【第3楽章連載開始】聖戦協奏曲〜才能ゼロで記憶喪失の僕が音楽で魔法を奏でる異世界で王女の専属執事をしながら一流指揮者になるまで〜
フクロウ
第1楽章 緘黙少女のプレリュード
序章
第1話 おそらく転生と魔法と
何の前触れもなく柔らかな指が髪の毛に触れたせいで、心臓の音が跳ね上がった。
「ハルト。寝癖ついてるわよ。しっかりしなさい」
真横から香るローズの匂いに今度は呼吸が乱れそうになるが、ため息を一つついて平常心を取り戻し、つとめて冷静に返事をした。
「寝癖なのは、急に予定が変更されたからです。事前に、せめて昨夜教えてくだされば準備もできたと言うもの」
「……む。私のせいじゃないわよ。連絡を忘れていたのは、学校側よ。それに、どんな事態でも最低限の身だしなみは必要よ」
「かしこまりました。以後、気をつけます」
無難に会話を終わらせて前方を向く。耳を澄ませれば、今日も朝から多種多様な音が響き渡っていた。ピアノ、ヴァイオリン、フルート、チェロ、コントラバス、オーボエ──ありとあらゆる楽器の音色が、だ。
澄み渡った晴天の下、虫一匹いなそうなほど綺麗に刈られた青々しい芝生を抜け、赤レンガで統一された重厚な二階建ての校舎に入ると、その音は一段と大きくなった。
「酷い不協和音。これでは、まるで騒音じゃない」
両手を耳に押しつけながら呟いたカロリナは、同意を求めるように僕の顔をちらりと見た。
「確かに不協和音も混ざっているように思いますが、僕もこの程度ですので」
「それもそうね」
食い気味にバッサリと否定すると、カロリナ──カロリーナ・カールステッド王女はわざとらしいくらい大きく溜め息を吐いた。
「このカールステッド家第一王女であり宮廷専属ピアノ奏者のカロリーナ・カールステッドが直々に指導しているのに、どうして貴方は一向に上達しないのかしら」
「面目ない限りで」
僕も目を瞑ってわざとらしい溜め息を吐いてみる。
「なによ。本心からそう思ってる?」
「もちろんですとも。生活環境が全く違う異世界に来てまだ慣れていないなかで、全く触れたこともないような楽器の演奏を懇切丁寧に教えていただいているのに上達する気配すら感じないことに申し訳ない気持ちでいっぱいでございます」
「このやろ──」
僕は、舌打ちをして何事かを喚きそうになったカロリナの言葉を遮った。
「仮にもカールステッド家第一王女のカロリーナ様ともあろう方が、皆々様の眼前にて舌打ちをして『このやろう』などと、のたまうのはいかがなものかと思いますが」
僕の言葉にカロリナは、振り上げた拳を素早く下ろした。僕をけなすことに夢中になっていたカロリナは気付かなかったようだが、すでに多くの制服姿の生徒が、ステンドグラスが輝く廊下の両端にずらっと並び、カロリナを羨望の眼差しで見つめていた。
「カロリーナ様おはようございます」
ついさっきまで溢れんばかりだった音は止み、挨拶の大合唱が起こった。それもそのはず、今日は月に一度、宮廷専属ピアニスト、カロリーナ・カールステッドの実演授業の日なのだ。
カロリナはわざとらしく咳払いを一つすると、細い身体をすっと伸ばし、優雅に微笑みながら挨拶を返した。そのパーフェクトスマイルに男子生徒はおろか女子生徒まで頬を上気させてうっとりとした顔を浮かべていた。確かに、美しい笑顔だとは思う。例えるなら、そう花なら薔薇、宝石ならダイヤモンドといったところだろうか。入ってくるなり、この子達の演奏を馬鹿にしてたなんてとても思えない。
そのパーフェクトなスマイルを撒き散らしながら、カロリナは正面の教会へと向かった。
そして、カロリナの後ろを歩くことを許された僕にいつものように嫉妬と羨望の入り交じった微妙な視線がぶつけられる。
その視線に気づかないふりをしながら、女神のような宗教画が描かれた両扉の前に立つと、扉を開けてカロリナを中へ入れた。カロリナが完全に中に入ったところで、我先にと猛ダッシュで生徒達が迫ってくる。
100人近くの人数がいれば、どうしても後ろの席に座らざるをえない人が出てくる。しかし、こと演奏者に関しては間近でその繊細なタッチを観たいと思うもの。「天使の手」と称されるカロリナの演奏とならばなおさらだ。僕は密かに「悪魔の手」ではないかと訝しんでいるが。
まあ、そんなわけで100メートル走のごとく本気で向かってくる生徒達が次々と教会の中へ雪崩れ込んでいく。
「よう、相変わらずお疲れだな」
そこへ、集団の流れに乗ることなくゆっくりと歩いてくる男が声をかけてきた。
「おはよう。マリー」
あえて無視した上で男の後ろを覗き込むようにして、小動物を思わせるくりっとした青い瞳の背の低い少女に挨拶した。
「てめ、無視すんな」
肩をどつかれた。が、これがこいつに対する挨拶みたいなもんだった。
「エド、お前もひどい寝癖がついてるぞ、直してやろうか」
そう言って髪に手を伸ばすが、すぐにその手は払い除けられてしまった。
「いらねーよ。知ってるだろ? 俺の髪を触っていいのは美女だけだ。しかも飛びきりの」
「ほう。たとえば……カロリーナ様とか?」
「おぉ! カロリーナ様のあのたおやかな指が俺の髪を触るなんて夢のような出来事だな!」
「ふーん」
目を細めて微妙な反応をすると何かに勘づいたのか、エドはハッと大きく息を呑んだ。
「ハルト! 今、お前
「動揺し過ぎだろ、ほらさっさと行くぞ」
エドを放っておいたまま、マリーを連れて教会へ入ればリーマン学校長のあいさつが始まるところだった。
「あっ、ほら始まるぞ。エド、早く」
一番後ろの席に3人まとめて座ると同時に、綺麗に磨かれた漆黒のグランドピアノにカロリナが十指を並べた。
全員の視線がカロリナの白く細長い指先へと集中し、会場全体が息を呑むような緊張感で張り詰める。
長い一拍ののち、音が弾けた。
そして、その「現象」は現れる。カロリナの頭上に
スタッカートの力強い旋律に合わせて散らばった火球がまた一点に集まり出す。音が強さと速さを増す度に火球が増大し、一つの形を作り出す。固そうな鱗に巨大な翼。カロリナが得意とするドラゴンの造形だ。
カロリナの指が鍵盤を優雅に滑ると、ドラゴンも踊り、カロリナの元へ素早く飛翔する。ドラゴンがカロリナの身体に触れる寸前に最後の一音が弾かれ、炎の塊は掻き消えた。
再び一拍後、誰かの歓声をきっかけに全員が立ち上がり満場の拍手が沸き起こった。
そのなかで僕だけが座ったまま目を瞑って朝だけで何度目かわからないため息を吐いた。
カロリナの
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