新しいページを

 自分の部屋に戻ってピアノの譜面台に2つのノートを置く。


 左側はカロリナ姉さんがくれた白紙のノート。何も書かれていない真っ白なノート。そこにはもちろん、ハルトと私の文字は書かれていなくて。右側に置いたボロボロのノートと比べると、きっと同じくらいの重さなんだろうけどなぜか軽く感じてしまう。


 ボロボロのノートを開く。文字はびっしりと書かれているけど、ところどころがもう破けていてどう考えても使えない。


 綴られた文字を指でなぞる。


 ハルトを最初に見つけたのは私だった。中庭に倒れていたハルトを発見してすぐにこの人は転生者だと思った。服装が私達のものとは違っていたし、顔つきも違った。私はすぐにカロリナ姉さんに伝えて。


 カロリナ姉さんはすぐに自分の専属執事にしたけど、なんとなく気になって毎日ハルトの様子を見にいった。言語の習得に、音楽のレッスン、執事としての所作や振る舞い、マナー……いろんなことを教えられていたけど、ハルトはすぐに吸収していった。


 そのあと、カロリナ姉さんが私の部屋へハルトを連れてきてスコラノラ学院へ入学することを伝えてくれた。私の同級生として。


 ハルトは笑顔で挨拶してくれた。だけど、私は言葉で返すことができずに上手く笑えなかった。


 他のクラスメートと同じように嫌われてしまったかもしれない。でも、次の日にもハルトは当たり前のように話しかけてくれて、私に一冊のノートを渡してくれた。


 ノートを開くと一番上に文字が書いてあった。


〈初めまして。ハルトです〉


 覚えたばかりでたどたどしい文字が私のために書かれていた。


 ハルトは私にペンを向ける。私はそれを恐る恐る受け取ると、ハルトからもらったノートにゆっくりと丁寧に文字を書いた。


〈初めまして、ハルト。私は、マリー・ジグスムント・ベルナドッテ・ユセフィナ・カールステッド〉


 ボロボロになったノートから指を離す。


 あの日から、私は誰かと久しぶりの会話を始めた。普通と違う声に出さない会話だけど、私にとってはいつの間にか当たり前の会話になってしまっていた。


 ノートを閉じて目を閉じる。両手を馴染んだ鍵盤の上に乗せて演奏を始める。


 音楽はどうしよう? 即興でいいか。弾きたいものを弾いて今は、自分の気持ちを知りたい。


 自然と指が運ぶのは明るい音楽だった。凍りついた心が解けて、朗らかになるように。心が弾ける。春が来るように。冬も来ていないのに春はまだ遠いけど、季節の先取りだ。


 自分の奏でる音を聞きながら、思い出すのはハルトのことばかりだった。毎日隣にいてくれて、辛いときも悲しいときも楽しいときも、嫌なときも幸せなときだっていつでもずっと──。


 目を開く。いつの間にか現象は現れていた。水飛沫みずしぶきが宙を舞い、ハラハラと花びらのように落ちていく。


 私は、そうだ。私は、ハルトに助けられてばかりだった。


 鍵盤を何度も揺らすと、最後に駆け上がりフィナーレ。花びらは弾けて空気に溶けるように消えていった。





「マリー様、こちらのノートでよろしいですか?」


 私は大きな声で笑顔で返した。


「そうです! このノート、とても色づかいが綺麗だから」


 私とさほど年の変わらない若い店員さんは嬉しそうに微笑むと、新しいノートを手渡してくれた。


「マリー様にお似合いだと思います。お買い求めいただいて本当にありがとうございます」


 収穫祭で出店で来ていた本屋でノートを買う。あとは、あそこだ。


 街の人々と談笑しているカロリナ姉さんを見つけて走り寄っていった。


「カロリナ姉さん!」


「あら、マリーどうしたの?」


「カロリナ姉さん、ごめん。姉さんからもらったノートだけど、やっぱり自分で新しいの買いたかったから今、買いました」


 買ったばかりのノートを見せると、カロリナ姉さんは一瞬驚いたような表情を浮かべたけど、すぐにいつもの笑顔になった。


「ふふっ、確かにその方がいいかもね。余計なお節介だったかも」


「そんなことないよ。カロリナ姉さんからもらったノートも別のことに使えるから」


 そう言って、私は教会へ向かった。なんとなくそこに行けばハルトに会えるんじゃないかと思って。


 私は、これから新しいページを作っていく。そこにはずっと、私とハルトの2人の文字があればいいな。

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