第34話 少年達とフードの女性

 こんなにも全速力で人波を走り抜けたのはいつぶりなのだろうか。記憶を失う前の僕に聞かなければわからないが、とにかくきついことだけは確かだ。


 一瞬だけ見た後ろ姿を視界から逃さぬよう視線は前を向いたまま、驚いた表情で僕を見る大勢の商店街の人達の間をすり抜けていく。


 残りの袋はルイスに任せたから他のことに気を向けなくてすむ……とはいえ、ジロジロと見られるのは恥ずかしいものだ。早く捕まえたいのだが、子どもだからなのか単に足が速いからなのかちょこまかと動いてなかなか追いつけなかった。


「はぁ……はやく……その……とったものを……返し……なさい」


 ようやくその背が間近に迫ったときには、膝はがくがくで息も絶え絶えでもうこれ以上は走れないという状態だった。


 見ればまだ前の世界で言えば小学生くらいのやはり男の子だ。薄茶色に変色した膝上までの短衣と短いボサボサの髪が貧しさを物語っていた。


 少年はゆっくりとこちらを振り返った。にやりとした笑みを浮かべながら。


「返すのはそっちだろ、おっさん」


 その言葉を合図に物陰に隠れていたのか少年の仲間と思われる子どもら4、5人が少年の横に並んだ。……というか、さすがにおっさんと呼ばれるのは心外なんだが……なんて言っている場合じゃない。


 子どもたちはあっという間に僕を取り囲んだ。ただの子どもならなんとでもなるわけだが、どこから手に入れたのか剣や片手斧を手にじりじりと迫ってくるから大変だ。少年を追って商店街を走っていたつもりだったが、気がつけば人通りの少ない町外れへ誘い込まれたらしい。


「悪いが、僕は君らから何か奪った記憶もないし、今は何も持っていない」


 自分の記憶もないくらいなのに。


「うるせぇ! お前、国の役人かなんかだろ? 俺たちから全てを奪ってったくせに! 何も持ってないなら、身ぐるみ剥がしてその高そうな服でも売ればいい金になるぜ」


 正直驚いた。こんな子どもからこんな小悪党みたいな台詞が出てくるとは。いったい何が起こっているのか──。


「さあ、覚悟しな!」


 とはいえ、ここで身ぐるみ剥がされるわけにもいかない。念のためにと内ポケットに忍ばせておいたヴェルヴへと手を伸ばした。


「やめなさい」


 凛とした声が木霊した。今にも襲いかかってきそうな殺気だった気配が一瞬で消える。


「エル姉!」


 と口々に呼ばれたその人物は色褪せたローブを身にまとい、目深にかぶったフードを両手でつかんだまま緩やかに歩み寄ってきた。


「その人は悪い人じゃないわっ! きゃ! ぶっ!!」


 そしてなぜか盛大に転んだ。


「てめえ! エル姉に何をした!!」


 おいおい、まさかそうなるか?


「いや、なにもしてないぞ。その人は何もないところで勝手に派手に転んだんだ」


 手も出せないで顔と地面が直撃するとは、本当に漫画みたいな転び方だ。


「こいつ内側の胸ポケットに何か入れてやがる! それでエル姉を攻撃したんだ!」


 別の少年が声を荒げた。やけに目ざといな。ものすごく勘違いしているわけだが。


「やるか!」


「やる!」


「やるしかない!!」


 まてまてまてまて!


「だ、大丈夫、みんな、私が悪いの……」


 自らの転倒により誤解を生んだその女性は立ち上がりながら、登場時とは打って変わってのんびりとした口調でそう言った。


「エル姉! そんな、こんな悪党をかばうなんて優しすぎるよ!」


 僕からしてみたら君らの方が悪党なんだが。あーなどと傍観してる場合じゃない。子どもたちはエル姉と呼ばれる女性の前に並ぶと各々の武器を握って臨戦態勢に入った。


「待て、落ち着いて。まず、僕はカロリーナ・カールステッド第一王女専任執事のハルトと言います」


 敵対関係の人間とコミュニケーションを取るには、まず身分と名前を明かすこと。……たぶん。


「カロリーナ、カールステッド?」


 子どもたちはお互い顔を見合わせて名前を呟いた。


「そう、カロリーナ・カールステッド。みんなも名前くらいは聞いたことあるだろう? この国の王女だ」


 みんなはうなずき合って、その中の一人、僕から何かを取っていったくしゃくしゃの黒髪の少年が口を開いた。


「エル姉のお姉さんでしょ? 双子だから同じ顔をしているけど、性格が全然違うってエル姉が言ってたよ」


 想定外の返答に開いた口がふさがらなかった。慌てたように少年をいさめようとするエル姉を見つめながら急いで記憶をたどる。


 あれは、カロリナの部屋の楽譜に挟まれていたモノクロの一枚のラフ画。カロリナにそっくりだったが、どこか幼い。たしか、その名は──。


 少年が体に触れた拍子にエル姉のフードが外れた。その中から現れたのは、『エルサ様』だった。


「エ、エルサ・カールステッド! カロリナの双子の妹か!!」


「ち、違います!」


 顔の前で手を横に振る。


「いや、違わないだろ! その顔が決定的な証拠となります。あなたはカロリナの妹、つまり王国第二王女エルサ・カールステッド様、ですよね」


 エルサ様は額に手を置くと、ふるふると頭を動かしてため息をついた。

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