第39話 零れ落ちる涙
「では、私も議論に加わってもよろしいでしょうか?」
カロリナの揺れ動く瞳を真っ直ぐに覗き込んで指示を仰いだ。もちろん躊躇はあったが、カロリナは仕方なく首肯する。
「ありがとうございます。一つ気になる点があるのですが、本当に敵は正面からしか攻撃できないのでしょうか? たとえば、湖や空からの攻撃などは不可能なのでしょうか?」
前いた世界では、魔法はないものの各種戦闘機を用いての爆撃が当たり前だ。もちろんそんなもの、この世界にはないだろうが。
僕の発言があまりにも常識はずれだったのか、吹き出したような笑い声が聞こえた。
「そんなことあるわけがない。人間がどうやって水中や空中から現れることができるのか」
バルバロッサ卿は馬鹿にしたように言うと肩を小刻みに揺らした。
「しかし、それでは敵からしてみたらあまりにも無謀な策ではないですか?」
「だから難攻不落の城と言われているんです。この地に築城してから、我らがカールステッド家が王家に就くまで一度も城を明け渡したことはないのですから」
「そうですか……」
しかし、やはり納得がいかない。聞いた話ではカールステッド家と旧王家の内戦は総力戦だった。最終的に魔法使いを多く味方に取り込んだカールステッド家が戦力的に優位に立ち、勝利することができたはずだ。
けれど、今は違う。実力のある魔法使い志望の者は全て学院に集め、魔法の使用も制限している状況で、そこまで大きく戦力が開くものか? さらに時間が経てばギルドの応援やシグルド王子の帰還でこちらの戦力が増大することも考えなければいけない。クーデターを成功させるためにはあまりにも無策なんじゃないだろうか。
「……たとえば、そう、魔物を使っても侵入は難しいでしようか?」
「魔物? そんなもの我が国のどこにいると言うのですか?」
「いや、確かに魔物を活用すれば空からの侵入は可能かもしれない」
フェルセン中将は口元に無骨な手を置いてまるで一人ごとのように呟いた。
「魔物をどこから連れてくるのか、どうやって人間に慣らすのか、など疑問はあるが、ありえない話ではない」
「そんな。間物が人間と共に戦うというのか? そんなこと今まで聞いたことがない」
「いえ、バルバロッサ卿。私が以前読んだ書物にもその可能性は言及されていました」
カロリナも援護に回ってくれた。
「今、私たちにその知識や技術はありませんが、敵が持っていないと断言できるものではない。アーテムヘル神聖国が回復魔法に関して私たちよりも秀でているように、スタティマ海上都市国が水上での戦いに秀でているように、敵が魔物を活用した戦闘ができる可能性はあります。ハルトの指摘は戦術に組み込むべきです」
一瞬、しかめ面を浮かべたバルバロッサ卿は、しかしすぐにまたにこやかな笑顔をつくった。
「なるほど。まあ、あらゆる可能性を想定することは大事ですね」
「時間がありません。陣を作り上げましょう」
フェルセン中将の言葉に全員が頷く。
「前衛にはハルト殿を置くとして、空からの攻撃にはどう備えますか?」
「それなんですが、私はカロリーナ様に宮殿に残っていただいて、全体の守りも含めて空からの攻撃に対処していただければと考えています。カロリーナ様の魔法であれば王宮と陣営全体に魔法の壁をつくることは可能ですよね?」
確認するように顔を上げれば、カロリナは自信満々といった感じで髪を払った。
「もちろん。土壁がいい? それとも水壁?」
「それは任せます」
「了解」
これで後衛は問題ない……はず。防壁をつくることによって敵が攻め込むまでの時間稼ぎもできる。
「残りはどう配置しましょう? ハルト殿の警護もかねて前衛部隊には兵士を、後列に講師、生徒と並べますか?」
「そうですね」
「ええ、それが無難ね。生徒達はなるべく危険から遠ざけたい」
「よし、それでは各自への伝令は私から行います。講師と生徒への連絡は」
「もちろん私が引き受けます。生徒への丁寧な説明は私の務めですからね」
