神様は通らない

 田中さんは帰りしなに、僕にアドバイスをくれた。

「基本、アイドルの身体に触れるな。頭にチョップもNG!」

「メンバーは公平に扱え。誰かを特別扱いなんて、もってのほか」

他にもあったけど、この2つは特に心に残っている。

まぁ、1つ目はすでにおかしなことになっているけれど……。




 どれくらい眠っていたのだろう。一部、記憶が曖昧なのは事実。

特に動画を仕上げてから寝入る直前の記憶はないに等しい。

それほど寝ていないはずなのに、頭は妙に冴えている。

記憶がないだけ!


 遠くからウィーン、ウィーン! という音が聞こえる。


 自分の格好を確認。

上半身は裸で、オレンジ色のダウンコートを袖を通さずに羽織っているだけ。

眠る直前、夜の高級ブティック街の一件でベタベタだったTシャツを脱ぎ、

洗濯機をまわしていたとしても全く不思議じゃない。むしろ納得だ。


 眠っている間に誰かに抱かれているように感じたのはまぼろしだろうか。

あるいは、目が冴えていることと関係があるのかもしれない。




 ガチャリという玄関の開く音が聞こえる。大きな荷物を運ぶ音も。


「あれっ、まだ起きてるのかしら……」


 声の主はみずほ。僕はダウンコートに袖を通し、事務所のドアを開ける。


「おはよう、みずほ! 寄ってくれたんだ」


 と、声をかける。

ちょっと怪訝そうに「おっ、おはよう。ちゃんと寝たの」と返してくれた。


「なぜか頭がスッキリしているよ。旅立ちの高揚感かなぁ」

「そっ。で、だれか、いるわけ?」


 そわそわしているみずほ。僕の方が怪訝になる。


「そんなわけ、ないだろう。こんなに朝早く!」

「まぁ……そうなんだけど。あっ、コレ!」


 言いながら僕に渡したのは、温かい缶コーヒーとおにぎり。

ツナギとしてはありがたいし、気遣ってくれるみずほの気持ちがうれしい。


「ありがとう、いただくよ!」


 ゆっくり噛んで食べる。みずほはまだ周囲を気にしている。


「やっぱり、誰かいるんじゃない?」

「怖いこと言うなよ。ご馳走様!」


 みずほがそこまで警戒する理由が分かったのは、

みずほが「そのダウンコート、さくらのだよねーっ……」と言ったとき。




 しばらくの間を置いて、みずほ。


「あのさぁ、充電タイムについてなんだけど……」

「あー、それはさくらに一任したんじゃなかったっけ?」


「そうなんだけど、あのあと、のぞみが言い出したの。不公平じゃないかって」


 ちょっと堪えた。田中さんも言っていたことだ。

プロデューサーとして、メンバーを公平に扱うのは義務といえる。

みんなが不公平と感じているなら、改善しなくっちゃいけない。


「そっか。でも、さくらの充電は必須だし……」


 僕には解決策が見出せない。


「あのね、みんなと相談したの。もちろん、さくらも交えて」


 さくらも含めて相談して決めたことなら、聞かないといけない。


「どんな相談?」

「タイミングはさくらを優先するけど、

 同じことを全員とするべきじゃないかって……」


 そこまでは、淡々とはなしていたみずほだった。


「ほほを寄せ合うの?」

「……つっ、寄せ合うの……」


 まだ、淡々としている。


「両手恋人繋ぎするの?」

「すっ、するわよっ! さくらだけズルい!

 って、のぞみが言うんだもの……」


 最後は、顔を真っ赤に染める。


 さくらに不意にキスをされたことを思い出す。

全身に電撃が走るような、あのやわらかい感触。それが単純計算で5倍。

それ、僕の身体が保たないんじゃないだろうか。


 けど、みずほの言うことは一理も二理もある。

みんなで決めたことは尊重したいし、僕はみんなを公平に扱うべき立場にいる。


「わっ、分かった……ちょっと恥ずかしいけど、頑張るよ……」

「……そっ、そう、よね。恥ずかしいよね……頑張る、のよね……

 でも、決まったことだし、私も頑張るから……」


 これも、プロデューサーの勤めと割り切ろう。




 またしばらく無言で過ごす。

それでも、神様が通らいのは洗濯機の音のせい。それが、


——ピーッ、ピーッ、ピーッ!


 という音とともに止む。それでも静寂とならない。

どこかからキュッ、キュッという、床を靴で擦る音がするからだ。

さくら? なぜか直感的に思う。そんなはず、ないのに。やっぱり幽霊?


「何かしら? 見にいって来る!」


 みずほが駆け出す。「待って!」と呼び止めたのは、

万が一、本当にさくらだったときどうしていいか分からないから。

もし、本当にさくらだったら、僕はさくらと一夜をともにしたことになる。


 みずほは速い。一目散というのを生まれてはじめて見た気がする。

幼稚園のときは引っ込み思案だったみずほが、ここまで積極的だなんて。

それほど、アイドル活動に本気なんだろう。呼び止めたりして悪かった。


 僕はみずほを追うようにして、簡易ステージに駆けて行った。

先に着いたみずほが固まっているのが分かる。

みずほは一体、何を見ているんだろう。


 みずほの横に立つ。ステージを見る。中央に、さくら。瞬間。

何だ、この衝撃はっ! 昨日とはまるで違う。

まるで華やかに激しく咲き誇る、満開の桜のよう。

これほど身体をいっぱいに使ってのダンスなんて、はじめて見た!


 しばらくは魅入っていた僕だけど、今日は妙に頭が冴えている。

この状況は絶対にまずい! さくらがここにいる時点でアウトだ。

べつにやましいことはないけれど、みずほに追及されたら、何と返せばいい?

頭が冴えていても、こればっかりは分からない……。


 そんな中、みずほが口を開く。

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