ行かないといけない」


「そうか、残念だな。せっかくお前の悩み聞いてやろうと思ったのに」


「なんだって?」


 振り返ったその先には相変わらず不敵な笑みが浮かんでいた。

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