バルバロッサ卿はそう言うと、テーブルから離れた。
「では、これで解散します! 命令あるまで各自待機していてください!」
カロリナの張り詰めた声が響いた。
部屋の外へと出ても、宮殿内は喧騒に包まれていた。慌ただしく行き交う人々、ひっきりなしに繰り出される会話。話し声に混じって怒鳴り声も聞こえる。まるで忙殺された繁忙期の会社のようだ。
「いや、そんなこと思ってる場合じゃねーだろ」
もうあと数時間後には戦争が迫っているのだ。そして、なぜかその先頭に自分が立つことになるんだ。
「ハルト、大丈夫……じゃないわよね?」
不意に呼び掛けられて振り返ると、カロリナの深刻な顔が目の前にあった。
「正直何が起こるのかまだ実感が沸かないよ。今まで何度も話では聞いてきたけど、戦争なんて想像もつきやしない。自分の命が危険だって言うことも。まあ、ここに来る際に、たぶん一度死んでいるはずなんだけどね」
妙に饒舌な自分がいた。カロリナの気持ちも関係なく次から次へと言葉が溢れ出ようとしてくる。
カロリナの目尻に力が入り、その瞳が潤んだ。
「ごめんなさい」
無理な微笑みの上に水滴がきらめく。
それは天井高くに吊るされたシャンデリアの光によって照らされていた。そして、それは急速に僕の感情を冷やしていく。
音が外に漏れ出すんじゃないかと思うほど、鼓動が荒々しいリズムを刻んでいたことを今、僕は知った。
「本当にごめんなさい」
もう一度そう言うとカロリナは人差し指で周りに気づかれぬようにそっと涙を拭った。
「結局、あなたにこんな危険な任をお願いすることになってしまって、稀人のこと黙っていて。私に、もっとシグルド王子のような力があればあなたを巻き込ませずに済んだのに。……だけど……だけど……ハルト、お願い。簡単に死ぬとか言わないでよ」
嘆願するような目。こんなに弱々しいカロリナを見るのは初めてだった。
「あなたを雇ったのは、もしかしたらあなたならマリーの心を開かせることができるんじゃないかと思ったから。あなたを最初に見つけたマリーも時折顔を見せていたしね。だけど、あなたが私の執事になってくれて、共に時間を過ごすうちに、あなたは……」
なぜかカロリナはその先を言い淀む。目を伏せて目にかかった髪を整えると、再び僕の目を見つめてカロリナは言った。
「ハルト。あなたは、私にとって、カロリーナ・カールステッドにとって、かけがえのない人になった……私があんなに怒ることなんてそうそうないのよ?」
あんなに、というのはこの間のマリーを巡ってのケンカだろうか。しばらく口も聞きたくなかったのに、不思議と今は何のわだかりも感じない。今言われるまで忘れてたくらいだ。
そんなことを、今にも泣き崩れそうなカロリナの笑顔を眺めながら考えていた。考えるべきことはもっと別にあるだろうに。
かけがえのない人、その意味にこそ頭を捻らせなければならないが、ただわかるのはカロリナを泣かせてしまったという少しの罪悪感と、これ以上悲しませたくないと沸き上がる強い決意だ。
「ありがとうカロリナ。では、生き残るためにいくつかお願いがあるんだが」
「ええ。もちろんよ。何なりと仰せ使います」
わざとらしいカロリナのお辞儀に二人して笑い合うと、再び喧騒が戻ってきた。
──そして、その号令が伝わると、僕はマリーの柔らかい黄金色の髪を一撫でして立ち上がった。
「では、ニコライ執事長。マリーをよろしくお願いします」
「マリー様のことは心配するな。ちゃんとワシが見ている。本当は目覚めてほしかったのだが」
「いえ、むしろ起きていれば自分から戦場に立ったかもしれませんので、その意味ではよかったのではないかと。マリー宛ての手紙も書きましたし、大丈夫ですよ」
「そうか……では、お主に女神ユセフィナ様の微笑みが降り注ぐことを」
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