第38話 戦神、稀人

『ハルト。お前のいるそっちの社会ってのは、きな臭い社会だ。何が起きてもおかしくない。一応、これだけは覚えておけ』


 ギルド長ソフィアの言葉が茫然とする頭に急に浮かび上がった。


 誰もが驚愕して言葉を発せないなか、カロリナは咳払いをすると口を開いた。


「……ちょっと待って意味がわからないわ」


 低いその声は怒りが潜んでいるように聞こえた。


「唐突な提案ですから。しかし、ハルト殿は誰もが驚くヴェルヴを用いた戦闘を披露してくれました。複数の属性を重ねた超上級魔法の攻撃など高度な戦術ができる者はそういないでしょう。まさに高威力・広範囲の魔法を扱える持ち主。さらに実戦化が頓挫したヴェルヴと戦った経験はほとんどの者がありません。敵の意表をつけるものと」


「た、確かにそうだが……しかし、仮にも生徒である者を前衛に出すなど……」


 フェルセン中将は判断できないといった目でちらりとカロリナを見た。


「絶対にあり得ないわ。大臣もご存知のようにハルトはまだここに来て、いえ、この世界に来てまだほんのわずかの時間しか経っていないのよ。私達が当たり前に身につけた常識や知識の多くを、彼はまだ知らない」


「なるほど。それはたとえば『稀人』の伝説についてもですか?」


 稀人の伝説? なんだそれは。


 思わず横にいるカロリナの顔を見やるが、戸惑ったような表情のまま固まってしまっている。


「なんと、それすらも伝えていなかったのですか? ご自身の執事として雇っているのに……。これは、いささか驚きですな」


 ざわめきが部屋中に拡散していく。みんな、その伝説とやらを知っているというのか?


「違うわ! 私はハルトに稀人の伝説を重ね見て側においているわけではない。この世界のこともカールステッド家のことも何も知らない彼だからこそ、執事に任命したのよ!」


 その言葉が嘘でないことは即座にわかった。敬語を忘れた必死な訴えは、王女としてではなくカロリナとしての生の言葉だったし、なによりカロリナは僕に嘘をつけるような人間じゃない。


「だとしてもですよ、今まで彼に伝えなかったのはいくらカロリーナ様といえども問題だと思いますが。みなさん、ハルト殿はもう私達の世界に馴染んでいるかもしれませんが、思い出していただきたい。彼が現れたときの衝撃を、彼を執事とするとしたときの動揺を。彼は、戦乱を引き起こすと言われた戦神、稀人なのですぞ!」


 戦乱を引き起こす……戦神……。


「意味を図りかねているようですな」


 バルバロッサ卿は僕を見てにっこりと笑った。その笑顔の奥に何か言い知れない冷たいものを感じて背筋に寒気が走る。


「不意に、別の世界からこの世界に現れる人がいる──それは古くから文献にも記載されている言い伝えです。私達はその存在を迷い人とも稀人とも呼んでいますが、文献に彼らが登場するのは必ず大きな戦乱があったときなのです。だから、稀人が戦乱を引き起こす戦神とも」


「だけど、それはあくまでも伝説よ! ハルトはそんなことしないわ!」


「もちろん、ハルト殿がそうだとは申しておりません。ただ、周りがどう思うかは別です。私達が彼の存在に衝撃を受けたように敵はハルト殿が稀人と知れば大小あれども動揺するはず。彼を後ろに下げるのは戦術上非常にマイナスだと思うのですが、いかがでしょう?」


 バルバロッサ卿は周りを見回した。提案に同意し頷く者、納得しがたいという様に仏頂面を貫く者、判断しかねると首を傾げる者。様々な反応が窺えるが、バルバロッサ卿の意見を覆そうとする者は誰もいなかった。ただ一人カロリナを除いては。


 カロリナが組んでいた腕を下ろした。息を吸い込む音が聞こえる。


「わかりました。引き受けましょう」


 そのタイミングで僕は静かに、しかし確実に全員に聞こえるような声を出した。カロリナの立場を弱めることは、執事として許されない。


「ハルト!?」


「カロリーナ様。内心はともかく、バルバロッサ様の意見にみなさん納得しているようです。それに、私もそれが最善の手かと思います。バルバロッサ様の、そして皆様のご期待に添える実力があるかは甚だ疑問ですが、全力は尽くします。王宮を皆様をカロリーナ様を守るために」


 そしてマリーを守るために。ここにいないということは、マリーはまだ眠りについているのだろう。敵に攻め込まれたら丸腰のマリーは抵抗することすらできない。なんとしても宮殿内に敵を侵入させるわけにはいかない。

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