第42話 暴力
「ハルト、早く!!」
急かすルイスは、ヴァイオリンを
ヴェルヴがその輝きを増す間、狼達の水球も加速度的に拡大していく。すでにその体積は人一人分の大きさを遥かに超えて、車一台いやそれ以上に到達しようとしている。あの攻撃をまともに受けたら傷を負うだけでは済まないだろう。
「ハルトまだ!?」
「まだ時間がかかる」
「遅いわよ!」
ルイスは僕の前に飛び出ると流れるように、弦に当てた弓を滑らせた。レガートで紡がれた音の粒はルイスの正面に半円状の風の膜を創り上げていく。
一際大きい遠吠えが耳に届いたときには、列車並の大きさになった水球が赤壁を吹き飛ばし、ルイスの風のシールドに激突していた。ジャリリリリとシールドを削る音が耳奥に響く。
「持たないわ! ハルト急いで!!」
懸命に弓を動かし、音を重ねるルイスの体は徐々に後退していった。焦るな、落ち着け、どんなときでも音を途切れさせるな。
カロリナの赤壁の炎が揺らぐ。微かに聞こえる遠いピアノの旋律に揺らめきが生まれた気がした。
「ルイス! きっかり4分の2拍子で離れろ!」
「わかったわ! 間違えないでよ!!」
「当たり前だ!」
演奏が終了した。ルイスの背中が離れ、激しく波打つ水の塊が視界を覆う。僕は、声をあげるとともにその塊を真っ二つにする勢いで思い切り長剣を振り上げた。水飛沫が身体中に降りかかる。
火炎旋風は目の前に迫った水球を飛散させて狼達の元へと突き進んでいったが、すでにそこにやつらの姿はなかった。
「なっ、どこだ!?」
「上よ」
視界を上に移すと、赤い渦を避けるように狼全員が空高く跳び上がっていた。
「あとは任せて!」
ルイスは素早く弦をかき鳴らすと、複数の小型の風の渦を発現させた。それはカロリナの炎の壁を経由して地面へと降り立つ狼の群れに突撃していく。
適度な風は火の勢いを増す。それは目の前の現象にも当てはまるわけで。焔を身に纏った渦は敵の身体を刻み、燃やした。獅子とは違う耳障りな甲高い声が次々と発せられ、魔法が消えたときには動いているものはいなかった。
「よし、やったわ!!」
「やるねぇ。これは思ったよりも手こずるかな?」
「!!」
頭の上から軽薄な声が降ってきたと気づいたのは、何かが地面に落とされた後だった。
眩い光に包まれ、身体中を熱風が通り過ぎていく。
「あらら、残念。意外と反応速度が速いんだねぇ」
目を開くと何か黒い物体が倒れてきた。反射的にそれを両手で受け止めるが、あまりの動揺にその手を離してしまった。
ゆっくりと地面に向かって崩れ落ちるそれは、
「こんがりと綺麗に焼けたねぇ」
その声の主は遥か上空を飛ぶ大きな鳥からジャンプすると、なぜかカロリナの壁をすり抜け、ふわりと僕の目の前に降り立った。
肩までかかった雪のような真白な髪をゆっくりと横に払うと、その少年はにこりと微笑んだ。戦場には不釣り合いの穏やかな笑顔だ。
「初めまして。稀人くん。僕はグラティス、僕の特徴を一つ紹介するなら──」
「インシ・リフティ!」
鎌鼬のごとき風の刃が少年の身体を貫いた。ルイスの言っていた中級魔法か!? ──ほとんど零に近い近距離からの攻撃。無傷ではいられない、はずだった。通常ならば。
「ウ、ソでしょ?」
血が吹き出すでもなく羽織ったマントが破れるわけでもなく、少年は変わらぬ笑顔でそこに立っていた。
「おかしいな。名乗ってる間は攻撃されないと思ったのに。まあ、いいや。僕の特徴の一つは魔法の無効化。君達は絶体絶命のピンチってわけだね。どうぞ、よろしくお願いします」
何を言っているのかすぐにはわからなかった。目の前で兵士が焼かれた事実とその凄惨な現実。それを全く意に介さないどころかまるで物のように扱う少年の言葉。そして魔法が効かないという事象。
だからだ。判断が鈍り、対処を怠ってしまった。
「うわぁぁ!!」
雄叫びとともに僕の横を通り過ぎ、若い兵士が少年に向かって突撃していった。手にした槍でその身体を突くが、容易くかわされ兜をつけたまま首が飛ばされた。真新しい血が吹き出し、顔に生温かいものが飛び散る。
「威勢がいいのはいいけどさぁ。よわっちいのは残念だね~」
「おのれ!」「一斉に攻撃だ!」
前衛にいた兵士が徒党を組んで少年に向かって走り寄る。
「やっ、やめ──」
制止する間もなかった。少年が風のように舞うたびに血飛沫が雨のように降り注ぎ、1分も経たないうちに十数人いた兵士が亡骸となった。
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